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アレクサンドル[1世] アレクサンドル

百科事典マイペディアの解説

アレクサンドル[1世]【アレクサンドル】

ロシア皇帝(在位1801年―1825年)。パーベル1世の子。初め自由主義的革命を行い,領土を拡大した。しかしナポレオンのロシア侵入(モスクワ遠征)を撃破し,ウィーン会議をリードし,神聖同盟の提唱者となって以後は反動化した。
→関連項目デカブリスト

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世界大百科事典 第2版の解説

アレクサンドル[1世]【Aleksandr I Pavlovich Romanov】

1777‐1825
ロシア皇帝。在位1801‐25年。性格は列代君主の中で最も評価が分かれ,一説では空想癖と権力愛の複合,二枚舌,狂気の持主とし,一説では寛大,自由で当代屈指の政治的識見の持主と見る。少年時代の環境は特異で,6歳から祖母エカチェリナ2世の豪奢な宮廷でスイス人ラ・アルプの自由主義的教育を受けたが,定期的に訪れた父パーベルの宮廷は兵営風で,ここで専制的,軍事的気風を吹き込まれた。人をそらさぬ周到な神経,二面性,複雑な性格は,猜疑心の強い,圧制的な父の皇帝時代にいっそう強まった。

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世界大百科事典内のアレクサンドル[1世]の言及

【チャルトリスキ】より

… 改革派の敗北と第2回ポーランド分割のあとは西欧に脱出するが,ロシア領に編入され没収の危機にした一族の領地を救うため,95年に人質としてエカチェリナ2世のもとに送られた。そこで後のロシア皇帝アレクサンドル1世と親交を結ぶ。アレクサンドルの妻との仲が疑われ,パーベル1世の命でロシア使節としてサルデーニャに送られるが,1801年のアレクサンドル1世の即位でペテルブルグに呼び戻された。…

【モスクワ遠征】より

…ロシアでは一般に祖国戦争Otechestvennaya voinaという。ロシア皇帝アレクサンドル1世は従来のいきさつからナポレオンの大陸封鎖に従った。しかしそれはロシアの経済体制を根本的にゆるがすことであった。…

【ロシア帝国】より

…しかし女帝の晩年にはフランス革命がおこり,イギリスの産業革命も始まっており,19世紀初めにはナポレオンのモスクワ遠征があった。産業革命と市民革命の時代を迎えて,19世紀にロシアの後進性はかえって明らかになり,世紀前半アレクサンドル1世とニコライ1世が絶対主義体制を保持しながら新しい国際環境のなかで大国ロシアの地位を守ろうとしたが,クリミア戦争に敗れ,この敗戦の衝撃からアレクサンドル2世の時代に〈大改革〉が行われた。この改革で帝国は絶対王政からブルジョア王政への転化の方向をみせたが,続くアレクサンドル3世のもとで政治反動が強まり,国際的には帝国主義時代が始まった。…

※「アレクサンドル[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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