カウリー(英語表記)Abraham Cowley

精選版 日本国語大辞典 「カウリー」の意味・読み・例文・類語

カウリー

(Abraham Cowley エイブラハム━) イギリスの形而上学派の最後詩人。恋愛詩集恋人」、叙事詩ダビデの歌」など。(一六一八‐六七

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改訂新版 世界大百科事典 「カウリー」の意味・わかりやすい解説

カウリー
Abraham Cowley
生没年:1618-67

イギリスの詩人,劇作家,随筆家。Cooleyなる自署が発見されているので,クーリーと呼ぶべきだとの説もある。王党派・英国国教会派寄りの保守的な思想を奉じ,ピューリタン革命で母校ケンブリッジ大学を追われてフランスに亡命。その後も王党派として活動したが,王政復古(1660)となっても自分で期待したほどの処遇は受けなかった。失意のうちに田園に隠棲して文筆専念。《詩集》(1656),《近作詩集》(1663),《詩文集》(1668)などを世に問うたが,その詩の特色機知に頼る表現に見られる。ときにそれが極端に走ったため,後年ジョンソン博士によって悪しき形而上派的奇想metaphysical conceitsの実例として槍玉にあげられたこともある。しかしその時代の一つの詩風のわかりやすい実践であったから,それなりの影響も及ぼし,文学史的重要性も認められる。
形而上詩
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カウリー」の意味・わかりやすい解説

カウリー
Cowley, Abraham

[生]1618. ロンドン
[没]1667.7.28. サリー,チーシー
イギリスの詩人。 15歳でスペンサーにならった『詩花集』 Poeticall Blossomes (1633) を書く早熟さを示し,ケンブリッジ大学在学中に牧歌劇『恋のなぞ』 Love's Riddle (38) ,清教徒攻撃の喜劇『保護者』 The Guardian (41) を出した。 1643年内乱のためケンブリッジを追われ,45年パリ逃亡,王妃ヘンリエッタ・マリアの秘書官となり,困難な外交任務についた。 56年王党派のスパイとして帰国,投獄された。保釈後オックスフォード大学で医学を学んだ。王政復古後は志を得ず,チーシーに隠棲した。最後の形而上詩人といわれ,恋愛詩集『恋人』 The Mistress (47) ,未完の叙事詩『ダビデ讃』 Davideis (56) ,『ピンダロス風オード』 Pindarique Odes (56) などがある。散文名手としても知られ,『散文および韻文によるエッセー』 Essays in Verse and Prose (68) がある。

カウリー
Cowley, Malcolm

[生]1898.8.24. ペンシルバニア,ベルサノ
[没]1989.3.27. コネティカット
アメリカの批評家,詩人。第1次世界大戦に衛生隊員としてフランスにおもむき,1920年にハーバード大学卒業。その後再びパリに渡り,23年帰国。 29~44年『ニュー・リパブリック』誌の編集にたずさわる。みずからもその一人である「失われた世代」についてのすぐれた証言『亡命者帰る』 Exile's Return: A Narrative of Ideas (1934,51改訂) ,評論集『文学的状況』 The Literary Situation (54) ,『窓多き家』A Many-Windowed House (70) などのほか,フォークナー再評価の契機となった『ポータブル・フォークナー』 The Portable Faulkner (46) をはじめとする多くの編著,詩集『青いジュニアタ』 Blue Juniata (29) ,『乾期』 The Dry Season (42) がある。

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百科事典マイペディア 「カウリー」の意味・わかりやすい解説

カウリー

米国の詩人,批評家。第1次大戦に従軍,のち〈ロスト・ジェネレーション〉の1人としてパリでダダイストたちと交遊。一時,左翼思想に近づく。半自伝的な評論《亡命者帰る》(1934年,改訂1951年)のほか,フォークナー再評価に貢献した《ポータブル・フォークナー》(1946年)で名高い。

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