エリドゥ(その他表記)Eridu

改訂新版 世界大百科事典 「エリドゥ」の意味・わかりやすい解説

エリドゥ
Eridu

シュメールの都市。守護神は,地下水をつかさどる知恵の神エンキ。シュメール王名表では,大洪水以前に王権が天から初めて下った所であり,創造伝承でも,海の中にエリドゥがつくられたという。ウル第3王朝時代にもペルシア湾に近い港として重要であった。現在名はテルアブー・シャフラインTell Abū Shahraynで,イラクの南東部,ウルの南南西約20kmにある。イラク政府古物局が1947-49年に発掘して,伝承の核に関連する重要な事実を明らかにした。テルの中心部で自然層に達する深層ピットを掘り,I~V層がウルク期,VI・VII層がウバイドII期,VIII~XI層がウバイドI期,XII~XIV層がハッジ・ムハンマド期にあたることが確認されたが,XV~XIX層は初めて発見された文化要素を示すものであり,これにエリドゥ期の名称が与えられた。XVII層以降ほぼ連続して神殿が建設され,シュメール神殿に特徴的な三分配置の構成,祭壇位置扶壁がXI層から認められて,南メソポタミアではウバイド期からシュメール人が居住し,文明の創造を担ってきたというフランクフォートH.Frankfortの説を証明した。ジャムダット・ナスル期以後約1000年の中断ののち,ウル第3王朝時代に聖域を画してジッグラトがこの位置に建設された。聖域は220m×175mを壁で囲まれている。この中心部の南西約50mでウバイド期に属する大墓地を,1km北のテルでは初期王朝期II期末あるいはIII期初めの宮殿を発掘したので,都市エリドゥはかなりの広さを占めていたはずであるが,全体規模はわかっていない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エリドゥ」の意味・わかりやすい解説

エリドゥ
えりどぅ
Eridu

古代のシュメールの都市国家の一つ。エリドゥは、イギリス領事のテーラーJohn George Taylorによって、古都ウルの南約23キロメートルにあるイラク南部のユーフラテス川に近いいまのテル・アブ・シャフライン(イラク)と同定された(1855)。1918年のトムソンReginald Campbell Thompson(1876―1941)に次いで、1947~1949年にイラク古物局の手で本格的な発掘調査が行われた。シュメール人自身の歴史的記憶を編纂(へんさん)した最古の文書「シュメール王名表」には、冒頭に「王権が天から降(くだ)ったとき、その王権はエリドゥにあった」と記されている。発掘調査の結果、シュメール最古の遺構遺物を伴った都市の一つであったことが確認された。すなわち、同地の最初の定住者のエリドゥ期文化(前5300ころ~)から次のウバイド期文化(前4500ころ~前3500ころ)を経て神殿を中心に町から都市への発展の推移が明らかにされた。エリドゥは、天神アン(ウルクの主神)、シュメール・アッカド時代の最高神である嵐神エンリル(ニップールの主神)と並んで、シュメールの三大神をなす水と大地の神であるエンキの聖都であった。

[高橋正男]

 エリドゥの遺跡は、2016年、「南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影」の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の複合遺産(世界複合遺産)に登録された。

[編集部 2018年5月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エリドゥ」の意味・わかりやすい解説

エリドゥ
Eridu

イラク南東部にあったシュメールの古代都市。ウルの南西に位置し,歴代の王をシュメール語で列記した記録であるシュメール王名表における最古の都市としてあがめられた。水の神エンキ(エア)を守護神としてまつる。今日のナーシリーヤ南西約 45kmにあるアブ・シャーライン遺跡がエリドゥとされる。1946~49年のイラク考古局による発掘の結果,先史時代の南部バビロニアにおける最重要都市であることが明らかになり,前5千年紀とみられる砂丘での創建から無文字社会のウバイド期にかけての発展の過程が,幾層にも複雑に重なり合った日干し煉瓦の神殿建築とともに浮き彫りになった。前600年頃まで存続したが,その頃には歴史的重要性は失われた。2016年,同じくメソポタミアの古代都市であるウルとウルク,および生物多様性の顕著なチグリス川ユーフラテス川下流の 4ヵ所の湿地帯とともに,「イラク南部のアフワール:生物多様性保護区とメソポタミア都市群の残存する景観」として世界遺産の複合遺産に登録された。

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百科事典マイペディア 「エリドゥ」の意味・わかりやすい解説

エリドゥ

イラク南部,ウル南方にある古代バビロニア都市跡。1947年―1949年イラク政府古物局の主宰で発掘。水神エンキの聖市として,ニップールと並ぶシュメールの中心都市と推定。

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世界大百科事典(旧版)内のエリドゥの言及

【ウバイド文化】より

…ウバイドIIIは次のウルク期に属する。その後さらに古い文化としてハッジ・ムハンマド出土土器,エリドゥ出土土器を標式とする文化が加えられ,エリドゥの層位を基準として,エリドゥ―ハッジ・ムハンマド―ウバイドI―ウバイドIIの連続関係が確認されたが,各期を同一文化の時期差と見て4期に分け,ウバイド1~4と表記する方法が,現在では有力である。その起源を東方,あるいは北方に求める意見があるが,むしろ1期に先行する文化を沖積地に埋もれた地下深くに求めるのが先決のようである。…

【シュメール】より

…気候は前6000~前5000年ころも現在とほぼ似た半乾燥・亜熱帯状態にあった。この地への人類の居住は,沼沢地の魚,水鳥,ナツメヤシ,野猪に頼る狩猟・採集民によって始まったと考えられるが,前5000年ごろ(前3千年紀半ばまでの年代はなお推測的),最南部のエリドゥの小神殿(1辺3m)に初めて定住の痕跡を残したのは,人工灌漑技術を伴う穀物(大麦,エンマ小麦,小麦),果樹(ナツメヤシ)の栽培者であった。これがウバイド期(前5000ころ‐前3800ころ)初期で,ウバイド期は金石併用期に属し,一般に小集落が主であるが,末期には一部の集落が早くも町邑的規模に達し,エリドゥには基壇上に立つ縦23.5m,横13.5mの壮麗な煉瓦造の神殿が造られた。…

【メソポタミア】より

…シュメール地方では前6千年紀後半のウバイド期(ウバイド文化)にはいってはじめて人間の居住跡が見いだされる。とりわけ最南部のエリドゥではウバイド1期から前4千年紀後半のウルク後期(ウルク文化)に至るまでの時期に,原初的な小祠堂が大規模な神殿へと連続的に発展していた。この事実に注目する学者は,ウバイド期にすでにシュメール文化の原型が成立していたとみなす。…

※「エリドゥ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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