アレクサンドル[2世](読み)アレクサンドル

百科事典マイペディアの解説

アレクサンドル[2世]【アレクサンドル】

ロシア皇帝(在位1855年―1881年)。ニコライ1世の子。クリミア戦争中に即位し,戦後農奴解放令発布,ゼムストボ設置などの改革(〈大改革〉と呼ばれる)を推進。ポーランド反乱を鎮圧,中央アジアを侵略,露土戦争を起こした。革命勢力を弾圧し,ナロードニキに暗殺された。
→関連項目アレクサンドル[3世]暗殺フィグネルマリア・ルース号事件

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世界大百科事典 第2版の解説

アレクサンドル[2世]【Aleksandr II】

1818‐81
ロシアの皇帝。在位1855‐81年。ニコライ1世の長男として生まれ,クリミア戦争の敗色が濃くなったさなかに病没した父帝のあとを襲って即位した。1855年11月セバストポリが陥落するや,彼は講和にふみきり,翌年3月パリ条約を締結。これによりロシアは黒海において艦隊を保有することが禁止された。クリミア戦争の敗北はロシア社会の上層部に大きな衝撃をもたらし,進歩的な官僚を中心に,農奴解放をはじめとする大改革への動きがにわかに高まった。

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世界大百科事典内のアレクサンドル[2世]の言及

【カラコーゾフ事件】より

…1866年4月4日,ロシア皇帝アレクサンドル2世が狙撃された事件。カラコーゾフDmitrii Vladimilovich Karakozov(1840‐66)は,サラトフ県の没落貴族の家庭に生まれ,カザン大学入学後退学処分を受け,2年後復学したがモスクワ大学に転じ,1865年秋にはここも退学となった。…

【大改革】より

…クリミア戦争敗北後のロシアで,1860年代前半を中心に皇帝アレクサンドル2世の下で行われた内政面の諸改革の総称。帝政末期の自由主義的歴史家がその進歩性を称賛して使いはじめた用語。…

【ロシア帝国】より

…しかし女帝の晩年にはフランス革命がおこり,イギリスの産業革命も始まっており,19世紀初めにはナポレオンのモスクワ遠征があった。産業革命と市民革命の時代を迎えて,19世紀にロシアの後進性はかえって明らかになり,世紀前半アレクサンドル1世とニコライ1世が絶対主義体制を保持しながら新しい国際環境のなかで大国ロシアの地位を守ろうとしたが,クリミア戦争に敗れ,この敗戦の衝撃からアレクサンドル2世の時代に〈大改革〉が行われた。この改革で帝国は絶対王政からブルジョア王政への転化の方向をみせたが,続くアレクサンドル3世のもとで政治反動が強まり,国際的には帝国主義時代が始まった。…

※「アレクサンドル[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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