ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェルドン」の意味・わかりやすい解説
シェルドン
Sheldon, Gilbert
[没]1677. ロンドン
イギリスの聖職者。 1622年オックスフォード大学講師,36年同学寮長。クラレンドン (伯)やフォークランド (子)の友人で,清教徒革命では国王派を支持し,45年国王側と議会側が事態収拾を協議したアクスブリッジ会談の国王側委員の一人。そのため,47年学寮長を罷免され,翌 48年投獄された。 60年王政復古によりロンドン主教,63年カンタベリー大主教。国教会右派の高教会派で,礼拝統一法のきびしい施行を要求したが,非国教徒に寛容な面もあった。ロンドン大火後のセントポール聖堂の再建に尽力し,69年オックスフォード大学に C.レンの設計したシェルドン劇場を寄付した。
シェルドン
Sheldon, Edward Austin
[没]1897. ニューヨーク,オスウィーゴ
アメリカの教育家。オスウィーゴで児童福祉事業に関係したのちシラキューズの教育長を経て 1853年オスウィーゴの教育長に就任,学校制度の改革に努力。 61年市立師範学校の設立に貢献,翌年初代校長となり,没するまで約 35年間在任。同校は 66年に州立となり,シェルドンの指導のもとでアメリカのペスタロッチ主義教育運動の中心となった。日本の高嶺秀夫も 75~78年同校に留学してシェルドンの指導を受け,帰朝後開発主義教育の普及に努めた。主著『小学校教授便覧』A Manual of Elementary Instruction (1862) は明治 10年代に日本にもたらされ,この書を基にして,日本のペスタロッチ主義教育の指針として重用された『改正教授術』 (若林虎三郎・白井毅編,83) が刊行された。
シェルドン
Sheldon, Henry Clay
[没]?
アメリカのメソジスト派神学者。ボストン神学校に学び,ライプチヒに遊学 (1874~75) 。帰国後母校で歴史学教授 (75~95) ,同組織神学教授 (95~?) 。カルバン主義と自由主義神学を避け,福音主義的アルミニウス主義 (→アルミニウス派 ) を主張。主著"History of Christian Doctrine" (2巻,86) ,"History of the Christian Church" (5巻,94) 。
シェルドン
Sheldon, William Herbert
[没]1977.9.19. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの心理学者。コロンビア大学体質研究所所長。体型と気質に関する類型学的研究で著名。主著『気質の種々相』 The Varieties of Temperament (1942) ,『非行少年』 The Varieties of Deliquent Youth (49) など。
シェルドン
Sheldon, Edward Brewster
[没]1946.4.1. ニューヨーク
アメリカの劇作家。社会的なテーマを写実的に描いた『サルベーション・ネル』 Salvation Nell (1908) でデビューし,『ニガー』 The Nigger (09) ,『ボス』 The Boss (11) ,『ロマンス』 Romance (13) などの作品によって,オニール出現以前の劇壇で高く評価された。
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