オーストリア生れの経済学者。織物業主の子としてオーストリア・ハンガリー領モラビア(現,チェコスロバキア領)のトリーシュに生まれたが,父の早世と母の再婚によって,その少年時代を爛熟した文化の都ウィーンで貴族的な雰囲気のなかに過ごし,終生〈旧派の洗練されたオーストリア紳士〉として通した。彼は,科学の価値をその実用性にではなく,人間精神がそれを創造したという点に求め,つねにエレガンスこそ理論の最高の美点であると主張していた。早熟の天才で早くから歴史を好んだ。ウィーン大学では法学と経済学とを学び,法学の学位取得後も経済学の研究をつづけた。弁護士としてカイロに滞在中《理論経済学の本質と主要内容Das Wesen und der Hauptinhalt der theoretischen Nationalökonomie》(1908)を発表,次いで《経済発展の理論》(1912),《学説および方法の諸段階》(1914)と,31歳までに偉大な三部作を完成して,学界に確固たる地位を築いた。1909年ツェルノビッツ大学教授,11年グラーツ大学教授となったが,母校ウィーン大学は彼を迎えることを拒んだ。第1次大戦後のオーストリアで18年ドイツ社会化審議会委員,19年カール・レンナー内閣の大蔵大臣,辞任後ビーダーマン銀行総裁を歴任。25年ボン大学に教授として迎えられ,ボンは世界の経済学のメッカと呼ばれた。日本の中山伊知郎と東畑精一はこのとき彼に師事している。
32年母と妻とを失った彼は,ハーバード大学の招聘(しようへい)をうけてアメリカに渡り,前記《経済発展の理論》を実証的に展開した畢生の大著《景気循環論Business Cycles》(1939)の完成に没頭した。主著の一つである本書はその副題の示すとおり,〈資本主義過程の理論的・歴史的・統計的分析〉であり,彼の社会学的諸研究(《租税国家の危機》(1918),《帝国主義の社会学》(1918-19),《社会階級論》(1927)など)は,すべてこの主題のため,もっぱら制度に関する分析用具を用意することにあった。彼によれば,〈発展〉は生産要素の新結合=革新(イノベーション)から生じ,革新の担い手として異常な努力に堪えうる少数の人物が〈企業者〉にほかならない。そして革新は旧来の経済軌道を変革破壊し,その攪乱作用が景気循環を生むが,それが再び均衡状態を回復するとき,新しい価値体系と大量の生産物を作り出す。こうして資本主義は幾次の革新を経て,すばらしい経済進歩を遂げたのである。しかし,こうした発展過程を資本主義の将来に投影するならば,大企業の出現,企業組織の官僚化,革新の組織化など,合理化一般の進展によって漸次経済の社会主義的管理の可能性が準備されるとともに,個人的企業者能力の無用化によるブルジョア階級の衰退が予見され,ついには資本主義文明は崩壊するであろう,と彼は考えた。《資本主義・社会主義・民主主義》(1942)において,こうした資本主義の総体過程の経済学的・社会学的分析をポピュラーな形で提示したが,本書は今日なお広く読まれている。晩年は《経済分析の歴史History of Economic Analysis》(1954)の大著に力を傾け,経済学説史における金字塔を打ち建てた。なお計量経済学会の創設に参加するとともに,その会長をつとめた(1934-41)。
執筆者:大野 忠男
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ケインズと並ぶ20世紀前半の代表的経済学者の一人。マルクスが死に、ケインズが生まれた同じ1883年に現チェコ領モラビアのトリューシュで生まれ、長じてウィーン大学法学部に入学。初め歴史学に関心をもったが、のち経済学に転じ、ベーム・バベルクの強い影響を受けた。チェルノウィッツ大学、グラーツ大学の教授を歴任し、第一次世界大戦直後の一時期、オーストリア政府の大蔵大臣を務め、同国の民間銀行の頭取として実業界で働いたこともある。1925年にボン大学の教授となり、32年以降はアメリカに移住してハーバード大学の教授となった。計量経済学会の創立者の一人で、その会長やアメリカ経済学会の会長も務めたことがある。1950年1月7日、アメリカのマサチューセッツ州タコニックで死去。
シュンペーターは25歳のときに処女作『理論経済学の本質と主要内容』(1908)を著し、ついで4年後の著作『経済発展の理論』(1912)で一躍、世界的にその名を知られるようになった。前者は、ワルラスの静学的一般均衡理論や当時のオーストリア学派の強い影響のもとに書かれたものであったが、後者ではすでにその動学化が図られている。シュンペーター経済学の核心ともいうべき経済発展の理論は、資本主義発展の原動力としての「企業者機能」に焦点をあてたところに特色がある。
彼によれば、資本主義発展の担い手としての企業者が導入する新機軸innovation(技術進歩、生産組織の改善、新製品開発、新しい販路の開拓など)が経済発展の動力であり、それを可能にするのが銀行による信用創造であるという。この中心的な構想は、後年の大作『景気循環論』(1939)でも受け継がれ、新機軸導入による「創造的破壊」が景気循環を生み出す源泉であるとして、理論的、歴史的、統計的分析によって裏づける努力がなされている。ところが、晩年の代表作『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)では、経済社会学的な考察から、資本主義の発展につれてこの企業者機能が衰退することや、政府介入の増大に伴う民間活力の弱化などの要因とあわせて、独特の資本主義崩壊論を導き出すとともに、社会主義がいかにすれば民主主義的になりうるか、という比較体制論的なところまで視野を広げている。そのほか、死後刊行された『経済分析の歴史』(1954)などの優れた著作がある。
[佐藤経明]
『日本経済新聞社編・刊『現代経済学ガイド――人と理論のプロフィール』(1985)』
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1883~1950
オーストリアに生まれ,アメリカに帰化した経済学者。近代経済学の流派に属し,資本主義社会に関して独自の理論を展開した。主著『経済発展の理論』(1912年)。
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…すでに18世紀の産業革命に際し,ジョンソン博士は〈この時代は気ちがいのようにイノベーションを追い求めている〉と述べた。この語が経済学上の用語として定着したのは,J.A.シュンペーターが経済発展の根本現象として企業者・革新を理論の基礎に据え,それが一般に認められたことによる。今日ではイノベーションは〈技術革新〉とほとんど同義に用いられる。…
…彼は帰属価格の厚生経済学的意味を明らかにし,先駆的な社会主義経済理論を展開している。さらに,企業者による革新を強調して《経済発展の理論》(1912)を説いたJ.シュンペーターもこの学派の出身であり,またオーストリア資本理論を基礎にした景気変動論や自由主義論で名高いノーベル賞受賞経済学者F.ハイエクは現代におけるオーストリア学派の代表的な存在であるといえよう。経済学説史【根岸 隆】。…
…〈企業者〉は本来学術用語であり,日常語の〈企業家〉〈経営者〉〈ビジネスマン〉のいずれとも正確に対応しない。〈企業者〉概念を確立したのはシュンペーターであり,1912年刊行の《経済発展の理論》において,経済の動態的発展は〈企業者〉による〈革新(イノベーション)〉ないし〈新結合neue Kombination〉によって可能になると主張した。静態的循環を繰り返す経済が,新技術の発明や生産要素の新しい結合方法のような〈革新〉により,より高い均衡水準に向かって動態的発展の過程に入ると,その過程に利潤や利子が発生するというのである。…
…もともとは,J.A.シュンペーターが景気循環の長期波動を説明するために提出した概念〈technical innovation〉の訳語として日本語となったことばである。しかしその後このことばは本来の経済学用語としての意味をはなれ,技術の発展における画期的な新局面をさす意味の日本語として常識的に使われるようになった。…
… さきに述べた10年周期の恐慌の観察を拡充し,フランス,イギリス,アメリカについて物価,利子率の変動などの動きを検討し,7年から10年くらいの周期をもった経済活動の循環運動を1880年代に発見したのは,フランスの経済学者ジュグラーC.Juglar(1819‐1905)である。J.A.シュンペーターは,この循環を彼の名にちなんでジュグラー・サイクルとよんだ。 ところが,1920年代にはいって,キチンJ.Kitchin(生没年不詳)が,アメリカとイギリスにおける1890‐1922年間の手形交換高,物価,利子率の変動を検討して,ジュグラー・サイクルのほかに平均40ヵ月の周期をもつ循環があり,一つのジュグラー・サイクルはしばしば3個の小循環,ときとして2個の小循環からなっていることを発見した。…
…J.A.シュンペーターの主著。第1版1912年,第2版26年刊。…
… 資本主義の活動が既存の経済構造・生活体系を革新していくものであるということは,資本主義の経済がたえず変化していくダイナミックな経済であることを意味している。J.A.シュンペーターは資本主義経済のこの動態的性格を強調した。彼は,利潤獲得のために古いものを破壊し新しいものを創造していく資本主義の不断の活動を物と力の〈新結合〉による〈創造的破壊〉とよび,この過程こそ資本主義の本質的事実であり,資本主義はそれゆえ本来的に発展的・動態的性格をもつとした。…
…このようにレーニンの《帝国主義論》は,資本主義の発展途上にあったロシアの革命家の政治的著作でもあった。 以上のマルクス主義者と同時期に別個の視角から帝国主義を分析したのが,J.A.シュンペーターである。彼は帝国主義的膨張が必ずしも合理的な目標をもたない場合にも支配地域を次々に拡大しようとする傾向があることに着目した。…
…彼はボリシェビズムを民主主義とは認めなかった。民主主義の特質を,とくにボリシェビズムやナチズムと対比して指導者選出における公開自由競争に求めるのは,オーストリアの経済学者でケルゼンと同じくアメリカに亡命したJ.シュンペーターが《資本主義・社会主義・民主主義》(1942)で強調したところでもあった。民主主義とは,決定の内容であるよりもむしろそれにいたる方法であるとするシュンペーターの考え方は,今日でもR.ダールその他のアメリカの民主主義理論に強い影響を与えている。…
※「シュンペーター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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