翻訳|common law
イギリスで主として12世紀後半から約1世紀間に成立した王国共通法を基礎にしている法体系。
12世紀後半のイギリスでは,アングロ・サクソン時代からの地域共同体の裁判所およびそのつかさどる法や,封建制の発展に伴う農民に対する荘園裁判所あるいは封主封臣関係に基づく封建裁判所およびそのつかさどる法が,一般的な裁判所および法であり,国王の裁判所および王国に共通する法はむしろ例外であった。しかし12世紀後半のヘンリー2世時代に国王裁判所においては,増大した国王権力を背景にして,当時一般的な審理方式であった神判に代わる合理的な陪審による審理等,新訴訟手続や裁判制度の改革が行われた。そのために国王裁判権は,封建裁判権および地域共同体の裁判権を犠牲にして,飛躍的に増大し,その結果,国王裁判所の判決例を基礎に,各種の封建裁判所や地域共同体の裁判所がつかさどる法とは異なり全王国に共通の法が漸次作られてきた。これが近代の二大法系の一つとされるコモン・ローの起源であり,基礎である。
この後コモン・ローは,その一応の確立期である13世紀末ごろから固定化の傾向を見せ始め,それにつれて漸次動きつつある現実を規制するのに必ずしも十分でなくなってくる。ここに,この間のずれを,衡平感情や正義感ないしはヨーロッパ大陸で一般的に用いられつつあったローマ法を基礎にして,埋めないしは補正していく必要が生ずるが,イギリスではこの仕事はコモン・ロー裁判所とは別の組織である国王評議会,さらにはそこから派生した裁判所が担った。その際これら新裁判所は,当然のことながらコモン・ローやその手続にのっとらずに裁判を行った。この代表的なものが,国王評議会の有力成員である大法官Chancellorが担ったコモン・ローの補正としての衡平(法)および大法官府裁判所の起源である。後にはこの判決例も漸次集積し,コモン・ローとは別体系の一種の法,すなわち衡平法を形成するに至った(15世紀以後)。このような新裁判所および新しい法の生成の動きに,今までコモン・ローおよびコモン・ロー裁判所に寄生し,むしろ現実に見合った形の改革をその職業上の利益から妨げてきたコモン・ロー法曹が,みずからの職業を脅かされて重い腰を持ち上げ,改革に乗り出す(16世紀以後)。その際コモン・ロー法曹は多くの場合に議会制定法を借りずに,既存の法形式をそのまま存続させながら擬制fictionを用いて実質的には法の内実を改革した。その結果,コモン・ロー裁判所は再び法的紛争の大きな部分を処理するようになるが,この近代化の特殊性から,コモン・ローはヨーロッパ大陸法には見られないほど中世的性格を残し,また複雑なものとなった。さらに産業革命後は,このような性格の法を,急激な勢いで複雑さを増していく現実生活に適合させるには,今までどおりの方法ではまにあわなくなり,今度は主として議会制定法により,大きな改革を行っている。
以上のようなコモン・ローの発展に応じて,コモン・ローにはまず第1に,一地方のみに用いられる地方法に対して王国共通の(common)法という意味がある。第2に,コモン・ロー成立時においては独立の汎ヨーロッパ的キリスト教世界国家を形成していたともいえる教会の法に対して,世俗の国王によりつかさどられる法,すなわち世俗法という意味がある。第3に,13世紀ごろから徐々に増え,不文の判例法であるコモン・ローに対して補充・修正する役割をもつに至る成文法,とりわけ議会制定法に対し,不文法という意味で用いられることもある。さらに第4にコモン・ローの語は,厳格で形式的なコモン・ローに対しての補正として後に生じてくる衡平法に対して用いられることもある。そして最後に最も広義ではコモン・ローは,以上のような形でイギリスに生じた法体系の全体が,近代においてイギリスが世界帝国になり世界各地に多くの植民地を作り,それとともにその植民地に移植されるに伴い,フランスやドイツを中心に近代において継受されたローマ法を基礎にして同じく近代世界の多くの地方の法として用いられている法体系であるローマ法系ないしは大陸法系と対比されて,近代の二大法系の一つの呼称としても用いられている。日本ではこの場合は,大陸法系に対して英米法系と訳される場合が多い。コモン・ローとは以上のようにかなり多義的な語である点に留意しておく必要がある。
コモン・ロー法系は大陸法系に対して,判例法主義,陪審制,司法の優位,法曹一元,歴史的連続性など多くの特徴をもっている。しかし複雑な現代の法生活に,例えば陪審制,判例法主義が必ずしもそぐわなくなり,陪審の制限・部分的廃止,あるいは判例法の整理・統合による法典化の動きが見られるなど,コモン・ロー体系も大きく動きつつあるように思われる。この傾向は,同じコモン・ロー法系の中に属しながらもとりわけ伝統主義の強かったイギリスに多く見られるように思われる。
執筆者:小山 貞夫
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普通法と訳されることがある。広義にはローマ法、大陸法などに対して、英米法一般を意味するが、もともとはイギリスにおいて一般的慣習法という意味で、国王裁判所が運用した法をさした。ついでコモン・ロー裁判所が運用した判例法の意味に用いられ、さらに、この意味のコモン・ローとエクイティをあわせて、制定法に対して、判例法あるいは非制定法をさす場合にも用いられる。
[堀部政男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリスで行われている法体系。王国の全体に「共通の(コモン)法」というのが,もとの意味。ほぼ12世紀後半からの1世紀間に,国王裁判所において先例にもとづいて体系化された。判例尊重主義であったため,その欠陥を補うことを目的に15世紀以降に衡平(こうへい)法が導入され,また近世に入って議会制定法の果たす役割も大きくなったが,これに対してコモン・ローは慣習法である非成文法として,英米の基本的な法体系を形づくっている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…イギリス法――イングランドとウェールズの法――およびその影響を強く受けた法の総称。コモン・ローという言葉がこの意味で用いられることもある。各国の法は,その歴史と特徴から,いくつかのグループ――法系――にまとめることができるが,英米法は大陸法と並んで現在の世界における二大法系の一つである。…
…英米法系で,厳格法たる普通法,コモン・ローと対比され,もともとは衡平・正義感を基準にしてのコモン・ローの補正原理であったものが,判例法として凝固してでき上がった法の総称。すなわち衡平法とは,厳格で形式的・一般的な法に対して,個々の事件のもつ特殊性を重視し,普遍性のゆえに不完全となりうる法を具体的に補正する原理であったエクイティ(衡平)が,イギリスにおいては特殊な歴史的理由から,法をつかさどる裁判所すなわち各種のコモン・ロー裁判所とは別の裁判組織で体系的につかさどられるうちに漸次固定化・組織化され,コモン・ローとは別ではあるが同じような一種の実定的な判例法になってきたものを呼ぶのである。…
… それに対して,厳格に定義されたことばによって正確に表現された一連の一般的規範を判断規準とすることが要請されており,それらの規範を,(それらの規範および事案の)一般に了解されている意味に即して事案に適用することによって法的判断を形成するべきものとされている場合には,法的判断は,事案が法規範という枠に適合しているか否かの形式的判断によって形成されることになり,同時にその枠およびその適用が意味的に事件の内容に即したものとなるため,形式的で合理的な裁判と呼ばれる。 この型の裁判は,西欧に特有のものとされており,古代ローマ法や13世紀以降の先例を中心とするイギリスのコモン・ローにおいて高度に発展したが,とくに19世紀後半以降の法典を中心とするドイツ法においてさらに高度の展開をとげた。そこでは,あらゆる法規範が,その論理的意味解明をとおして相互に演繹・帰納の関係で結合された矛盾のない階統的な体系へと整序されており,社会で発生するあらゆる法的争点に対して既存の法規範体系からの論理的操作によって解答を与えうるとされた。…
…国王の外交や課税問題における独断専行に対して議会は抵抗を試みたが,国王は議会の解散をもってこれにこたえた。議会を中核とする抵抗運動のよりどころになったのは,ピューリタニズムとならんでコモン・ロー(慣習法)であり,法律家E.クックを中心に〈法の優位〉を主張する声が高まった。かくて議会を中心にジェントリー,コモン・ロー専門家,ピューリタンの3者が共同戦線を組んで,国王と宮廷に挑戦した。…
※「コモンロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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