ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「カタリ派」の解説
カタリ派
カタリは
Cathari; Cathars
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ギリシア語で「清浄な」を意味するカタロスkatharosに由来するキリスト教の異端。古代のノバティアヌス派やマニ教徒に対しても用いられたが、通常は中世の12、13世紀に北イタリアや南フランスで広く活躍した異端をさす。中世で初めて現れたのは、1151~56年の間のケルンとトリールにおいてであるが、第三ラテラン公会議での破門宣言で広く知られるようになる。多様な名称でよばれ、南フランスではアルビジョア派とよばれることが多い。教義のうえでは、バルカンの二元論的異端ボゴミル派に類似し、事実1167年には同派との組織的連携もあった。アルビジョア十字軍(1209~29)で無残に弾圧され、モンセギュール城の陥落(1244)で終息するが、イタリアでは15世紀まで活動した。
[今野國雄]
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…社会的背景としては教会の封建化,都市の発達による交通の自由のほか,十字軍による東西の交流があげられる。12世紀初めに現れたカタリ派は東方の異端ボゴミル派の支脈であり,マニ教的な二元論的道徳に従って禁欲清浄(ギリシア語でカタロスkatharos)の生を営み,独自の教階制を立てて世俗化した教会に対抗した。またワルド派は,リヨンの富裕な商人だったワルドーが1176年の飢饉にさいして財産を貧者に与えて無一物となり,使徒的生活を人々に説いて回ったことから生まれたもので,多くの類似の運動を合わせ,時にはカタリ派をも引き込んで,ドイツ,イタリア,ハンガリーに進出した。…
…運動は都市コムーネの形成にかかわり,支配階層の封建的制約から解放される社会運動的色彩も帯びた。12世紀にはパターリアは異端的傾向を強め,異端のカタリ派を示す名称ともなり,14世紀には総称的に異端者を示す言葉として使われた。【佐藤 真典】。…
…近代フランス語の祖となったオイル語に対して,オック語は同化されつつも存在を保ち,のちに19世紀に復興の試みが行われることになる(オクシタン)。 ラングドック文化の隆盛は,12世紀後半から浸透したキリスト教異端のカタリ派にもみられる。マニ教的な善悪二元論と厳格な禁欲と集団規律をもったカタリ派は,現世の欲望ばかりか教会組織の権威をも否定して,ローマ教皇庁に激しく対立するに至った。…
※「カタリ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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