出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
イギリス,ランカシャーのベリー生れの織布工で,飛杼(とびひ)flying shuttleの発明者。ケイははじめ毛織業に従事する織布工であったが,織機の部品製造も行い,1730年には毛糸の梳毛(そもう)・粗紡の新方式を発明するなど機械工でもあった。当時の織機は,横糸を通すには片手で杼を投げ,もう一方の手でそれを受け止めるものであり,広い布を織る場合は2人の人間がこの作業に必要であった。ケイは杼に車をつけ,すべり溝を動くようにし,布の両端に杼箱をすえた。この杼箱は,引綱を引くと中にある杼が飛び出し,反対側の杼箱に飛び込むようになっており,引綱を引くだけで,杼の往復運動が行われるものである。これは,織幅の広い布を1人の人間で織ることを可能にし,また織布速度を高めることとなった。しかも,それまで人間の手作業であったものを織機の機構の中に組み入れるということは,本格的機械の登場という大きな意味があり,イギリス産業革命の開始を準備するものであった。ケイの発明は織布工の職を奪うものとして仲間から非難され,リーズへ移る。その地の業者たちはケイの飛杼を使用するが,使用料は払わず裁判となり,ケイは訴訟費用を負担しきれず破産する。故郷のベリーに戻った後も暴動にあうなどし,逃れるためフランスへ渡り,そこで没するという不遇の生涯であった。しかし,ケイの飛杼はしだいに普及し,織布工程の高率化は,必然的に紡績工程の改善を迫ることになり,全繊維産業の大きな変革の突破口を開いたのである。
→紡績
執筆者:奥山 修平
スウェーデンの女流思想家・教育者。スモーランド州の名門に生まれ,自由で高尚な雰囲気の家庭で育った。19世紀末から20世紀初頭にかけてスウェーデンの経済構造の急激な変化の過程で,とくに婦人と子どもの生活に深い関心をよせ,教育論,結婚論,婦人運動論を展開した。主著の一つ《児童の世紀》(1900)は,20世紀が子どものための世紀にならなければならない,と宣言して世界の新教育運動に思想的指針を与えた。日本でも1906年に大村仁太郎がドイツ語版から,16年には原田実が英語版から訳出して,大正期の児童中心主義的立場に立った教育改造運動に大きな影響を与えた。79年には国際児童年を記念して小野寺信・百合子による原典からの翻訳が出版された。子どもが愛に満ちた結婚によって生まれ,幸福に育てられることを要求する権利を有するというのがケイの思想の出発点で,女性解放における〈母性の尊重〉を強調した。
執筆者:中野 光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
飛杼(とびひ)(シャットル、シャトル)の発明者。12人兄姉の末っ子としてイギリスのランカシャーに生まれる。近くのベリーの町の織物用の筬(おさ)職人の徒弟に入り、独立後、従来のアシの茎にかわって針金製の筬を発明する。これによって経糸(たていと)の切断が減少して生産性があがり、福音を受けた織工たちに「ケイの筬」として知られるようになった。1733年彼の名を不滅のものとした飛杼を発明する。これは、従来、手で投げ入れていた緯糸(よこいと)用の杼を紐(ひも)で左右に飛ばす画期的なもので、後の力織機出現への道を開く大発見である。性能の優れていることが認められるにしたがい、職を奪われることを心配する織工たちから迫害を受け、1747年にフランスに逃れ、そこで二つの特許をとった。その一つは杼の中に入れるボビンへの糸の巻き方で、これによって緯糸の切断が減少し、飛杼としてのいちおうの完成をみた。イギリスでの飛杼の普及状況視察のため1753年ベリーの自分の家へ戻ったとき暴徒に襲われ、家財や織機を破壊され、かろうじて逃げ出すという災難に遭遇した。
飛杼はイギリスでは順調に普及していくが、皮肉にも逃避先のフランスではむしろ失敗に終わった。失意と貧困のうちに、だれにも知られることなくフランスで死んだ。1764年没とされているが異説もある。
[篠原 昭]
スウェーデンの思想家、教育家。20世紀初頭のスウェーデンは工業近代化の過渡期にあり、女性、児童からの労働搾取が激化していた。彼女は、これがかえって労働者全体の賃金低下を招き、家計を助けるためにいっそう女性、児童の労働に頼らざるをえなくなる悪循環をもたらしたと分析する。とくに、これが母性を冒し、したがって家庭教育不在と学校教育偏重の弊害をもたらしたと批判する。ケイはこのように女性、教育、労働などの諸問題の構造的な性格をとらえ、総合的、相即的な論究を行った。その論究の目的は、当時の社会全般にあったキリスト教教義と現実の生活との二元的分裂、およびそれに伴う退廃を克服するために一元的な思想基盤をつくることであった。この点で彼女にとくに影響を与えたものに、ダーウィン、スペンサーの進化論、ニーチェの精神的進化論、ゲーテの人本主義、ルソーの自然教育論がある。彼女はその思想基盤として「生の信仰」を提唱し、母性尊重、家庭教育の重視、児童の自由で自発的な活動の重視などを論じた。とくにその母性至上主義は以後の女性運動の思想的支柱の一つとなり、日本でも平塚らいてうらの女性運動家に影響を与えた。
[池田久美子]
『エレン・ケイ著、小野寺信・百合子訳『恋愛と結婚』改訂版(1997・新評論)』▽『エレン・ケイ著、小野寺信・百合子訳『児童の世紀』(冨山房百科文庫)』
アメリカのバレリーナ。本名ノラ・コレット。ニューヨーク生まれ。15歳でアメリカン・バレエ・シアターのレギュラーメンバーになり、アンソニー・チューダーの『火の柱』、アグネス・デミルの『フォール・リバー物語』に出演、脚光を浴びた。1951年から数年間ニューヨーク・シティ・バレエ団に在籍し、ジェローム・ロビンズの『檻(おり)』などを踊った。53年(昭和28)に初来日、61年に引退した。後進の指導にあたるかたわら、夫の映画監督ハーバート・ロスの『愛と喝采(かっさい)の日々』『ニジンスキー』など、映画のプロデューサーとしても活躍していた。
[市川 雅]
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1704頃~64頃
イギリスの発明家。1733年に特許出願した飛杼(とびひ)の発明により,織布工程の能率増進に大きな貢献を果たし,産業革命を準備した。しかし旧来の織布工の反対を受け,採用した織元も使用料を払わなかったため,晩年フランスで窮乏のうちに死去。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…トンキンニッケイ(東京肉桂),ケイ(桂)ともいう。クスノキ科の常緑樹。…
…細い根を赤紙で束ねたものを〈にっき〉と称して,昔は子どもの菓子として駄菓子屋や縁日でよく売られていた。主成分はケイ(桂)皮アルデヒドで,ほかにタンニンを含む。 シナモン(セイロンニッケイ)C.verum J.Preslはインド南部,セイロンに分布する常緑小高木で,熱帯各地で栽培される。…
…1801年から04年にかけてフランスのJ.M.ジャカールは彼らの装置を改造,さらに発展させ,今日のジャカードの基本技術を作りあげた。一方,イギリスでは1733年,ケイJohn Kay(1704‐64)が飛杼装置を発明し,力織機発明の端緒を作った。これは,ひもを引くことにより杼箱の中からシャットルをはじきだすもので,緯入れ,緯打ちの能率は飛躍的に増大した(日本ではこの装置をバッタンと呼ぶ)。…
…1801年から04年にかけてフランスのJ.M.ジャカールは彼らの装置を改造,さらに発展させ,今日のジャカードの基本技術を作りあげた。一方,イギリスでは1733年,ケイJohn Kay(1704‐64)が飛杼装置を発明し,力織機発明の端緒を作った。これは,ひもを引くことにより杼箱の中からシャットルをはじきだすもので,緯入れ,緯打ちの能率は飛躍的に増大した(日本ではこの装置をバッタンと呼ぶ)。…
…ところが18世紀後半以後,イギリスで綿織物をつくるための種々の機械がつぎつぎと発明され,綿織物生産は飛躍的に増大するとともに,綿織物工業は産業革命の重要な担い手ともなった。すなわち1733年のJ.ケイの飛杼(とびひ)の発明に始まった織機の改良は,64年J.ハーグリーブズの数個の紡錘をもつ多軸紡績機の発明,68年のR.アークライトによる水力紡績機の発明,さらに85年E.カートライトの蒸気機関を利用した力織機まで続き,綿織物工業は産業革命期のイギリスにおいて飛躍的な発展をとげた。 その後,綿織物工業はイギリスから他のヨーロッパ諸国,そしてアメリカに普及し,とくに19世紀末あたりからはアメリカ南部の綿花地帯に盛んになっていった。…
…児童が人として尊重され,物心両面における健全な環境のもとで養育され,健やかな成長が保障されることを理念とした児童福祉が日本の社会福祉政策の一環として確立したのは第2次大戦後のことである。 スウェーデンの女流思想家エレン・ケイは,1900年に《児童の世紀》を著し,婦人の地位向上は女権解放でなく母性の実現にあるとして,健全な母性のあり方に深くかかわる児童の健やかな発達に世界の未来がかかっていることを説き,児童福祉,児童教育界に大いなる影響を与えた。日本では第2次大戦前までは児童に固有の人権があるという考えに乏しく,忠・孝の倫理によってその個人としての発達を抑制されていたといってよい。…
…フランスの空想的社会主義者フーリエは《四運動の理論》(1808)で,社会の進歩と女性の解放は比例するといい,イギリスの功利主義者ジョン・スチュアート・ミルは《女性の隷従》(1869)で,奴隷制から自由な社会へという人類史の延長線上に女性解放をおこうとした。《恋愛と結婚》(1903)を書いたスウェーデンのE.ケイは,歴史は恋愛と結婚の自由に向かって進んできたとする立場から女性解放の方向性を示した。マルクスとともに史的唯物論を樹立したエンゲルスは,ルイス・モーガンの《古代社会》(1877)の人類学的成果をとりいれ,《家族,私有財産,国家の起源》(1884)において,性差別の起源は人類初期の段階で母権制が私有財産に基礎をおく父権制に取って代わられたことにあるとし,私有財産が廃棄される未来社会で女性は解放されると説いた。…
※「ケイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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