コロンビア大学の財政学者C.S.シャウプを団長とする税制調査団が,1949年8月および50年9月に連合軍最高司令官マッカーサーに提出した第1次・第2次の報告書で,日本の税制の根本的な改正と建直しを勧告したもの。この時点でシャウプらが来日したのは,戦後の混乱や経済活動の収縮で徴税体制が弱体化し,税収が低下していたうえに,1949年からいわゆるドッジ・ラインが採用されて,その主要課題の一つが徴税強化だったにもかかわらず,ドッジ自身はこの件をほとんどすべてシャウプらに任せることにしていたことによる。勧告はすべての租税を論理整合的に体系化し,恒久的な税制を日本に定着させることを目的としている。そのために負担の公平と資本価値の保全を中心に据え,時々の経済政策のために税制を利用することのないようにするという方針で,全体を次のように構成する。
まず第1に,間接税をなるべく整理して直接税とりわけ所得税中心の税制とし,税務行政もそれを支えるように改善する。これは何よりも能力原則に基づく負担の公平を重視し,納税者の納税意識を高め,協力をかち得ることを目的としていた。法人税や財産課税の取扱いも,負担の公平と税制の論理性を保つように組み合わされている。すなわちシャウプらは,いわゆる法人擬制説に基づいて法人を担税単位とは認めず,法人税はその法人を構成している株主に対する配当所得課税の源泉徴収にすぎないものと位置づけ,配当されない留保部分に対しては留保利益利子課税を行うとしている。また,株式値上がりにともなう株主のキャピタル・ゲイン(譲渡所得)は完全に課税する。こうした操作によって,個人所得税と法人税の擬制説的統合が図られたことになる。なお,法人利潤算定に当たっては,インフレーションで減価した固定資産を再評価して資本価値の保全を図る一方で,再評価税徴収を定めた。そのうえで納税協力確保のために所得税率の最高限度を大幅に引き下げる一方,高額所得階層には富裕税を用意し,生産や投資への阻害作用を避けつつ,しかも所得課税の高度累進を実質的に保ち,かつ資産所得の逋脱(ほだつ)を防ごうとした。相続税を,相続財産および贈与財産について一生を通じる累積課税としたのも,資産保有の集中を防ぎ,高額資産に確実に課税しようという趣旨である。税務行政改善のためにいわゆる青色申告を導入したのもこの勧告の重要な貢献であった。
第2に,地方自治確立のために基礎的自治体である市町村の財政力を強化すること,地方の課税自主権確保のために付加税を廃して税源分離=独立税主義をとること,地方税制の簡素化を図ること,を勧告した。しかし,これらだけでは地方間の財政力の不均等が強まるので,それに対しては地方自治強化の目的とあわせて,特定補助金の大幅整理と従前の分与税制の改善を図り,また,地方からの積上げ計算に基づく地方財政平衡交付金制度の導入を勧告している。
この勧告は1950年度の税制改正でほぼそのまま実現したが,なかには道府県税の付加価値税のように採用されなかったものもあり,昭和20年代末にはキャピタル・ゲイン課税,富裕税などが続々廃止されていく一方,租税特別措置など経済政策的税制操作が拡大していき,シャウプらの掲げた論理整合的な税制は崩壊した。
執筆者:林 健久
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アメリカの財政学者カール・シャウプCarl Summer Shoup(1902―2000)を団長とする使節団によって、1949年(昭和24)8月(第一次)と50年9月(第二次)に、連合国最高司令官マッカーサーに提出された日本の税制改革に関する報告書をいう。当時、戦後インフレーションを収束するため経済安定九原則とドッジ・ラインが敷かれていたが、同勧告は、これを税制面から補完して経済安定を達成することを目的とすると同時に、将来にわたって細かい点を除いて修正の必要のない、正常的・恒久的税制の確立を意図していた。
同勧告の内容は、国税、地方税、税務行政の全般にわたっていた。まず国税については、直接税中心主義をとり、所得税は徹底した総合課税とし、その最高税率を引き下げるかわりに富裕税を設けること、法人税は、配当分について所得税の前払いとして課税すると同時に、個人が配当所得を取得したとき配当控除を認めること、そしてインフレによる減価償却不足を解消するため資産再評価を行い、評価益に再評価税を課すること、などを内容としていた。地方税については、地方に独立の税目(税金の種類)を配分して、付加税方式(国税収入の一定パーセントを地方税とするやり方)をやめること、地方税収入が地方財政需要額に不足する分については、財政平衡交付金制度をつくって国が全額補填(ほてん)することを求めていた。そして税務行政については、税負担の不公平さを一掃するために、青色申告制度、予定申告制度などの採用を勧告していた。
同勧告は、若干の点を除いて、ほとんど1950年度税制に採用され、その後、多くの改定が行われて勧告の基本路線が希薄になったとはいえ、現在に至るわが国税制の基礎となっている。
[一杉哲也]
『林栄夫著『戦後日本の租税構造』(1958・有斐閣)』▽『二見明著『戦後租税史年表』(1983・財経詳報社)』▽『吉岡健次著『シャウプ勧告の研究』(1984・時潮社)』
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アメリカのコロンビア大学教授シャウプを団長とする7人の税制使節団が,第2次大戦後の日本の税制について根本的改正方針を勧告したもの。1949年(昭和24)の第1次勧告は負担の公平と資本価値の保全を目的とした。国税では所得税中心の税制と青色申告導入など税務行政の改善や,法人擬制説にもとづく個人所得税と法人税の統合的課税,固定資産の再評価による資本価値の保全などを,地方税では市町村中心主義にもとづく住民税や固定資産税の賦与に加えて,地方の財政力格差を埋める平衡交付金制度創設などを勧告。これらは50年度の税制改正でほぼ実現されたが,総合所得課税の不徹底や平衡交付金の地方交付税への切替えなどにより,ほぼその役目を終えた。50年9月には第2次勧告が発表された。
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…またアメリカ財務省顧問,国連顧問,EEC財政金融委員会委員や,シャウプ税制使節団,ベネズエラ,リベリア各税制調査団の各団長を務め,アメリカはもとより各国の税制改革に実務面でも理論面に並ぶ貢献をした。とくに49‐50年にシャウプ使節団団長として来日してまとめた日本税制改革案(いわゆるシャウプ勧告)は50年に国税・地方税を含む根本的改正として実現し,現在に至るまで日本の税制の基盤となっている。広範な知識と実務経験に基づいて税制における理論と実践の融合に成功した点に,彼の業績の特徴がみられる。…
…また譲渡・一時所得が新たに課税対象に加えられた。しかし最も根本的な改革は50年のシャウプ勧告に基づくもので,譲渡所得を全額課税し,利子所得の分離課税を廃止するなど,徹底した総合課税主義が採用された。その後の所得税は,いわばシャウプ税制の中核である総合課税主義の崩壊過程の歴史と評されている。…
…その後の根本的改正としては,26年,40年の改正を逸することはできない。 第2次大戦後の日本の税制は,1950年のシャウプ勧告にもとづく税制改革を出発点とする。シャウプ税制は,所得税と体系的に関連づけられた法人税,富裕税および相続税といった直接税を中心とし,補完税として酒税,専売益金といった間接税を配する理論的に首尾一貫した体系であった。…
…一方経済政策では,48年12月にGHQの示した経済安定九原則をドッジ公使の勧告をいれて強硬にすすめ,徹底的な引締め合理化政策をとった(ドッジ・ライン)。また税制ではシャウプ使節団の勧告にしたがって,所得税を中心とする直接税中心の増税,資本蓄積のための減税を行った(シャウプ勧告)。こうして厳しいデフレーション政策でインフレを止め,中小企業を整理して合理化を推し進め,大企業中心の経済発展の地ならしを行った。…
…47年12月末日には地方行財政を所管してきた内務省が解体され,つづいて48年1月,地方財政関係事項処理機関として内閣総理大臣のもとに地方財政委員会(第1次)が置かれ,同委員会は抜本的な地方税財政改革要領を作成した。
[地方税法の改正とシャウプ勧告]
そのなかで災害復旧基金や地方団体中央金庫創設などは見送られたが,1948年地方税法は全文改正され,府県に事業税(営業税を改組),特別所得税等,市町村に使用人税,余裕住宅税が創設されるなどのほか,自主課税権の強化がはかられた。49年までの改正により45年に税収の約7割を占めた国税付加税は姿を消し,市町村税が約7割を道府県税付加税に依存するものの,道府県税はすべて独立税という構成になった。…
※「シャウプ勧告」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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