ウォーカー(英語表記)Walker, Williston

デジタル大辞泉 「ウォーカー」の意味・読み・例文・類語

ウォーカー(Alice Walker)

[1944~ ]米国の黒人女性作家。公民権運動女性解放運動に参加。南部の黒人女性の半生を描いた「カラー‐パープル」でピュリッツァー賞を受賞した。他に「愛と苦しみ」「喜びの秘密」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウォーカー」の意味・わかりやすい解説

ウォーカー
Walker, Williston

[生]1860.7.1. ポートランド
[没]1922.3.9.
アメリカのプロテスタント神学者。教会史家。メーン州ポートランドに牧師の子として生れ,アーマスト大学,ハートフォード神学大学を経て,1888年にライプチヒ大学で博士号を取得。ハートフォード神学大学の教会史教授 (1892~1901) を経て,1901年以来エール大学神学部教会史教授。ウェスタンリザーブ大学,アーマスト大学,エール大学,ジュネーブ大学ハーバード大学,マリエッタ大学などから名誉学位を受けた。特にその『キリスト教会史』 (18) は長く教会史のテキストとして用いられた。主著"A History of the Congregational Churches in the United States" (1894) ,"The Reformation" (1900) ,"Ten New England Leaders" (01) ,"John Calvin" (06) ,"History of the Christian Church" (18) 。

ウォーカー
Walker, John E.

[生]1941. イギリス,ハリファックス
イギリスの化学者。オックスフォード大学で博士号を取得。 1982年イギリス分子生物医学研究所教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の P.D.ボイヤーが唱えていたアデノシン三リン酸 (ATP) 合成酵素の回転説を証明するため,X線による解析に取組み,1990年代にその3次元構造を明らかにした。彼の 10年にも及ぶ研究によって,生体内のエネルギー源である ATPの合成メカニズムが実証された。ボイヤー,J.C.スコーとともに,97年ノーベル化学賞を受賞。

ウォーカー
Walker, William

[生]1824.5.8. テネシーナッシュビル
[没]1860.9.12. ホンジュラス
アメリカの冒険家。 1850年カリフォルニアに移住し,そこからニカラグアの革命分子と呼応して義勇兵を率いて侵入し同地の事実上の支配権を握り,ニカラグア大統領の地位を保った (1856.7.~57.3.) が,アメリカ海軍に投降して帰国。 60年ホンジュラスに上陸を試みたがイギリス海軍に捕えられ,ホンジュラス政府に引渡されたのち処刑された。

ウォーカー
Walker, Robert

[生]1605/1610頃
[没]1656/1660頃
イギリスの肖像画家。クロムウェルの時代には著名な画家であり,議会派の人々の肖像を多く描いた。作風にはファン・ダイクの影響がみられる。作品はリーズやロンドンの国立肖像絵画館などに収蔵されている。

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百科事典マイペディア 「ウォーカー」の意味・わかりやすい解説

ウォーカー

米国のブルース・ギター奏者。テキサス州出身。エレクトリック・ギターをソロ楽器として用いるスタイルの確立に貢献した。1947年発表の《コール・イット・ストーミーマンデー》は,彼の最大のヒット曲。単音弾きを多用した彼のソロ奏法は,後の多くのブルースやロックのギター奏者に大きな影響を与えた。1972年,グラミー賞受賞。
→関連項目キングベリー

ウォーカー

英国の思想史家。オックスフォード大学に学び,ロンドン大学,1961年以降同大学ウォーバーグ研究所勤務。博識と堅実な文献学に拠るルネサンス音楽理論,魔術思想,異端の研究などで,同僚F.A.イェーツらとともにワールブルク学派の文化史研究を主導した。主著《ルネサンスの魔術思想――フィチーノからカンパネラへ》(1958年),《地獄の衰退》(1964年),《古代神学》(1972年)など。
→関連項目ワールブルク学派

ウォーカー

米国のアフリカ系詩人,小説家。従来取り上げられることのなかったアフリカ系アメリカ人の女性たちの歴史に光をあてた作品を書き,彼女たちの連帯の伝統をひきついで社会変革を図ろうとする〈ウーマニズム〉を提唱する。1966年詩集《かつて》で文学活動を開始し,小説《メリディアン》(1976年)等を経て,1982年に小説《カラー・パープル》で全米図書賞,ピュリッツァー賞受賞。
→関連項目ハーストン

ウォーカー

米国テネシー州生れの冒険家,傭兵。1853年メキシコで〈バハ・カリフォルニア共和国〉を宣言し追放される。1855年,自由主義派の招きでニカラグアに入国し内戦に参加,翌年大統領に就任。奴隷制を復活,英語を公用語にし,さらに中央アメリカ全体を支配しようとしたが,1857年敗れて米国に帰国。その後も中央アメリカに対する野心を捨てず,何度か侵入を企て,1860年ホンジュラスに上陸し,逮捕,銃殺。

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化学辞典 第2版 「ウォーカー」の解説

ウォーカー
ウォーカー
Walker, John Ernest

イギリスの生化学者.1969年オックスフォード大学で学位を取得し,ウィスコンシン大学やパリでの研究を経て,1974年ケンブリッジ大学医学研究会議分子生物学研究所に入った.1978年からATP合成酵素の研究をはじめ,1994年には F1-ATPアーゼを結晶化して,X線結晶解析によって三次元構造を明らかにした.この研究は,P.D. Boyer(ボイヤー)のATP合成機構の交代結合説(Binding Change Mechanism)を支持するもので,酸化的リン酸化の解明に大きく貢献した.この業績により,1997年Boyerとともにノーベル化学賞を受賞.1998年医学研究会議(MRC)Dunn Human Nutrition Unit所長に就任.

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改訂新版 世界大百科事典 「ウォーカー」の意味・わかりやすい解説

ウォーカー
John Walker
生没年:1781-1859

イギリスの化学者。ストックトン・オン・ティーズの出身。初め外科医を志したが,手術を嫌って薬剤業に転向。1827年ころに最初の実用的な摩擦マッチを発明したことで知られている。その材料の正確な組成は不明だが,塩素酸カリウム,硫化アンチモンの混合物を木片の端に塗布乾固してつくった。当初〈フリクション・ライト〉という名で呼ばれ,84本入り1箱(摩擦用紙やすり付き)が1シリングの価格で販売された。
執筆者:

ウォーカー
William Walker
生没年:1824-60

アメリカ合衆国テネシー州生れの冒険家で傭兵。1855年ニカラグアに,自由主義派の招待をきっかけに入り,同国の内戦に参加する。56年にはニカラグア大統領に就任するが,翌年には失脚。その後も中米への関心を捨てず,何度か介入を試みたものの,60年にホンジュラスに上陸したさい,逮捕されて銃殺された。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ウォーカー」の解説

ウォーカー Walker, Wilson

1851-1914 イギリスの船長,実業家。
妻はN.ヘクトの娘。慶応4年(1868)来日し,長崎のグラバー商会につとめる。のち岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社の船長となり,上海と日本との航路開設につくす。明治22年ジャパン・ブルワリー(現キリンビール)の支配人となり,日本ビール業界の発展に寄与した。大正3年11月4日長崎で死去。63歳。

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世界大百科事典(旧版)内のウォーカーの言及

【ニカラグア】より

…ニカラグア国内では,独立以前から保守派と自由派との抗争があり,前者はグラナダに,後者はレオンに基盤を置いていたため,首都は57年に両者の協議でマナグアに置かれることになった。なお,1855年にはアメリカの冒険家W.ウォーカーがニカラグアに少数のアメリカ人とともに到着し,アメリカの支援を受けて翌56年に大統領に就任したが,中央アメリカ各国の連合軍によって打倒された。57年から93年まで保守党政権がつづき,その間に鉄道建設が開始された。…

※「ウォーカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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