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ウォルポール Walpole, Horace, 4th Earl of Oxford

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウォルポール
Walpole, Horace, 4th Earl of Oxford

[生]1717.9.24. ロンドン
[没]1797.3.2. ロンドン
イギリスの小説家,政治家。首相 R.ウォルポールの子で,国会議員。ロンドン近郊ストロベリー・ヒルにゴシック風の大邸宅を構え美術品を集め,ゴシック小説『オトラントーの城』 The Castle of Otranto (1764) を書いて,いわゆる恐怖小説の流行をもたらした。 1732年から 97年の間に書かれた書簡も有名で,自伝的な記述のほか当時の社会,政治に関する観察や意見がみられ,資料としても重要である。

ウォルポール
Walpole, Sir Hugh (Seymour)

[生]1884.3.13. ニュージーランド,オークランド
[没]1941.6.1. カンバーランド,ケジック
イギリスの小説家。ケンブリッジ大学卒業。 1909年に処女作『木馬』 The Wooden Horseを発表。『ペリン氏とトレイル氏』 Mr. Perrin and Mr. Traill (1911) は学校生活を主題とする小説で,続く『不屈の勇気』 Fortitude (13) で大成功を収めた。『秘密都市』 The Secret City (19) によってジェームズ・テート・ブラック賞を得,晩年は歴史小説に新境地を開いた。ほかに,コンラッド,トロロープに関する評論など。

ウォルポール
Walpole, Sir Robert, 1st Earl of Orford

[生]1676.8.26. ノーフォークシャー,ホートンホール
[没]1745.3.18. ロンドン
初代首相とされるイギリスの政治家。ケンブリッジ大学で教育を受けたあと,1700年父の死により,多額の債務を負う所領と,同家の選挙区を相続。同年この選挙区から議員に選出され,01年ホイッグ党議員になった。 08年より陸軍長官その他の職を経て,15年大蔵総裁兼大蔵大臣になったが,イギリスの外交政策をめぐって約2年で辞職。ほどなく軍事支払総監として政府に復帰。 21年南海泡沫事件後の政局混乱に際して政治的手腕を発揮し,名声を高め再び大蔵総裁に就任。 42年まで 20年以上在職し,政府を指導。その間,対外平和政策を推進するとともに,国内的には買収による下院ホイッグ党勢力の安定を基礎に,責任内閣制の発達を促した。 37年以降政治的立場が弱まりはじめ,対スペイン戦争,オーストリア継承戦争 (1740~48) における戦況の不利からウォルポールに対する不満が高まり,41年の総選挙では勝利を収めたものの,翌年辞職した。辞任後,初代オーフォード伯に叙せられた。

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デジタル大辞泉の解説

ウォルポール(Robert Walpole)

[1676~1745]英国の政治家ホイッグ党指導者ジョージ1世時代の1721年、史上初の責任内閣首相となり、1742年に引退するまで平和外交の推進、財政の健全化に尽力

ウォルポール(Walpole)

オーストラリア、西オーストラリア州南西部の町。周辺には、樹高数十メートルの大木に成長するカリーやレッドティングルの森があり、ウォルポールノーナラップ国立公園内に、樹冠付近を見学できる歩道橋が設置されている。

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百科事典マイペディアの解説

ウォルポール

英国の文筆家。首相も務めた政治家R.ウォルポールの四男として生まれ,自身も下院に議席をもった。《オトラント城奇譚》(1764年)はゴシック・ロマンスの先駆として重要。
→関連項目ゴシック・リバイバルブルーストッキング

ウォルポール

英国の政治家。〈最初の総理大臣〉として知られる。ノーフォーク州の地主の古い家柄に生まれ,1701年下院議員になり,ホイッグ党に所属。順調な出世街道を歩んだが,収賄罪に問われて罷免された。
→関連項目ウォルポール議院内閣制ジョージ[1世]ジョージ[2世]ニューカッスル公ピット[大]ペラムホイッグ党ボーリングブルック

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世界大百科事典 第2版の解説

ウォルポール【Horace Walpole】

1717‐97
イギリスの文人,政治家。首相ロバート・ウォルポールの末子として生まれる。イートン校,ケンブリッジ大学に学ぶ。その間詩人トマス・グレーなどと親しくし,同じ趣味を培う。グレーとともに大陸旅行に行き,帰国後国会議員として父同様ホイッグ党の伝統を受け継ぐが,彼自身は決して政治的ではなかった。1747年ロンドン郊外トウィックナムゴシック風の家ストローベリー・ヒルを作る。こうした趣味からイギリス最初のゴシック・ロマンスオトラント城奇譚》(1764)が生まれ,また近親相姦の悲劇《なぞの母親》(1768)が作られた。

ウォルポール【Robert Walpole】

1676‐1745
イギリスの政治家。最初の〈首相〉といわれる。ノーフォーク州の古い家柄の地主の家に生まれ,ケンブリッジ大学中退後,1701年に庶民院議員,08年陸軍長官,10年海軍財務長官となったが,12年に収賄罪で罷免,投獄された。14年ジョージ1世が即位してトーリー党が没落すると,ウォルポールは急速に勢力を伸ばし,15年には大蔵卿となったが,外交政策をめぐる意見の対立から17年閣外へ去った。しかし20年に南海泡沫事件がおこると,その財政手腕を買われて事後処理にあたり,翌年ふたたび大蔵卿に就任,閣内第一人者として〈首相〉とよばれるようになり,42年まで長期政権の座にあった。

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大辞林 第三版の解説

ウォルポール【Robert Walpole】

1676~1745) イギリスの政治家。ホイッグ党員。1721年首相となり二〇年間政権を担当、下院の信任による責任内閣制の発達に貢献。

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世界大百科事典内のウォルポールの言及

【イギリス美術】より

…18世紀後半のロマンティックな懐古趣味,変化に富む自然の美しさへの欲求は,一方ではフランスの幾何学様式と対立する〈ピクチュアレスク〉なイギリス式庭園(W.ケントら)を生み,他方ではいわゆるゴシック・リバイバルの要因となった。18世紀半ばのウォルポールHorace Walpole(1717‐97)の自邸,ストロベリー・ヒルはゴシック・リバイバルの火付役となり,C.バリーによるイギリス国会議事堂(1870完成)は,その最もモニュメンタルな作例となった。一時バリーの協力者であったA.W.N.ピュージンも当時のゴシック的な傾向を代表する。…

【イギリス美術】より

…18世紀後半のロマンティックな懐古趣味,変化に富む自然の美しさへの欲求は,一方ではフランスの幾何学様式と対立する〈ピクチュアレスク〉なイギリス式庭園(W.ケントら)を生み,他方ではいわゆるゴシック・リバイバルの要因となった。18世紀半ばのウォルポールHorace Walpole(1717‐97)の自邸,ストロベリー・ヒルはゴシック・リバイバルの火付役となり,C.バリーによるイギリス国会議事堂(1870完成)は,その最もモニュメンタルな作例となった。一時バリーの協力者であったA.W.N.ピュージンも当時のゴシック的な傾向を代表する。…

【オトラント城奇譚】より

…イギリスの文人H.ウォルポールの小説。1764年刊。…

【ゴシック・リバイバル】より

…18世紀の風景式庭園の流行,ピクチュアレスクの美学をひとつの基盤としてイギリスを中心に発生し,19世紀に最盛期を迎え,ヨーロッパ大陸,アメリカにも盛行を見た。中世に対する賛美の念はイギリスに根強く存在し,18世紀中葉には政治家H.ウォルポールが自邸ストローベリー・ヒルをゴシック様式で建築し,この機運の先駆となった。19世紀に入るまで,ゴシック様式は廃墟を賛美するロマン主義の気風のもとで用いられていたが,ラスキンがゴシックを中世の倫理的な価値観の体現と称揚するにいたって,ゴシック復興の機運は建築を中心とする芸術一般に及んだ。…

【推理小説】より


[歴史――外国]
 なぞ解きを扱った文学作品といえば,古くは旧約聖書にまでさかのぼることができるが,一般に推理小説の起源と考えられているのは,イギリスで18世紀後半に流行した〈ゴシック・ロマンス〉である。H.ウォルポールの《オトラント城奇譚》(1764)や,A.ラドクリフの《ユードルフォの秘密》(1794)などでは,超自然現象的な不思議な現象が,結末で論理的に解明され,人間の恐怖心理が分析され,今日の〈スリラー小説〉の先駆となっている。W.ゴドウィンの《ケーリブ・ウィリアムズ》(1794)は殺人事件を一個人が究明し犯人を自白に追いつめる物語である。…

【トウィックナム】より

…イギリス,ロンドンの西,テムズ河畔の地区。19世紀ころまでは高級な別荘地であり,たとえば18世紀を代表する文人A.ポープの庭園と邸宅,またH.ウォルポールが建てたゴシック風の邸宅ストローベリー・ヒルで有名であった。現在は大ロンドン市の一部としてのリッチモンド自治区に入っている。…

【イギリス】より

…両派の名称が,互いに相手をアイルランドの追剝(Tory)や狂信的反徒(Whig)になぞらえ非難する蔑称として用いられた事実が示すように,パーティは私益や熱狂を国王,王国に対する忠誠に優越させる悪徳の現れとみられがちで,反対党と反逆との境界は時としてあいまいになった。近代の首相prime ministerの起源はこれらに多少遅れ,18世紀前半の有力政治家R.ウォルポールに求められることが多い。もっともこの語にもフランスからの影響が強く,国王の正当な権能を僭取し臣下が分を越えて国政を牛耳ることへの非難や嘲笑の意がこめられていたし,ウォルポール自身も公式にはこの呼称を否認した。…

【ウォルポール】より

…イギリスの文人,政治家。首相ロバート・ウォルポールの末子として生まれる。イートン校,ケンブリッジ大学に学ぶ。…

【ジョージ[1世]】より

…ホイッグ党が議会と行政府の実権を掌握しているイギリスの政治に,54歳で招かれて即位した王はあまり関心を抱かず,国政をみずから任命した大臣たちに一任するようになった。R.ウォルポールを首相とする責任内閣制度の発足は,そのような状況によっていっそう助長されたとみることができよう。【松浦 高嶺】。…

【内閣総理大臣】より

…元来首相prime ministerという語はフランスから借用され,当初は国王の寵愛をたてに大権を私議する臣下という非難の意味で用いられることが多かった。18世紀前半長く政府中枢にいたR.ウォルポールは最初の近代的首相とされる場合が多いが,その成功は議会の支持に劣らず国王や宮廷の支援に負う面が強く,みずからは首相の呼称を公式に否認した。18世紀には呼称も一定せず,だれがどのような意味で〈首相〉なのか当事者にすら不明確な例が少なくない。…

【南海泡沫事件】より

…この事件で多くの地主や商人がその資産を失ったため,政治的にも大問題となり,多くの大臣が故意の陰謀の疑いをかけられた。逆に,事件の処理に手腕を振るったR.ウォルポールが,以後のイギリス政界を牛耳ることにもなる。議会も,事件後〈泡沫禁止法Bubble Act〉を可決して,特殊な例外を除いて株式会社の設立を禁じたために,以後のイギリスの経済発展に深刻な影響を与えた。…

※「ウォルポール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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