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スペンサー(英語表記)Spencer, Herbert

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スペンサー
Spencer, Herbert

[生]1820.4.27. ダービー
[没]1903.12.8. ブライトン
イギリスの哲学者。学校教育のあり方に疑問を感じ,大学に入らず,独学であった。ダービーの学校教師を3ヵ月つとめたのち,1837~41年鉄道技師となる。その後,『パイロット』紙の記者を経て,48年経済誌『エコノミスト』の編集次長となったが,53年伯父の遺産を相続したため退職し,以後,著述生活に入った。終生独身で,大学の教壇に立たず,民間の学者として終った。進化論の立場に立ち,10巻から成る大著『総合哲学』 The Synthetic Philosophy (1862~96) で,広範な知識体系としての哲学を構想した。哲学的には,不可知論の立場に立ち,かつ哲学と科学と宗教とを融合しようとした。社会学的には,すでに『社会静学』 Social Statics (51) を著わしたが,社会有機体説を提唱した。日本では,彼の思想は外山正一らの学者と板垣退助らの自由民権運動の活動家に受入れられ,『社会静学』は尾崎行雄により『権理提綱』 (72,改訂 82) として抄訳され,また松島剛 (たけし) により『社会平権論』 (81) として訳されたほか,多数の訳書がある。ほかに『教育論』 Education (61) ,『社会学研究』 The Study of Sociology (73) ,『自叙伝』 An Autobiography (1904) 。

スペンサー
Spencer, John Charles, Viscount Althorp and 3rd Earl of Spencer

[生]1782.5.30. ロンドン
[没]1845.10.1. ノッティンガムシャー,クレーワース近郊
イギリスの政治家。ケンブリッジ大学卒業後,下院議員 (1804~34) としてホイッグ党進歩派に加わる。カニング派とホイッグ党の連合には消極的であった。 1830年からホイッグ党の下院指導者となる。 C.グレー内閣のもとで蔵相をつとめ,32年の選挙法改正案の議会通過に尽力。 34年爵位を継いで引退。

スペンサー
Spencer, Sir Stanley

[生]1891.6.30. バークシャー,クッカム
[没]1959.12.14. バッキンガムシャー
イギリスの画家。スレード美術学校に学ぶ。写実的な風景,風俗画を多く描いたが,いずれもきわめて宗教的な内容を秘めている。代表作に『復活』 (1928~29) などがある。これは戦死した兵士の復活を描いたきわめて神秘的,象徴的なもの。 1950年ロイヤル・アカデミー会員に選ばれ,59年ナイトに叙せられた。

スペンサー
Spencer, Sir Walter Baldwin

[生]1860. ストラトフォード
[没]1929.7.14. メルボルン
イギリスの民族学者。メルボルン大学教授。 F.ギレンとともにオーストラリア先住民の研究に従事。主著"The Native Tribes of the Northern Territories of Australia" (1914) 。ギレンとの共著に"The Native Tribes of Central Australia" (1899) がある。

スペンサー
Spenser, Edmund

[生]1552頃.ロンドン
[没]1599.1.13. ロンドン
イギリスの詩人。織物商の家に生れ,ケンブリッジ大学に学んだ。在学中から詩作にふけっていたが,卒業後レスター伯の庇護を受け,やがて P.シドニーと親交を結び,文学者のクラブともいうべき「アレオパガス」を興し,詩集『羊飼いの暦』 Shepheardes Calender (1579) によって名をなしたが,レスター伯が女王の不興を買ったため,スペンサーもロンドンを去り,グレー卿の秘書としてアイルランドに渡り (80) ,1588年にはキルコルマン城を得て植民地の高級官吏としてゆうゆうたる文筆生活をおくり,大作『神仙女王』 Faerie Queeneの最初の3卷を 90年に発表した。宮廷に入ることを念願として,友人 W.ローリーの援助を得て 89年にロンドンに戻ったが,その志を得ずしてアイルランドに帰ることになった。その心境を伝える詩が『コリン・クラウト故郷に帰る』 Colin Clouts Come Home Againe (95) である。これと前後して,エリザベス・ボイルとの結婚をみずから祝福した『結婚祝歌』 Epithalamion (95) ,ウースター伯の娘の婚約を祝う『祝婚前曲』 Prothalamion (96) を書いた。その後アイルランドに暴動が起り,彼は公務を帯びてロンドンに滞在中病死をとげた。代表作『神仙女王』は完成をみず,第7卷の断片までを加えたものが 1609年に刊行されたが,その豊麗なイメージと音楽的な韻律によって 16世紀における最大の英詩とされている。

スペンサー
spencer

18世紀末から 19世紀なかばにかけ,ヨーロッパの男性が着用した短上衣,または女性や子供の着用した極度に短い上衣。この種の上着を初めて着用したイギリス人 G.スペンサーの名に由来する。また 18世紀のイギリスかつらのこともいう。

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デジタル大辞泉の解説

スペンサー(Edmund Spenser)

[1552ころ~1599]英国エリザベス朝時代の代表的詩人詩集牧人の暦」、長編叙事詩「妖精女王」など。

スペンサー(Herbert Spencer)

[1820~1903]英国の哲学者・社会学者。進化論に基づき、宇宙・生物・心理・社会・道徳の諸現象を総合的に説明。また、認識の相対性を主張し、実在本性不可知であるとした。主著「総合哲学体系」。

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百科事典マイペディアの解説

スペンサー

英国の哲学者,進化論的社会思想家。星雲の生成から人間社会の道徳的原理の展開に至るまで,一切を進化の法則のもとに組織的に説明する《総合哲学大系》10巻(1860年―1896年)を著して,社会進化論とそれにもとづく自由放任主義を提唱,20世紀初頭のアメリカや日本で迎えられた。
→関連項目サムナー社会ダーウィニズム社会有機体説政治学不可知論

スペンサー

英国の詩人。シドニーの友人で,〈詩人の中の詩人〉といわれるルネサンス期の典型的人物。1580年から1598年に反乱で家を焼失するまでアイルランドで政治に携わるかたわら詩を書いた。代表作は,エリザベス女王を象徴化し12人の騎士を配した寓意(ぐうい)的物語詩《神仙女王》(7巻未完,1579年から執筆)。ほかに抒情詩《羊飼いの暦》(1579年),《恋愛小曲》など。
→関連項目オベロン

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

スペンサー Spencer, Daryl

1929- 昭和時代後期のプロ野球選手。
1929年7月13日生まれ。大リーグに12年間在籍後,昭和39年阪急に入団。主として二塁をまもり,豪打,猛烈スライディングで旋風をまきおこし,42年阪急の初優勝に貢献。近代野球に精通し,「野球博士」「日本の野球をかえた男」といわれた。実働7年,通算615安打,2割7分5厘,152本塁打。カンザス州出身。ウィチタ大卒。

スペンサー Spencer

?-? イギリスの芸人。
明治23年(1890)横浜公園で軽気球にのり落下傘で降下,話題となる。翌年東京歌舞伎座で「風船乗評判高閣(ふうせんのりうわさのたかどの)」として上演され,スペンサーに扮(ふん)した5代尾上菊五郎が英語で口上をのべた。

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世界大百科事典 第2版の解説

スペンサー【Edmund Spenser】

1552ころ‐99
イギリスの詩人。ロンドンの毛織物業者の子として生まれ,ケンブリッジ大学古典語フランス語イタリア語などを学んだ。卒業後しだいに宮廷詩人としての道を歩みはじめたが,当時の複雑な権力機構のなかで,ついに主流に近づくことはできなかった。1579年から,〈イギリス・ルネサンスの華〉とうたわれるフィリップ・シドニー卿のサークルに入り,華麗な詩才を開花させていく。翌年,このサークルとのつながりもあって,新しいアイルランド総督アーサー・グレー卿の秘書となり,結局,生涯の大半を官吏としてアイルランドで過ごす。

スペンサー【Herbert Spencer】

1820‐1903
19世紀イギリスの哲学者,社会学者。ダービーに教員を父として生まれた。学校教育を受けず,父と叔父を教師として家庭で育った。ロンドン・バーミンガム鉄道の技師(1837‐45)および《エコノミスト》誌の編集部員(1848‐53)を経て,1853年以後死ぬまでの50年間はどこにも勤めず,結婚もせず,秘書を相手に著述に専念した。大学とは終生関係をもたない在野の学者であったが,著作が増えるにつれて彼の名声はしだいに高まり,とりわけその社会進化論自由放任主義はJ.S.ミルや鉄鋼王A.カーネギーをはじめ多くの理解者,信奉者を得て,当時の代表的な時代思潮になった。

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大辞林 第三版の解説

スペンサー【Herbert Spencer】

1820~1903) イギリスの哲学者・社会学者。ダーウィンの進化論に基づいて社会の進化発展を説明、宇宙・生物・道徳・社会にわたる総合的・有機的進歩の法則を主張した。主著「綜合哲学体系」

スペンサー【Edmund Spenser】

1552頃~1599) イギリスの詩人。イギリス-ルネサンス期を代表する詩人の一人。豊かな音楽性で「詩人の詩人」の名がある。代表作「牧人の暦」「神仙女王」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

367日誕生日大事典の解説

スペンサー

生年月日:1893年5月16日
アメリカの画家
1952年没

スペンサー

生年月日:1782年5月30日
イギリスの政治家
1845年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のスペンサーの言及

【服装】より

…女子服でも,ルイ16世時代には,イギリスの婦人乗馬服に由来する〈カラコcaraco〉と呼ばれる丈の短い市民調のジャケットが,パニエを用いずに自然にふくらまされたスカートとアンサンブルで着られるようになる。そのほか,フランス革命期には,イギリスの男子用上衣にヒントを得た,衿つきのボレロ風な〈スペンサーspencer〉も用いられた。この時代には,男女とも初めは頭を小さく見せるように小型の鬘を用いたり,白い髪粉(かみこ)をふりかける風習が流行した。…

【イギリス文学】より

…英詩も,華やかに,のびやかに,成熟した。E.スペンサーの《神仙女王》(1590‐96,1609)では,近代国家としてのイギリスの国力がにわかに充実したことについての誇らかな自覚と,英語を詩的表現の媒体としてしなやかに使いこなせるようになった自信とが,しっかりと結びついている。もちろんそれは〈グロリアーナ(栄光女王)〉としてのエリザベスの宮廷に向けて歌われた。…

【エリザベス時代】より

…また,華麗な文体で書かれたジョン・リリーの恋愛物語《ユーフュイーズ》やフィリップ・シドニーの牧歌的ロマンス《アーケイディア》はイギリス最初の小説として,1611年に公刊された《欽定訳聖書》とともに,文学史上特記さるべき地位を保っている。詩の分野では,絵画的描写と音楽美にあふれたエドマンド・スペンサーの長大な寓意叙事詩《神仙女王》が名高いが,ソネットをはじめとするさまざまな詩形の短い抒情詩も流行した。17世紀にはいると,当時の新旧思想の対立を背景に知的奇想と逆説的機智を特徴とするいわゆる〈形而上詩〉が盛んになり,それを代表するジョン・ダンの詩は20世紀初頭の近代詩運動に大きな影響を及ぼした。…

【神仙女王】より

…イギリス・ルネサンス期を代表する詩人E.スペンサーの寓意叙事詩。第1~3巻は1590年,第4~6巻は96年刊,第7巻は未完。…

【社会進化論】より

… これには二つの流れがあった。一方の代表はイギリスのH.スペンサーであり,彼は,社会は生物進化と同型の原因と理論によって,不可避的に進化し進歩すると考えた。南北戦争後のアメリカは保守的色彩が強まり自由放任経済が歓迎されたため,スペンサーの思想はイギリスでよりもアメリカで受け入れられた。…

【社会発展】より

… この変化の過程を一定の方向に向かっての直線的で累積的なものとしてとらえるのが社会進化論の立場である。その初期の提唱者スペンサーは生物進化論の影響のもとに,社会の進化を強制的協力の支配する軍事型社会から自発的協力が支配する産業型社会への移行とみた。この進化の過程がより望ましく,よりすぐれた社会状態に向けての変化としてとらえられるとき,それは社会進歩と呼ばれる。…

【社会有機体説】より

…その弟子コントは社会有機体l’organisme socialの語を創始し,生物と構成要素の細胞との類比によって社会を超個人的実在であると説き,社会の解剖学的・生理学的研究として社会静学,社会の成長の研究として社会動学を設けた。社会有機体説を論拠づけ国際的に普及させたのはスペンサーで,彼は生物も社会も無機体と異なり,時の経過につれて量が自然に増し,構造と機能とが分化・異質化しつつ,相互依存を強めて全体の統合が進むという共通点があることから〈社会は有機体であるA society is an organism〉と断定し,ダーウィン的な社会進化論を提起した。その後,この説は,シェフレ,リリエンフェルト,ウォルムスなどに継承され,19世紀の支配的な社会理論となったが,20世紀に入って社会の科学的研究が進むにつれ廃れた。…

【進化論】より

…19世紀になり,C.ダーウィンの自然淘汰説の先駆となる研究もいくつかあらわれたが,当時は注目されず,チェンバーズR.Chambersの著作《創造の自然史の痕跡》(1844)が自然神学との混合のような進化論ではあったが,一般の関心をよび多くの議論を起こさせた。C.ダーウィンの進化学説公表の直前にでたH.スペンサーの進化論では,進歩の観念との関係がきわめて密接である。彼は等質の状態から異質の状態に進むことをもって進歩であるとし,生物の進化をその一環として規定した。…

【不可知論】より

…訳語は明治40年代からのものである。ハクスリー以外では,人間の認識を有限なものの経験に制限し,無限で絶対的な神については学的な認識はありえず,ただ信仰による道徳的確信をもちうるのみと説くW.ハミルトン,進化の法則で現象界を説明し認識しうるが,相対的な現象,事実の認識は科学的には思考されえぬ実在ないし力,すなわち〈知られえざるものthe Unknowable〉を前提するとし,現象や事実をその〈表明〉とみなすH.スペンサーなどが不可知論者に属する。すなわち不可知論は,絶対者,無限者は知られえない(知られうるのは有限者,相対者のみである)とするか,理論的・対象的には知られえない絶対的なものが,理論的認識,科学以外の人間の態度にとっては存在すると説くか,二つの型に分かれるのである。…

※「スペンサー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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