ポルトガル南部,アルト・アレンテージョ地方にある同名県の県都。人口3万4072(1981)。アレンテージョの台地を見下ろす標高約300mの丘に城壁をめぐらす典型的な城塞都市。ローマ時代にはエボラ・リベラリタス・ユリアEbora Liberalitas Juliaとして知られ,ルシタニアの主要都市の一つであった。1165年に4世紀半におよぶイスラム支配から解放され,以後ポルトガルの国土回復戦争の戦略的拠点となる。アビス朝期にはコルテスが23回召集されたと伝えられ,エボラは政治史上の重要な舞台となる。スペインによるポルトガル併合を経て,ブラガンサ朝以降は宮廷がリスボンにおかれ,エボラの政治的重要性は薄れた。〈博物館都市〉と呼ばれる同市の旧市街には,ローマ時代の神殿遺構をはじめロマネスク様式からロココ様式に至るまで,ポルトガル建築史上の傑作を網羅的に見ることができる。アレンテージョの農牧業産品の集散地としての役割も重要。
執筆者:彌永 史郎
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ポルトガル中南部、アルト・アレンテージョ地方の中心都市。人口4万4627(2001)。リスボンから東方への交通路と、ポルトガル東部を南北につなぐ交通路の交点に位置し、ローマ時代から発達した。1165年イスラム教徒の支配を脱し、ジョアン3世下では宮廷都市として絶頂期を迎え、数々の文人、芸術家を擁したが、スペインとの併合(1663~65)以降は衰微した。マヌエル様式やルネサンス様式の華麗な建造物があり、ダイアナ神殿の遺跡、12~13世紀の大聖堂、考古学博物館などが有名。1986年エボラの歴史地区が世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)として登録されている。
[田辺 裕・柴田匡平]
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…大土地所有制が支配的で,大部分の農民は土地をもたず,地主は近郊の都市に居住する。1974年の革命後多くの集団農場が生まれ,エボラを中心とするアレンテージョは共産党の強力な地盤である。農民は日乾煉瓦やしっくい壁の家に住み,北部の石の文化に対して粘土の文化が支配的である。…
※「エボラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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