ウィーン工房(読み)ウィーンこうぼう(その他表記)Wiener Werkstätte

改訂新版 世界大百科事典 「ウィーン工房」の意味・わかりやすい解説

ウィーン工房 (ウィーンこうぼう)
Wiener Werkstätte

20世紀初頭,ウィーンに設立された工房。19世紀末に,全欧を巻き込んだ新しい芸術創造を目ざす気運の一環としてゼツェッシオン(分離派)が組織されたが,その理念の工芸面における実践を図ろうとしてつくられた。1903年ウィーンの建築家J.ホフマンモーザーKolo(man)Moser(1868-1918)らによってウィーン分離派所属の工芸品製作所として設立。05年独立の工房となり有能な美術家と工芸家をともに擁し,建築,室内装飾家具織物,ガラス細工,陶器,金銀細工,皮革,宝石,レース,ししゅう,本の装丁,喫煙具に至るまで新しいデザインを凝らして製作し,工房マークの〈W.W.〉を記し,さらにその販売組織をもって当時の流行を大きく支配した。特にホフマンの業績は大きく,その代表作はブリュッセルストックレー邸(1905-11)であり,その室内装飾,家具,食器等生活用品のすべてをウィーン工房が担当したが,壁面装飾はクリムトが受けもった。これらの作品に指摘されるのは,グラスゴーの鬼才マッキントッシュ直線的な装飾原理との関連である。ウィーン工房設立の財政的擁護者であるフリッツ・ウェンドルファーが工芸家の一群スコットランドに派遣して当地の工芸を実地に学ばせたほど,この工房とスコットランドの関係,特にマッキントッシュの空間処理の影響は強かった。つまり過去の様式からの離脱をはかったにしても,ウィーン工房の依拠する原理は,曲線アール・ヌーボーから直線のアール・ヌーボーへと変容してゆく一動向とパラレルなものであり,独自の造形原理ではなかった。これは有機的曲線を主体とするアール・ヌーボーに内在する,装飾の直線的幾何学的構造を解釈したもので,直線のもつ簡素な合理性と明快な色彩,素材とその使用目的への機能性を強調し,在来の感覚的装飾的工芸から脱して工芸界に新生面を切り開いたことに変りはない。しかしより合理的な傾向が台頭するに及び,また,ウィーンの経済的不況もからんで,33年,ウィーン工房は閉鎖した。
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百科事典マイペディア 「ウィーン工房」の意味・わかりやすい解説

ウィーン工房【ウィーンこうぼう】

正式名は〈ウィーン工房――ウィーン工芸美術家生産協同組合〉。1903年,ヨーゼフ・ホフマン,コロマン・モーザーによってウィーン分離派(ゼツェッシオン)の工芸品製作所として結成。工芸や職人の手仕事をデザインの創造過程の中に組み込むことにより,その復権を試みた。その組織には,英国のアーツ・アンド・クラフツ運動に参加した建築家チャールズ・ロバート・アシュビーの運営した〈手工芸ギルド〉の影響が強い。ホフマンの指揮のもと,総合芸術の工房を目指し,家具,花瓶,テーブルウェアなどの日用品,書籍,宝飾,テキスタイル,建築など,手がけた仕事は幅広い。方形を基本としたシンプルな幾何学的形態による装飾デザインが特徴的だが,1915年ダゴルト・ペッヒェの参加を契機に次第に曲線的な装飾を増していった。1932年,財政難のため閉鎖。代表的な仕事は,建築,内装,食器デザインまで手がけたブリュッセルの〈ストックレー邸〉(1905年―1911年)など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィーン工房」の意味・わかりやすい解説

ウィーン工房
うぃーんこうぼう
Wiener Werkstätte

1903年、ウィーンのヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが主宰して設立した工芸工房。過去文化圏からの分離を目ざしたゼツェッション(分離派)運動の一つの展開であった。05年には工房の体制がほぼ整い、金工、皮革工芸、製本などのそれぞれの分野で仕事が進められた。工房の作品は1点ずつ愛着を込めて制作され、新鮮な感情をもってはいるものの、むしろ時代に逆行するような手法がとられた。工房の洗練された趣味を示す代表作にブリュッセルのストックレー邸(1905~11)があげられる。設計ホフマン、建築内部の家具、食器、工芸品のすべてが工房で制作された。ホフマンの意図した優雅な造形は、種々の博覧会や展覧会への出品によって各国へ多くの影響を与えたが、近代合理主義思潮の台頭のもとでは手工芸性や趣味性のそしりを免れず、32年工房は閉鎖のやむなきに至った。

[高見堅志郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィーン工房」の意味・わかりやすい解説

ウィーン工房
ウィーンこうぼう
Wiener Werkstätte

ウィーン分離派により 1905年設立された工芸品,家具の工房。フリッツ・ウェルンドルファーの後援のもとに,ヨゼフ・ホフマンらによって指導され,その活動は,近代デザインの最初の革新運動の一つとなった。

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世界大百科事典(旧版)内のウィーン工房の言及

【デザイン】より

…同時にそれは社会・経済的には,資本主義が〈レッセフェール(自由放任主義)〉から制限された方向に向かうことに対応していた。またウィーンのゼツェッシオン(分離派),とくに建築家J.ホフマンらを中心に1903年設立されたウィーン工房は,機能性と直線の合理性を強調し,建築と工芸各分野で近代の新しい造型を目ざしたが,いまだ装飾芸術の範囲にとどまっていた。装飾性を切り捨て,生産主義,機能主義に立つ近代デザインの思想が現れてくるのは,イギリスの住宅の調査から機能主義をひきだした建築家ムテジウスHermann Muthesius(1861‐1927)によるドイツ工作連盟Deutscher Werkbundの設立(1907。…

【ホフマン】より

…O.ワーグナーの弟子でウィーン分離派(ゼツェッシオン)の創立者の一人。1903年モーザーK.Moserとともにウィーン工房を設立し,建築,室内装飾,家具調度品の多方面にわたる創作活動をし,アール・ヌーボー以後のデザインに深い影響を与えた。代表作ストックレー邸(ブリュッセル,1905‐11)には画家クリムトらが協力し,合理主義建築の空間造形をふまえながら細部には豊かな装飾を残している。…

※「ウィーン工房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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