古代ローマの詩人ウェルギリウス晩年の作。表題は〈アエネアスの歌〉の意で,トロイアの王子アエネアスがギリシア軍の侵攻の前に落城した祖国を父アンキセスと息子アスカニウスとともに脱出し,波乱万丈の放浪をへてイタリアにローマ帝国の礎となる新国家を建設するまでを,約1万行でうたいあげた建国叙事詩(12巻)である。ホメロスの《オデュッセイア》と《イーリアス》からは多大な影響を受けており,アエネアスの流浪,女王ディドが支配するカルタゴへの漂着,冥界下り等を描いた前半1~6巻は,多くのモティーフの共通性のゆえに〈オデュッセイア的前半部〉と呼ばれ,一方,イタリア上陸後の先住民族との戦闘を描く後半7~12巻は〈イーリアス的後半部〉と呼ばれる。この前後半2分割に加えて,各種の障害の克服を主題とする1~4巻,未来のローマのビジョンが提示される5~8巻,そして戦闘と勝利をもたらす9~12巻といった3分割も認められ,作者の緻密にして堅固な構成力がうかがわれる。ホメロス以外ではロドスのアポロニオスの《アルゴナウティカ》中のメデイアの物語が,とくに第4巻のディドの悲恋物語の執筆にあたって参考にされた。ウェルギリウスは前19年に死ぬまで,この作品の執筆に10年余りの歳月を費やしており,しかもまず散文で下書きをしたのち,六脚律の詩形に書き直したと伝えられているが,そのみがきぬかれた文体,多彩な詩的イメージの駆使,韻律の微妙な変化等は作品の完成度をきわめて高いものにしている。
作品成立の政治的背景にはアウグストゥスによる内乱の収拾と平和の確立があり,それをたたえる個所は作品中にも散見されるが,地上における平和と正義の実現をそこに至るまでの苦難と犠牲も含めて神の意志とみなす作者の敬虔な思想は,政治的党派を超えた深みを作品に与えている。また,滅びゆくものに対して作者が示す深い愛情は,作品が時代を超えて人間的共感を呼ぶ原因となっている。固い友情で結ばれたまま戦死するエウリュアルスとニススや敵将トゥルヌスによって斬殺されるパラスなどのエピソードはとくに有名である。しかし,最も広く親しまれているエピソードは,漂着したアエネアスとともに国家を築くことを夢みながらも,最後は使命に従い出帆する彼に見捨てられ,自害をとげるカルタゴの女王ディドの悲恋物語である。
《アエネーイス》は古代はもとより中世でも愛読され,12世紀にはフランスやドイツで騎士世界を背景にした改作も著されたが,ディドの悲恋物語はそこでも大きな比重を占めている。ドイツの文豪シラーも,ディド悲劇の第4巻を独自に訳出した。《アエネーイス》はアウグストゥス帝の前で部分的に朗読され,公表以前から文人の間で大きな期待を集めていた。前19年,ウェルギリウスは作品に最終的な仕上げを施すために舞台となったギリシア各地を旅したが,帰途熱病におかされイタリアのブルンディシウム港にたどりついたものの,その地でまもなく死去した。彼は草稿の焼却を強く要望したが,アウグストゥスはそれを認めず未完成の部分を含んだまま詩人の友人ウァリウスとトゥッカに刊行を命じた。なお,H.ブロッホの小説《ウェルギリウスの死》(1945)は,死を間近にした詩人ウェルギリウスの内面を鋭く描いた作品である。
執筆者:三浦 尤三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…《イーリアス》は神々を人間と同じ欠点を持つ不道徳なものとして描いていると,クセノファネスやプラトンは批判したが,アリストテレスやホラティウスはその文学性を高く評価し,ヘレニズム,ローマ世界での重要な教科書として用いられた。ウェルギリウスはホメロスの詩に想を得て《アエネーイス》を書き,それはダンテ,ミルトンに影響を及ぼしている。《イーリアス》は大まかなラテン訳《イーリアス・ラティーナ》(紀元68以前)と,不完全なラテン語資料に基づくブノア・ド・サントモールBenoît de Sainte‐Maureの仏訳《トロイ物語》(1160ころ)によって,かろうじて中世,ルネサンス世界に知られた。…
…T.S.エリオットはこの作品に〈古典のなかの古典〉と最大級の賛辞をおくっている。 だが,ウェルギリウスの作品中最も有名で広く親しまれているのは晩年の大作《アエネーイス》全12巻である。前29年から彼が死ぬ前19年までの11年間をローマ建国叙事詩といわれるこの作品の執筆に費やした。…
…アエネアスのローマ到着以来の歴史を扱った叙事詩《年代記》は,ホメロスの用いた六脚韻をラテン語に初めて導入し,以後のラテン叙事詩の韻律に決定的な影響を与えた。ウェルギリウスの《アエネーイス》にも大きな影響を残したこの叙事詩が,断片としてしか知られていないのは惜しまれる。【平田 真】。…
…この事実はJ.W.A.キルヒホフの分析的研究以来今日までの100年間専門学者たちによって詳細に検討されてきているが,他方,きわめてモダンで現実的な人間オデュッセウスがおとぎ話の国で遭遇する食人鬼の恐怖,魔女たちの誘惑,とりわけ冥府訪問の段で語られる彼岸体験などは,おのおのの素材や処理の異質性もさることながら,後世の詩人や思想家たちには深い寓意性を示唆し,新しい人間体験を語る文学創造の契機となることが多かった。ローマの詩人ウェルギリウスは《アエネーイス》叙事詩の前半部分で《オデュッセイア》を範としたと伝えられるが,とりわけ第6巻の構成はホメロスを深く意識しながらローマ叙事詩の独自の精神性を明らかにしている。またルネサンスの詩人ダンテの冥界漂泊の歌《神曲》も,ウェルギリウスを介しての,一つの《オデュッセイア》解釈を留めている。…
…このアレクサンドリア詩の影響下に,古代ローマのいわゆるラテン詩が始まり,前1世紀にまずルクレティウス,カトゥルスが,ついで叙事詩人ウェルギリウス,抒情詩人ホラティウスが現れる。ウェルギリウスの《アエネーイス》はトロイアの落城後生き残った英雄が各地をさまよった末,イタリアにローマを建国する物語だが,題材には伝承を取り入れながらも一人の詩人の創作として構想され,書き下ろされたものである。またルクレティウスの《事物の本性について》は韻文による哲学的な宇宙論である。…
…次の《農耕詩》では,アレクサンドリア派が偏重したヘシオドスに範を取った点と,農夫をエピクロス的賢者に比する点にヘレニズム精神をみせながらも,祖国イタリアをたたえ,黄金時代を継承する農業に真の人間性の発露をみるとともに,アウグストゥスによる内乱の収束と平和の建設をたたえている。叙事詩《アエネーイス》は初めから新時代の到来を祝う目的で着手された。ローマ建国の伝説を歌うこの詩において彼は,神話の時代にすでにローマの世界支配の運命が定められていたという主題によって,神話の中に未来の歴史を予言の形で織り込み,こうしてホメロス風の神話叙事詩とエンニウス風の歴史叙事詩を巧みに結びつけ,合わせてローマ帝国の使命を解き明かした。…
…これは次の伝説に明らかにされるようにローマの母都市となるものであり,またカエサルの属するユリウス氏族はユルスの血筋を引くものと考えられた。 以上はウェルギリウスの《アエネーイス》(〈アエネアスの歌〉の意)によりながら筋をたどったが,伝説そのものは彼の創作ではなく,長い伝承にのっとったものである。すなわち,すでにホメロスに登場するこの英雄は,前7~前6世紀にかけシチリアで活躍したギリシア詩人ステシコロスによって主題的に取り上げられた後,前5~前4世紀のギリシア文学によってイタリアおよびローマとの関連づけがなされていた。…
※「アエネーイス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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