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1859~1947
イギリスの社会および政治問題研究家。1885年フェビアン協会に加入。92年ビアトリス・ポッターと結婚,以後夫妻協力して救貧法を中心に社会・労働関係の一連の著作活動を展開。ロンドン大学政経学部の創立に貢献し,1914年以降労働党の国内政策を指導,18年新綱領「労働階級と新社会秩序」を起草して漸進的な社会主義への移行を表明。労働党内閣で24年商務相,29年植民相となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…この機械によって次のような操作でトップが作られる。(1)ビスコース,アセテート,あるいはダイネルのトウは12万~19万デニール(5デニール×24000~38000フィラメントのこと)で供給され,平たんなウェッブweb(外観がクモの巣のような薄い皮膜の繊維)の形にされる,(2)ウェッブはローラーの間を通るが,合成繊維の場合はここで延伸がかけられる,(3)ウェッブはローラー型のカッターによって,進行方向に対して約10度の角度で斜めに7.5~15cmのある決まった長さに切断される,(4)切口を引き離し,切断された繊維束の上部と下部をローラーによってずらす,(5)繊維束を巻いて,撚りをかけてない繊維束であるスライバーを作る,(6)スライバーを円筒形に巻き上げてトップを作る。直紡によって多くの工程が省略されるうえに,均一で約20%強さの増した糸を得ることができる。…
…イギリス側にはドーバー,フォークストン,フランス側にはカレー,ブーローニュ・シュル・メールなどの港湾都市があり,連絡港として機能している。海峡横断水泳は1875年のキャプテン・ウェッブMatthew Webb(1848‐83)が最初である。また1856年以来たびたび海底トンネル計画が論議されたが,1984年の〈海峡トンネル協定〉にもとづき,民営方式で87年鉄道専用の〈ユーロトンネル〉の本格的工事に着工した。…
…世界的に著名な遠泳は,ドーバー海峡の横断で,イギリス側のドーバーとフランス側のグリ・ネ岬の間,最短距離で約34kmを泳ぐ。ふつう単に海峡水泳channel swimmingの名で知られ,75年8月イギリスのM.ウェッブが21時間45分で泳ぎ切って以来,毎年世界各国のチャネル・スイマーが横断に挑戦し,年中行事化されている。女性では,1926年にアメリカのエダールG.Ederleが,14時間34分で初めて横断に成功。…
…イギリス側にはドーバー,フォークストン,フランス側にはカレー,ブーローニュ・シュル・メールなどの港湾都市があり,連絡港として機能している。海峡横断水泳は1875年のキャプテン・ウェッブMatthew Webb(1848‐83)が最初である。また1856年以来たびたび海底トンネル計画が論議されたが,1984年の〈海峡トンネル協定〉にもとづき,民営方式で87年鉄道専用の〈ユーロトンネル〉の本格的工事に着工した。…
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[内容の歴史的変化]
その内容は,社会思想上の立場によってさまざまに理解されており,歴史的にも変化している。イギリスのウェッブ夫妻(S.ウェッブ)が労働組合の構造や機能を研究した著書の標題に用いたことから産業民主主義という言葉は普及したが,この著書では,産業民主主義の内容として労働組合の民主主義的運営と団体交渉の当事者としての機能を確保することが強調されている。この考え方は,資本主義社会での階級関係を前提に,その枠内で労働者に一定の発言権を認めるものとして,現在も労使関係の基本的な考え方として継承されている。…
…〈国民的最低限〉を意味するこの概念は,イギリスのウェッブ夫妻(S.J.ウェッブとB.ウェッブ)が1897年に発表した《産業民主主義》の中で初めて提起したものである。労働組合運動と共済組合活動にゆだねられていた労働者の生活保障問題について,彼らは一定の条件以下ではいかなる産業も経営されることが許されないようなルールを策定することの必要を主張し,衛生と安全,余暇と賃金に関する法律によってナショナル・ミニマムを確保することを企図していた。…
…ローマの知将ファビウス(あだ名は〈遷延家〉)にちなんで名づけられた。G.B.ショーとシドニー・ウェッブの参加により,固有のフェビアン社会主義が確立される。協会が採択した《フェビアンの基礎》(1887)は,土地と産業資本の個人的・階級的所有から社会的所有への移行を目標に掲げ,社会主義的世論の普及によってこれを達成するものとした。…
… 第1次大戦で戦争支持のA.ヘンダーソンが党委員長となり,戦時内閣に参加するが,ロシア革命後は交渉による平和を主張して内閣を去り,これが党を自立に導くとともに反戦リベラルの労働党への参加の道を開いた。戦時中の組織労働者の飛躍的増加が党の自立を支え,18年S.J.ウェッブの協力を得て社会主義綱領が作成された。同4条は〈手と頭脳の生産者に勤労の全成果を確保〉するような〈生産手段の公有〉を宣言し,同時に地方支部を設けて一般党員の加入を制度化し,国民政党への展望を開いた。…
※「ウェッブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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