ウッチェロ(読み)うっちぇろ(英語表記)Uccello

デジタル大辞泉 「ウッチェロ」の意味・読み・例文・類語

ウッチェロ(Paolo Uccello)

[1397~1475]フィレンツェ画家ゴシック様式風の装飾性と、新しい画法だった遠近法を生かし、「サン‐ロマーノの戦い」など騎馬図を多く描いた。

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精選版 日本国語大辞典 「ウッチェロ」の意味・読み・例文・類語

ウッチェロ

  1. ( Paolo Uccello パオロ━ ) ルネサンス初期のイタリアの画家。フィレンツェに生まれる。科学的遠近法を取り入れ、細部を精密に描写する。代表作は一連の「戦闘図」「傭兵隊長ジョン=ホークウッドの騎馬像」など。(一三九六頃‐一四七五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウッチェロ」の意味・わかりやすい解説

ウッチェロ
うっちぇろ
Uccello
(1397―1475)

イタリアの初期ルネサンスの画家兼モザイク師。ウッチェロ(鳥の意)は通称で、本名をパオロ・ディ・ドーノPaolo di Donoといい、フィレンツェに生まれ、同地に没した。彼はとくに透視画法の研究者としてよく知られており、イタリア15世紀の著名画家の一人にあげられるのは、独自のやや誇張された透視画法の運用によるといえる。彫刻家ギベルティの工房の助手から出発するが、ここでの修業(1407~1414/1415)を経て、1425年ベネチアに赴き、サン・マルコ大聖堂でモザイクの制作に従事した。1431年初頭フィレンツェに帰り、建築家ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロあるいは画家マサッチョといったこの時代の先駆者たちの業績に示された透視画法や解剖学の研究成果を手掛りとして、装飾的かつ写実的な絵画表現を意図していた。その意図が完全に実現されたとはいえないが、彼の大胆な試みの事例とされるのが、ベネチアから帰って着手したフレスコ画ノアの大洪水』そのほかの連作(1431~1450年。フィレンツェ、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂)である。この大作構図および人物像には、それまでに蓄積された彼の手法が端的に示されている。これと前後して『傭兵(ようへい)隊長ジョン・ホークウッド騎馬像』(1436年。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)を制作するが、大理石騎馬像にかわるものとして、視覚的な効果に苦心の跡をとどめている。ウッチェロの代表作『サン・ロマーノの戦闘図』の三部作(1455~1460年。ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ルーブル美術館、ウフィツィ美術館)は、前記『ノアの大洪水』などの大作より5年遅れて着手された。これらの作品では透視画法的に整えられた前景の人馬の細部描写と幻想的な背景が、とくに人目をひくが、この組合せによって超現実的な表現効果が強められている。1465年にはウルビーノに赴くが、晩年の『狩猟図』(オックスフォードアシュモリアン美術館)はそのおりに領主フェデリコFederico da Montefeltro(1422―1482)から委嘱された室内装飾の一部とみなされている。この魅力ある画面には人物、動物の的確な描写、透視画法に則した空間表現など優れた成果が示されている。

[濱谷勝也]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウッチェロ」の意味・わかりやすい解説

ウッチェロ
Paolo Uccello
生没年:1397-1475

イタリアの画家。本名パオロ・ディ・ドーノPaolo di Dono。ウッチェロ(〈鳥〉の意)は通称で,バザーリは,彼が動物,とりわけ鳥を好んで描いたためつけられたと伝える。フィレンツェ生れ。ギベルティの弟子としてフィレンツェの洗礼堂北側門扉の仕上げに携わり,1415年に医薬師組合に,24年に聖ルカ画家組合に登録される。25-30年ころにベネチアに滞在し,サン・マルコ大聖堂のためにモザイク(現存せず)を制作したことが知られる。31年フィレンツェに戻り,長期にわたり大聖堂のために《ジョン・ホークウッド騎馬像》(1436),四預言者の頭像の壁画(1433)や,クーポラのステンド・グラスのカルトン(下絵)などの制作を行う。45年にはパドバに行き,同地のビタリアーニ家に一連の巨人像をキアロスクーロで描いたとされるが現存しない。67-69年ウルビノに息子とともに滞在し〈聖餅の奇跡〉を主題とするプレデラ(祭壇画基部の板絵)を制作。フィレンツェで没。上記以外の作品には,フィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会の回廊に描かれた旧約伝の壁画,メディチ宮の一室を飾った三連作《サン・ロマーノの戦》(1456)などがあげられる。初期の画風は,当時流行の曲線的形態,引き伸ばされた姿態などを嗜好する国際ゴシック様式をいまだとどめているが,やがてマサッチョ,アルベルティらの革新的芸術や理論に触れ,遠近法による合理的空間に記念碑的人物像を配するルネサンス的造形感覚を示すようになる。彼も初期ルネサンスの美術家たちと同様に,あるいはそれ以上に透視図法の探究に熱中する。しかし実作にあたっては,他の画家たちとは異なり,知的遊戯と言えるほどにそれを誇示し,固有色を無視した賦彩と相まって,幻想的で装飾的な画面を作り出した。晩年の《夜の狩猟》(1460ころ)では,さらに装飾性を強め,再びゴシックの世界に戻っている。
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百科事典マイペディア 「ウッチェロ」の意味・わかりやすい解説

ウッチェロ

イタリアの画家。本名パオロ・ディ・ドーノPaolo di Dono。ウッチェロ(〈鳥〉の意味)は通称で,好んで鳥を描いたためつけられたといわれる。フィレンツェ生れ。ギベルティの工房で修業ののち,1425年―1431年ベネチアに滞在し,ピサネロジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの影響を受け,また対象の彫塑的表現や遠近法をもとり入れてフィレンツェ派の基礎を築いた。特に幾何学と透視図法の研究に熱心であり,三次元的な奥行を絵画空間にもたらすために実験的に活用した。現存作品はわずかで,三連作《サン・ロマーノの戦》(1452年―1457年,ロンドン,ナショナルギャラリー蔵,ルーブル美術館蔵,ウフィツィ美術館蔵),フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂内のフレスコ画《ジョン・ホークウッド騎馬像》(1436年)などが有名。
→関連項目サンタ・マリア・ノベラ聖堂

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウッチェロ」の意味・わかりやすい解説

ウッチェロ
Uccello, Paolo

[生]1397. フィレンツェ
[没]1475.12.10. フィレンツェ
イタリアの画家。本名 Paolo di Dono。鳥の描写にすぐれたためウッチェロ (鳥) と呼ばれた。幾何学と遠近法の研究で知られる。国際ゴシック様式を脱してブルネレスキ,ドナテロ,マサッチオによって開発された新技法を用いて北方の精細な自然主義の影響下に装飾的,写実的作品を描く。 1415年聖ルカ画家組合登録。 25~30年頃ベネチアのサン・マルコ大聖堂のモザイク制作。 30年頃フィレンツェへ戻り大理石像的効果をもつ『ジョン・ホークウッド騎馬像』 (1436) を描き,46~48年同市のサンタ・マリア・ノベラ聖堂の修院回廊に『ノアの物語』を制作。ほかに『サン・ロマーノの合戦』3部作 (56頃,ロンドン,ナショナル・ギャラリー,ルーブル美術館,ウフィツィ美術館) など。

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