コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

サラマンカ サラマンカ Salamanca, Daniel

9件 の用語解説(サラマンカの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サラマンカ
サラマンカ
Salamanca, Daniel

[生]1869
[没]1935
ボリビアの政治家。大統領 (在任 1931~34) 。 1931年チャコ地方の領有権をめぐって対立していたパラグアイと外交関係を断ち,32年宣戦した。しかし,ボリビア軍の大敗,財政難などのため,34年政権を失った。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

サラマンカ
サラマンカ
Salamanca

スペイン北西部のカスティリア・レオン自治州サラマンカ県の県都。ドーロ川の支流トルメス川北岸,標高約 800mに位置する。12世紀以降レオン王国の主要都市となり,1218年創立のサラマンカ大学は 16世紀末までヨーロッパ学術発展の中心の一つとなった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

サラマンカ
サラマンカ
Salamanca

メキシコ中部,グアナフアト州南部の都市。メキシコ市の北西約 260kmにあり,レルマ川にのぞむ。標高約 1720m。メキシコ高原南西部を占めるバヒオ呼ばれる肥沃な農業地帯の中心都市で,小麦,トウモロコシ,豆類,果実などを集散し,市内には製粉,繊維,なめし皮,陶器,化学などの工場があるほか,石油精製工場も立地する。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

サラマンカ(Salamanca)

スペイン西部の都市。13世紀初めに創立されたサラマンカ大学がある。旧市街は、1988年、世界遺産文化遺産)に登録された。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

サラマンカ

スペイン北西部,カスティリャ・イ・レオン自治州の州都。農産物取引の中心で,製粉・醸造・皮革工業行われる。12世紀の大聖堂,サラマンカ大学(13世紀創立)がある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

サラマンカ【Salamanca】

スペイン北西部,レオン地方の同名県の県都。人口13万9634(1982)。トルメス河畔に位置し,イベロ族の重要な居住地であった。半島中央から西部および北西部へと至る交通の要所にあり,ローマ帝国時代はサルマンティカSalmanticaとして知られた。国土回復戦争においては,ドゥエロ川を渡河して攻め込むキリスト教徒軍に対し,徹底抗戦したイスラム教徒の拠点となった。コムネロスの反乱(1519‐21)では,カルロス1世に反旗を翻し敗れたが,18世紀初頭のスペイン継承戦争に際しては,フェリペ5世を支持し,カスティリャの陣営に加わった。

サラマンカ【Salamanca】

メキシコ中央,グアナフアト州の工業都市。人口12万3190(1990)。レルマ川右岸に位置し(標高1800m),肥沃な集約的農業地域バヒオの一中心地であったが,メキシコ北部地域への石油の流通拠点として,石油公社ペメックスが精油工場を建設してからは,関連産業の発達とともに工業都市に大きく変貌している。タンピコ,ベラクルスの石油地帯からパイプラインが引かれ,多くの労働者が流入している。【栗原 尚子】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

サラマンカ【Salamanca】

スペイン西部の都市。一三世紀に創設されたサラマンカ大学がある。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サラマンカ
さらまんか
Salamanca

スペイン中西部、レオン地方サラマンカ県の県都。ドゥエロ川支流のトルメス川右岸、標高803メートルに位置する。人口15万6368(2001)。周辺の広大なメセタ(台地)で栽培される小麦、豆類などの農産物の集散地で、商業、農産物加工および化学・繊維工業も行われる。13世紀初頭アルフォンソ9世創設のサラマンカ大学の所在地で、当時、大学はオックスフォード、パリ、ボローニャと並ぶ第一級の大学として広く知られ、16世紀には7000人の学生が在学した。大学の設立によって町はヨーロッパ有数の学術、文化の中心地として栄えた。今日では中世の建築物を多く残す歴史的都市で、歴史上の人物の彫像があるアーケードに囲まれた中央広場(1720~30建設)がその中心である。市街の南には、12世紀ロマネスク様式の旧聖堂と16世紀ゴシック様式の新聖堂が相接して建ち、その西方に中世の大学の建物が残る。このほかにもローマ時代の橋や劇場など、歴史的名所、旧跡が多い。旧市街は1988年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

古代にリグリア人、ついでケルト人が居住したといわれる。紀元前217年にカルタゴのハンニバルがこの町を破壊してローマに迫ったが、第二次ポエニ戦争でローマの属領となり、ルシタニアの一部となった。この時代にサルマンティカSalmanticaとよばれ、セビーリャまでの「銀の道」の経由地として発達した。西ゴート人の支配後、7世紀のトレド宗教会議で司教管区となったが、その後11世紀までイスラム教徒に占領され、12世紀初頭アルフォンソ6世によって奪回された。同世紀後半、ここでレオン王国のフェルナンド2世によってコルテス(議会)が招集され、同市には特権が与えられた。13世紀前半のサラマンカ大学創設を経て、16世紀のコムニダーデスの反乱の際には反乱側につき、1812年にはフランス侵入軍と大戦闘が行われた。スペイン内戦中は反乱派の拠点となった。[深澤安博]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

サラマンカの関連キーワードサモラテルエルバダホスビルバオスペイン村バリャドリードルーゴカスティーリャレオンラ・コルニャスペイン地方連合

サラマンカの関連情報