托鉢修道会の一つ。〈説教者兄弟修道会〉ともいう。カスティリャの名門出身のドミニクスがオスマ司教ディダクスとともにトゥールーズで組織した修道者団体を起源とし,1216年教皇ホノリウス3世の認可によりアウグスティヌス律修参事会則を採用して正式修道会となった。〈清貧〉主義の実践と神学的内容の豊かな説教活動を使命とし,まず南フランスの異端アルビジョア派の改宗運動にとりくみ,当時フランス王権の南フランス進出に便乗してくりかえされていた北フランス諸侯による武力弾圧(アルビジョア十字軍)とは関係なく,プルイユ(トゥールーズ付近)の女子修道院と協力して平和的手段による説得につとめ,異端者の教会復帰に効果をあげた。
ドミニクスの晩年に作られた〈会憲〉(1221)に見られる修道会管理組織は,全ヨーロッパと中近東にまたがる多数の管区に分かれ,任期制の管区長の統率下に修道院・小修道院の階層的ネットワークをなし,中央には終身制の総会長が全会員の師表と仰がれて指導にあたり,封建制社会におけるキリスト教の世界に精神的影響力を有するようになった。修道生活の日課にも新しい試みがなされ,あえて祈りと労働の時間を短縮して研学と観想にあて,当時繁栄期にあった都市の市民階層を対象とする教化活動に資するため,パリやオックスフォードなどの大学都市に高等研究所,各管区に付置研究所を設立し,各修道院には〈教会博士〉を配属するなどアカデミックな側面を特色とした。1229年以来パリ大学神学部に一講座を常設してスコラ学の中心となりトマス・アクイナスらの碩学を生んだ。教会法の分野でもペンニャフォルトのライムンドゥスRaimundus de Peñafortなど偉才が出て異端審問制度の権威となった。神秘思想ではエックハルトらが現れ,その一人であるシエナの聖女カタリナは一般信徒の信仰生活を鼓舞する〈第三会〉会員であった。この修道会は〈正統教理の不休の守護者〉と評価される。なお同会は1601年(慶長6)に初来日した。
執筆者:橋口 倫介
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1216年に教皇ホノリウス3世の認可の下にドミニクスによって創立された修道会。正式会名は「説教者会」であり、フランシスコ会とともに托鉢(たくはつ)修道会ともよばれる。説教者会の精神は、「観想し、観想の果実を他の人々に伝えよ」ということばに表現される。共同生活、祈り、神学研究と三誓願(せいがん)(従順、清貧、貞潔)によってキリストの観想を深めつつ、同時に西欧全土を旅して説教を行い、またパリ、ボローニャ、ローマなどの大学を中心に神学的啓蒙(けいもう)運動を展開してきた。
キリストの真理を伝えようとするこのドミニコ会の理想は、プリズムによって光が多彩に分割されるように無数のドミニコ会士によって歴史のうちに生かされてきた。トマス・アクィナスは神学を、エックハルト、H・スーゾーらは神秘的観想を、フラ・アンジェリコは宗教的美を生き伝え、他方シエナの聖女カタリナはアビニョンの教皇を動かし、サボナローラの弁舌は宗教改革の先駆ともなった。日本には17世紀初頭のキリシタン時代に伝来、今日では仙台、福島、東京、京都、愛媛、福岡などで布教している。学校は聖トマス学院(京都市)がある。
[宮本久雄]
『J・G・バリエス編『星に輝く使徒』(中央出版社・中央新書)』▽『今野國雄著『修道院』(岩波新書)』
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スペイン人司祭ドミンゴにより1216年設立されたカトリック修道会。日本では1602年(慶長7)薩摩での活動を皮切りに,肥前・京都・大坂へ宣教を拡大した。その後江戸幕府によるキリシタン禁制政策が本格化したが,会士7人が日本に残留し,弾圧下のキリシタン組織として各所でロザリオの組を組織指導した。多くの殉教者を出しながらも37年(寛永14)まで活動が続いた。1904年(明治37)布教再開。
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… 〈九十五ヵ条〉は,このように教皇庁財政の手段と化していた贖宥状販売への批判にとどまるものではなく,教皇権の本質とキリスト信仰の中核にかかわる重大な論点を含んでいたため,ルター自身の予想をはるかに超える広い反響を呼び起こした。当初ローマ教皇庁はこの事件をたいして問題にせず,ルターの側でも論題の真意を詳しく解説した書物を公にして,教皇の理解を求めたが,贖宥状販売に直接かかわっていたドミニコ会の神学者たちとの論争を通じて,双方の対立は時を追って厳しくなり,ドミニコ会の告発で,翌18年6月には,ルターに対する異端審理がローマで開始される。そして19年6~7月,教皇側の最も有力な正統神学者エックとの間に,ライプチヒで行われた討論会(ライプチヒ討論)において,ルターがついに教皇の至上権を明確に否認し,公会議も誤りを犯す可能性があり,フスの学説にも福音的なものがあると公言するにおよんで,ローマ教会との決裂は事実上とり返しのつかぬものとなった。…
…13世紀初めの西ヨーロッパで革新的なキリスト教信仰生活をめざした新形式の修道会の総称。フランシスコ会,ドミニコ会,カルメル会,アウグスティヌス会などがこれに属する。これらの修道会は,中世初期以来のベネディクト会系の修道院が民衆から隔絶した場所に定住し,しかも有力信者からの寄進を受けて富裕化,世俗化したのに対して,その生活方式を根本的に異にし,個人・共同体ともに財産を所有せず信徒からの喜捨にたよる〈清貧〉の精神を重視した。…
…説教者兄弟修道会(ドミニコ会)の創立者,聖人。ドミニク(英語,フランス語),ドメニコ(イタリア語),ドミンゴ(スペイン語)ともいう。…
…初期の熱っぽい宣教への意欲はその対象を失って後退し,代わって都市部を中心に司教または大司教を長とした教会の組織化が進んだ。この推移の中で初期宣教の主役を担ったフランシスコ会やドミニコ会などの修道士に代わって,司教以下の教区付聖職者がインディアス教会の主導権を握った。この間,両者は司牧権の移行をめぐって激しく対立したが,独立性の強い修道会を敬遠する王権が人事権をはじめ統轄のより容易な教区付聖職者に荷担したために,抗争の勝敗はおのずから明らかであった。…
※「ドミニコ会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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