ドイツの哲学者,社会学者。ミュンヘンで,ドイツ人の父とユダヤ人の母との間に生まれ,イェーナ大学の人格主義的観念論の哲学者R.オイケンについて学位を取得し,同大学の私講師から教歴をはじめた。1901年以降ゲッティンゲン大学のフッサールと相識り,現象学への傾斜を深めた。07年にはイェーナ大学からミュンヘン大学の講師にかわり,10年には教職を退いたが,これは最初の妻の起こしたスキャンダルのためであったという。これ以後,19年にケルン大学の教授に迎えられるまで,彼は民間の一研究者としての困難な生活を強いられたが,現象学的方法を駆使した数多くの業績をあげて学界の注目を集めた。すなわち,《ルサンチマンと道徳的価値判断》(1912),《同情感情の現象学と理論ならびに愛憎について》(1913),さらに前期シェーラーの代表作と目される《倫理学における形式主義と実質的価値倫理学》(1913-16)などである。第1次大戦中の戦争論は広くジャーナリズムに注目され,一転してのカトリック的立場からの平和論はカトリック教会との和解をもたらし,ひいては戦後再建されたカトリック色の強いケルン大学への招聘の道を準備することになった。死去の年28年に彼はフランクフルト大学に移るが,20年代のほとんどはこのケルン大学を根拠地として旺盛な言論文筆活動を展開したのである。その中心テーマの一つは,ワイマール期ドイツの雑多なイデオロギーの乱立・抗争の克服を意図した〈知識社会学〉の建設,もう一つは混迷した人間観の再建をはかる〈哲学的人間学〉(人間学)の展開であった。その成果は《社会学および世界観学論集》4巻(1923-24),《知識の諸形態と社会》(1926),《宇宙における人間の地位》(1927),《哲学的世界観》(1929)等々にまとめられたが,主著たるべき《形而上学》や《哲学的人間学》はついに完成されなかった。このデモーニッシュな一天才の生活と思索は,20年代ドイツの混乱と分裂を映す壮大な〈断片〉にとどまったのである。
執筆者:生松 敬三
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ドイツの文学史家。オーストリアのシェーンボルンに生まれる。シェーラー学派を形成。精神史的文学研究に対して科学的実証主義を主張した。詩人と詩作品の理解は、体験、習得、遺伝したものの研究によるとする。主著『ゲーテの死までのドイツ文学史』(1880~83)。最近の研究は彼を単なる実証主義者と考えない傾向にある。
[佐々木直之輔]
『吹田順助監修『ドイツ文学史』全4巻(1949・創元社)』
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…これが《純粋現象学および現象学的哲学のための諸構想》(第1巻,1913)で展開された構想であるが,やがて彼はこうした観念論的立場を放棄し,むしろ近代自然科学の客観化的認識作業によっておおわれてしまった,われわれの根源的な〈生活世界〉を回復し,そこから科学的客観化の意味を問いなおそうとする後期の〈生活世界の現象学〉へ移行する(《ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学》1936)。
[現象学の展開]
フッサールのこうした志向は弟子のM.シェーラーによって受け継がれ,1920年代には彼のもとで〈知識社会学〉や〈哲学的人間学〉の構想として結実する。シェーラーは当時進行中であった生物科学(生物学,生理学,心理学)の方法論的改革,ことにユクスキュルの〈環境世界理論〉を批判的に摂取し,人間が一個の生物でありながら,その生物学的環境を超えて人間独自の〈世界〉に開かれているありさまから人間を見てゆこうと企てたのである。…
…続いて1903年には〈人間の自然的・精神的側面の統一の学〉の意味に用いられ,11年には神学体系の内部で〈人間論〉,大正・昭和期には〈人性論〉〈人性学〉とも訳されたが,〈人間学〉〈哲学的人間学〉として定着するのは昭和期初頭以来である。その背景にはカントやL.A.フォイエルバハの人間学,M.シェーラーが開拓しハイデッガーも論じる〈哲学的人間学philosophische Anthropologie〉などの受容と了解の進展がある。 西洋でも,成立当初の原語は人間の自然本性の理論,とくに心と身体とを対象とする心理学と身体学,解剖学を指し,18世紀以降は人間の文化的特質への反省と経験的考察とが加わり,19世紀以降,自然人類学,文化人類学が成立し,20世紀には人間の営為と所産とを対象とする諸学が人間科学と総称されるに至るが,人間の本質に関する理論的・総合的考察が哲学的人間学として成立するのは,1920年代後半のシェーラー,プレスナーなどの主張以来のことであった。…
…幸福主義の倫理学は,その近代的様相においては,とりわけイギリスの社会的幸福主義ないしは功利主義の立場の倫理学として現れた。善悪の問題を純化していくと倫理的価値の問題になるが,現代の価値倫理学は倫理学の中心問題が価値,とりわけ倫理的価値の問題にあるとみるものであり,その代表者として特にM.シェーラーの名を挙げることができる。次いで倫理学の第2の主題は,近代以降に特に顕在化した義務の問題である。…
…圧制的な支配者に対する大衆の行動や思想には,表面上いかに高貴な倫理性が標榜されていようとも,しばしばこの屈折した怨みの激情ないし復讐欲がこめられている。F.W.ニーチェはキリスト教道徳の核たる〈愛〉はユダヤ教に由来する憎悪,復讐の裏返しの精神的態度にすぎないとし,M.シェーラーはプロレタリアートの革命精神をとり上げ,少数支配者に対する羨望(せんぼう)から生じた多数者(大衆)のルサンティマンの発現であるとして,いずれも大衆側ルサンティマンが結晶したものだと主張した。意識下に抑圧されているいわば〈本音〉を暴露していくこのニーチェらの考え方は,その後深層心理学の発展によって,合理化論ないし防衛機制論として体系化されている。…
※「シェーラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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