シャラ(英語表記)Charrat, Janine

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャラ」の意味・わかりやすい解説

シャラ
Charrat, Janine

[生]1924.7.24. グルノーブル
[没]2017.8.29. パリ
フランスの振付師。1937年映画白鳥の死』の主人公を演じ世界に知られたが,1940年頃から振付師としてデビューし,天才といわれた。バレエ・デ・シャンゼリゼのためにイーゴリストラビンスキー作曲『カルタ遊び』Jeu de Cartes(1945)を振り付けて地位を確立した。またローラン・プチの援助でリサイタルを開き,『オルフェオとユーリディス』(1945)を発表した。モンテカルロ・バレエ団を経て,ベルリン・オペラ座の振付師となり,1951年自身のバレエ団,ジャニーヌ・シャラ・バレエ団(1955バレエ・ド・フランスに改名)を組織した。ジャン・ジュネと協力してつくった『アダム・ミロワール』Adam Mirroir(1948)や『コンチェルト・ド・グリーグ』Concerto de Grieg(1951),『海藻』Les Algues(1953),『ヘラクレス』Héraklès(1953)は有名である。1959年訪日。1973年レジオン・ドヌール勲章受章。1980年以後,ジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センターディレクターを務めた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャラ」の意味・わかりやすい解説

シャラ
しゃら
Janine Charrat
(1924―2017)

フランスのバレリーナ、振付者。グルノーブルに生まれる。映画『白鳥の死』(1937)で清純な少女を主演して有名となる。17歳でローラン・プチの相手役になり、シャンゼリゼ・バレエ団に入団、21歳でイーゴリ・ストラビンスキーの『カルタ遊び』を振り付け、早熟な才能を示した。1951年自身のジャニーヌ・シャラ・バレエ団を創設、『コンチェルト』『アマゾネス虐殺』などを上演。1959年(昭和34)に来日して、『ドミノ』や異才モーリス・ベジャールの『高電圧』を上演した。1970年パリにバレエ学校を創設し、後進の指導に努める。1973年レジオン・ドヌール勲章を受章、1980年にはパリ、ポンピドー・センターのディレクターに就任した。

市川 雅・國吉和子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「シャラ」の意味・わかりやすい解説

シャラ

フランスの女性舞踊家,振付家。映画《白鳥の死》(1937年)に出演してデビュー。第2次世界大戦下の1941年―1944年にはプティと組んで多くのリサイタルを催した。1951年に自分のバレエ団を創設し活躍する。振付作品に《カルタ遊び》(1945年),《海藻》(1949年),《アマゾンの虐殺》(1951年),《七つの大罪》(1956年)など。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

岩石学辞典 「シャラ」の解説

シャラ

火山の急傾斜に沿って移動する白熱した物質の雪崩.この結果峡谷が形成される.sciarraはシシリイの名称でSciarra del Fuocoによる.英語ではsharraと発音する.

出典 朝倉書店岩石学辞典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android