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インド人民党 インドじんみんとう Bharatiya Janata Party

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インド人民党
インドじんみんとう
Bharatiya Janata Party

略称 BJPヒンドゥー教至上主義を唱えるインドの政党。 1950年に結成されたジャンサン党 Jan Sanghを母体とし,77年には野党連合人民党 (ジャナタ党) を結成して政権を獲得。しかしその後,宗教上の対立によって,80年人民党から分離した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵2015の解説

インド人民党

ヒンドゥー教至上主義の旧ジャナタ党を前身に、1980年に発足した新興の全国政党。都市の商工業者らを支持基盤として急成長し、84年の総選挙で初めて2議席を獲得した。総選挙のたびに89年86議席、91年119議席と急成長し、96年には160議席を獲得、第1党に躍進した。バジパイ首相のもとに連立政権を樹立し、98年総選挙後には、選挙公約としていた核実験を実施した。ヒンドゥー教原理による大国建設を志向する。母体はヒンドゥー教至上主義の組織、民族義勇団(RSS)。これは25年に発足した団体で、マハトマ・ガンジーを48年に暗殺したゴドセは、その元団員だった。人民党は92年にはインド北部のヒンドゥー聖地、アヨディヤでイスラム礼拝所(バーブル・マスジッド)を破壊する事件を起こした。もとはそこで生まれたとされるラーマ神をまつったヒンドゥー寺院があったからだ。政権掌握後、人民党はやや路線を穏健化し、グローバル化による経済発展に力を入れ、パキスタンとの関係も改善を図った。だが、2004年総選挙では敗北を喫した。

(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

インド人民党

ヒンドゥー至上主義のジャンサン党を前身に、80年に発足。企業の国有化など社会主義的な政策をとる現与党の国民会議派に対し、自由主義経済の浸透や汚職の根絶などを訴えてきた。指導部には上位カースト出身者が多い。96年の総選挙で第1党になり、98~04年まで政権を担った。

(2009-05-12 朝日新聞 朝刊 1外報)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

インド‐じんみんとう〔‐ジンミンタウ〕【インド人民党】

インドの政党。国民会議派を1977年の総選挙でやぶったジャナタ党が解党し、1980年に再結集して成立。以来、たびたび与党となる。国内ではヒンズー教至上主義をとる一方、中国などと連携して非同盟主義を進める。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

インド人民党
いんどじんみんとう
Bharatiya Janata Party

1980年創設のインドの政党。略称BJP。1951年に民族義勇団Rashtriya Swayamsevak Sangh(RSS)を母体として結成されたジャン・サング(大衆連盟)党Bharatiya Jana Sanghが前身。同党は、77年、野党連合ジャナタ党に参加して一時政権についたが、政策上の不一致から離脱。80年、インド人民党(BJP)として再出発した。同党と強い結び付きをもつRSSは、19世紀末のインド独立運動初期に端を発し、ヒンドゥー社会の結束の強化を目ざす「サンガタン」(組織化)運動の流れをくむヒンドゥー勢力による活動団体である。RSSは1925年にヘードゲワルK. B. Hedgewar(1889―1940)によって創立され、48年1月のマハトマ・ガンディーの暗殺はその団員たちが計画実行したとされる。
 インド人民党は、1984年の総選挙ではわずか2議席にとどまったが、その後、独立以来インド政治を担ってきた国民会議派の凋落(ちょうらく)と裏腹に党勢を伸ばし、89年に86議席、91年には120議席と議席数を増やし、96年の総選挙では161議席を獲得して初めて第一党となり、多党連立内閣を実現した。首班に指名された同党のバジパイは議会の信任を得られず、そのときはわずか13日間の短命内閣に終わった。しかし、98年の選挙では提携政党とあわせて225議席を確保して第一会派となり、99年4月まで政権を担当、同年の9月~10月の選挙でも国民会議派を抑えて与党連合と組み、バジパイ政権をふたたび樹立した。2004年5月のインド総選挙では、バジパイ率いるインド人民党は敗北、バジパイは首相を退任。かわって国民会議派が与党第一党となった。
 インド人民党は、「総合的ヒューマニズム」を旗印とし、この基本的哲学に基づいてインドを強力な国にして、世界平和の実現に寄与することを目標に掲げる。また、内政上はインド憲法を遵守し、したがって国民の基本権と社会主義、政教分離主義、民主主義の諸原則を守ることを誓っている。しかし、1992年12月6日にインド中部のアヨーディヤーでヒンドゥー教徒ら約20万人がイスラム教寺院を破壊してイスラム教徒との対立を深めたアヨーディヤー事件の扇動、98年5月の核実験の強行など、同党のとった実際の行動は宗教的セクト主義、排外的民族主義の傾向が強く、その哲学と原則に基づく政策の立案と実施は、国民政党として同党が発展する上での緊急課題といえよう。
 党組織としては、国、州、地方の各レベルで設けられ、各レベルに農民、指定カーストなどの大衆組織を付設している点、また党員資格として、党の哲学と諸原則を受け入れ、ほかの政党に所属しないインドの市民すべてに開かれている点が注目される。[古瀬恒介]
『小川忠著『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭――軋むインド』(2000・NTT出版) ▽『アジア動向年報』各年版(アジア経済研究所)』

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