ギリシア天文学の原典。著者は2世紀中ごろアレキサンドリアで活躍したプトレマイオス。「アルマゲスト」の名はイスラムの天文学者によってつけられたもので、「最大の書」を意味する。原著名はメガレ・シュンタキシス・マテマティケ(数学大集成)。9世紀ごろアラビア語に翻訳され、バグダード天文台での権威書となり、12世紀ラテン語に転訳され、16世紀まで天動説的宇宙論の典拠となった。その内容は、第1・2巻は基本的仮定である地球球形説、地球中心説などの序論と球面三角法の弦長計算法、第3巻は太陽視運動の遅速を説明する離心円説、第4・5巻は月運動の不均一たる中心差、出差の説明、第6巻は古代の日月食資料とその計算法、第7・8巻はヒッパルコスによる恒星1028個の位置と等級の表示、第9巻は惑星運動に関する周転円説、つまり等速円運動の合成法、第10巻は金星と火星、第11巻は木星と土星の運動論、第12巻は惑星運動に関するアポロニウス説、第13巻は惑星の緯度について黄道傾斜の見解となっている。
[島村福太郎]
『藪内清訳『アルマゲスト』(1982・恒星社)』
2世紀のアレクサンドリアの天文学者プトレマイオスの代表的著書。地球中心的な宇宙体系(天動説)の代表として永く第1等の地位を保ち続けた。もともとの標題は《数学的集大成Mathēmatikē syntaxis》とされていたが,後代の人々が尊称の意味で付した〈最大のmegistē〉という形容表現がそのまま残り,イスラム世界へ入って冠詞alを付された標題《almajistī》で翻訳された(8世紀末が最初といわれ,のちイブン・ユースフ,イスハーク・ブン・フナイン,サービト・ブン・クッラらのものが現れた)。12世紀にラテン世界に紹介(1175年のクレモナのゲラルドGerard of Cremona(1114ころ-87)によるものが著名)されたときも,標題はラテン語の《Almagestum》であった。周転円,離心円,擬心(エカントequant)などのしかけを使った体系は,天体現象を記述する数学的モデルとしてはきわめて精緻(せいち)である。ここでは太陽中心的体系の可能性も論じられている。
執筆者:村上 陽一郎
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…アウグスティヌスの例のように,プラトンや新プラトン主義的宇宙観を身近に感じつつ,しかも,そこに含まれる魔術的・占星術的要素を忌避して留保を付するというのが,キリスト教の側のとった基本的態度であったといってよい。 一方,宇宙内で生起する現象,とくに天体現象に関しては,アレクサンドリア学派,とくに2世紀のプトレマイオスが《アルマゲスト》の中で展開したモデルによって,間然するところなく説明されることになった。彼は,前3世紀サモスのアリスタルコスの唱えた太陽中心的なモデルも十分検討したうえで,なお,地球中心的モデルを採用したが,それは天文学上の理由というよりは運動学的理由であったといってよい。…
…ここにはプレヤデスを単独星座にした黄道13星座,北天19星座,南天15星座が記録されている。さらに下って2世紀に活躍した天文学者プトレマイオスはその著作《アルマゲスト》の第7,第8の2巻を星表とし,ここに48星座を記録している。またローマの詩人オウィディウスは叙事詩《転身物語》でギリシア神話の神々や英雄の物語を述べているが,今日語りつがれている星座の神話はこの著作に負うところが多い。…
…古代の中国の星表には魏の時代(前4世紀ころ)の掃天観測に基づくといわれる〈石氏星経〉などがある。プトレマイオスの《アルマゲスト》にある星表はヒッパルコスの前2世紀ころの1022個の星の位置観測を138年の座標に換算したもので,その後中世までの諸星表はこれを原典として座標を換算しただけのものが多い。ティムール王朝のウルグ・ベクは,1420年サマルカンドに天文台を建設,ここでの観測の成果はウルグ・ベクの天文表(1437)にまとめられた。…
…ヒッパルコスの天動説をいっそう完全なものとしたのは,2世紀にアレクサンドリアで活躍したプトレマイオスである。彼の著書《アルマゲスト》はギリシア天文学を集成した大著である。ここでは月の運動はヒッパルコス以上に詳細となっており,ヒッパルコスが手をつけずに残した惑星の運動も,一応数学的に求められる。…
…数学者アレクサンドリアのテオンの娘で,とくに哲学,数学,天文学,医学に通じていた。父を助けてプトレマイオス《アルマゲスト》の注釈の改訂版を完成し,ディオファントスやアポロニオスの注釈を書いたと言われている。彼女はアレクサンドリアの新プラトン学派の学校で教えたが,キリスト教の狂信者の一団により虐殺された。…
…127‐141年にアレクサンドリアで天体観測をしていたという事実以外に,個人的情報はほとんど知られない。その主著《アルマゲスト》は地球中心体系に基づくもっとも精緻(せいち)な天文理論として,コペルニクス時代まで,古代,ビザンティン,イスラム,中世ヨーロッパの天文学の中心となったが,このほか,天文書としては,《アルマゲスト》のなかの計算用の数表だけをまとめた《簡易数表》,大部な《アルマゲスト》の縮冊版ともいうべき《惑星仮説》,あるいは占星術的内容をもった《テトラビブロス》(原題は〈占星術上の意味付け〉を意味するアポテレスマティカだが,4巻からなるので,テトラビブロス=四書と通称される)などのほか,地理学書としての《地理学入門》や音楽学・音響学書といえる《ハルモニア論》,純粋の数学書(例えば《ストイケイア論》)や光学(視覚学)に関する著作などがあったといわれる。これらの著作のすべてが今日に伝わるわけではないが,彼の関心がきわめて広く,一種の知的巨人であったことがこうしたリストからもわかるであろう。…
※「アルマゲスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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