アレクサンドル(2世)(読み)あれくさんどる(英語表記)Александр Ⅱ/Aleksandr Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレクサンドル(2世)」の意味・わかりやすい解説

アレクサンドル(2世)
あれくさんどる
Александр Ⅱ/Aleksandr Ⅱ
(1818―1881)

ロシア皇帝(在位1855~1881)。ニコライ1世の長男として4月17日生まれ、クリミア戦争の最中に死んだ父帝の後を襲って即位した。元来は保守的な見解の持ち主であったが、戦争で敗れたロシアを1日でも早くヨーロッパの列強水準に近づけるために、有能な官吏の意見をいれて、次々と改革を断行した。まず1861年には農奴解放令を発して、全国で2300万人の農奴農民を解放した。ついでゼムストボとよばれる地方自治会を設立し、地方行政を改革(1864)、また同じ年に司法制度も改革した。さらに1874年には軍制の改革も行った。これによって後年、彼は「解放皇帝」とよばれ、その治世は「大改革の時代」とよばれた。しかしポーランド反乱(1863~1864)を鎮圧してからは、しだいに反動的な政策をとるようになり、それにつれて革命運動も盛んになっていった。ついに1881年3月1日、ナロードニキの「人民意志」派のメンバーによって暗殺された。

[外川継男]


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旺文社世界史事典 三訂版 「アレクサンドル(2世)」の解説

アレクサンドル(2世)
Aleksandr Ⅱ

1818〜81
ロシアの皇帝(在位1855〜81)
クリミア戦争中に即位し,戦争の敗北でロシアの上からの近代化の必要性を痛感農奴解放(1861),司法制度の改革,地方自治制度の創設,義務兵役制度の実施などの自由主義的改革を行った。しかし,1863年のポーランドの反乱やその後のナロードニキの進出などから反動化し,最後は「人民の意思」党員の爆弾で暗殺された。対外的には三帝同盟締結,沿海州の獲得,アラスカ売却,露土(ロシア−トルコ)戦争などを行った。

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