ネパール王国の首都。都市域人口67万(2001)。ネパールの中央部東,バグマティ県(アンチャル)内のカトマンズ盆地(ネパール盆地)の西寄りに位置し,標高1300m前後。盆地には行政的には三つの郡(ジッラ)が含まれるが,カトマンズ市を中心とする郡も〈カトマンズ〉の名をもつ。この郡の人口は約42万,3郡の合計人口は約77万である(1981)。カトマンズ市は国内政治・行政の中心で,各種官公庁が多く,また近年,外国公館,援助機関なども増加している。工業は未発達で織物,マッチ,靴製造など軽工業が少々見られる程度であるが,商業は地域の中心として活況を呈している。特に最近まではインド,チベット間の中継交易が重要であった。ここでは紀元前後からインドの影響を受け,独自の文化が培われてきた。建築,彫刻,金属細工などは有名であるが,そのような文化の経済的基盤としては,盆地の肥沃な土壌に依存する稲,小麦を中心とする農業も見のがせない。盆地はまた,仏教,ヒンドゥー教双方の聖地で無数の寺院があり,祭りの折にはインドからの巡礼を含む信者でにぎわう。また近年,観光都市,登山の基地として外国人をひきつけている。カトマンズは古来ネワールの人々の世界であったが,18世紀のグルカ勢力による征服すなわち現ネパール王国の創設以来,一種の重層社会が出現しており,ネワールの人々よりも,グルカ勢力の中心であるバウン,チェトリなどのカーストの人々が優位に立つという形になっている。この重層性は都市形態面にも見られ,3~4階の煉瓦建ての家々が路地に面して連なるネワールの旧市街と,まわりの独立住宅の散在する新しい住宅地とが明瞭な対照をなす。また言語面ではバウン,チェトリの母語ネパール語Nepālī(インド・ヨーロッパ語系)を国語とするネパールの,首都の住民が全くそれと異なるチベット・ビルマ語系のネワール語Newārīを日常的に用いるという現象も現れている。
執筆者:石井 溥
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ネパールの首都。この国の政治、文化、商業、空陸交通の中心地である。人口67万1846(2001)。古くからネパール谷とよばれてきた盆地の中心にあり、周囲を山に囲まれている。ガンジス川の一支流バグマティ川の右岸、標高1350メートルに位置する。古名をカンティプルといい、中世のマッラ王朝(13~18世紀)の時代に発展した。王朝分裂後もパタン、バドガオンとともにマッラ三王国の一つとして繁栄し、18世紀後半ゴルカ王の侵入と統一後は、ゴルカ(シャハ)王朝の国都となり、現在に至っている。盆地の先住民はチベット・ビルマ語系のネワール語を母語とするネワール人で、その工芸や商才にたけた能力は、今日まで歴史的建造物や都市計画を残している。旧市の中心は古い寺をもつダルバール広場で、タレジュ寺、破壊の神カーラ・バイラブ、九重の塔をもつハヌマン・ドーカ旧王宮、生き神様クマリ(ネワール人の娘から選ばれ、初経〈初潮〉をみるまで務める)の住む寺などがある。市の東郊にヒンドゥー教の聖地パシュパティ・ナート寺、北東郊外にチベット仏教のボードナート寺、西方の丘上にチベット仏教の大塔や寺、ヒンドゥー教の寺をあわせもつスワヤンブナート寺があり、巡礼者が絶えない。これらの歴史的文化財とヒマラヤ登山の入口にあたるため、国際観光都市として名をあげている。またネパール近代化の中心地として、バラジュの工業団地をはじめ、いくつかの工場も建設された。
[高山龍三]
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【ネパール】
集落や住居の構成はネワール族とその他の部族でまったく異なる。ネワール族は北方のチベット文化と南方のヒンドゥー文化の影響の下にカトマンズの谷に独自の混合文化を開花させたが,その基盤を築いたのはマッラ朝である。マッラ朝は13世紀から18世紀までの約550年間続き,この間にヒンドゥーの社会制度,宗教,思想などがカトマンズの谷にもたらされた。…
※「カトマンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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