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シンマクス シンマクス Symmachus

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シンマクス
シンマクス
Symmachus

[生]? サルジニア
[没]514.7.19. ローマ
サルジニア出身の教皇 (在位 498~514) ,聖人。ビザンチン派が擁立した対立教皇ラウレンチウスとの間に離教状態を引起したが,501年ローマで開かれた「棕櫚の教会会議」で教皇の首位権を確立。

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シンマクス
シンマクス
Symmachus, Quintus Aurelius

[生]345頃
[没]402頃
ローマ帝政末期の政治家,弁論家,著述家。富裕な名家の出身で 373年アフリカ総督,のち富と弁論を駆使してキリスト教皇帝に対する異教的な元老院の指導者となった。 382年グラチアヌス帝がメディオラヌム (現ミラノ) 司教アンブロシウスのすすめでローマの元老院から勝利の女神像を撤去しようとした際に反対し,その後ウァレンチニアヌス2世のときもキリスト教政策に反対,政治的な力は失ったが,以後も依然として元老院の代表者としてとどまった。

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世界大百科事典 第2版の解説

シンマクス【Quintus Aurelius Symmachus】

340ころ‐402
ローマ元老院貴族で,有名な雄弁家。名門の出で,ボルドー出身の修辞学者から教育を受けたのち,当時の元老院貴族に典型的な,すでに有名無実化していた公職序列を上り始め,また365年までに上級祭司団の一員となる。369年元老院を代表してガリアにウァレンティニアヌス1世を訪れ,即位5周年の祝賀演説を行い,翌年までガリアに滞在,この間にアウソニウスとの友情を結んだ。373‐374年アフリカのプロコンスルを務める。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シンマクス
しんまくす
Quintus Aurelius Symmachus
(340ころ―402)

ローマ元老院貴族、雄弁家。369年、元老院からガリアへ派遣されてウァレンティニアヌス1世に即位5周年祝賀演説を捧(ささ)げ、その地でアウソニウスと親交を結んだ。373年、アフリカのプロコンスルに任じられた。元老院内の異教勢力を代表する人物の一人で、382年にグラティアヌス帝Gratianus(在位367~383)が異教と異教神官の特権を剥奪(はくだつ)する勅令を出し、元老院議場からのビクトリア女神祭壇撤去を命じると、それらの撤回を求めて運動した。ローマ都督に任じられた384年には、ミラノ宮廷のウァレンティニアヌス2世Valentinianus (在位375~392)の前で、ビクトリア女神祭壇復帰と異教の特権回復を請願する演説を行ったが、ミラノ司教アンブロシウスの反対にあって失敗に終わった。簒奪(さんだつ)帝マクシムスMaximus(在位383~388)に頌詩(しょうし)を献じたが、謝罪演説と頌詩献呈によりテオドシウス1世の恩赦を得て、391年にはコンスルに任じられ、死ぬまで元老院内での指導的立場を維持した。演説8編と書簡集10巻を残しており、彼の文学サークルはまた古典作家の研究、伝承に尽力したことでも知られている。[後藤篤子]

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世界大百科事典内のシンマクスの言及

【ウィクトリア】より

…パラティヌス丘中腹の神殿が有名で,翼をもつ女神としてローマやオスティアの門などにも彫像がおかれた。アウグストゥスが元老院議場に設けた像は4世紀キリスト教徒皇帝の圧力で除去されたが,シンマクスら非キリスト教ローマ人がこれに抗議した事件は有名である。【松本 宣郎】。…

【プルデンティウス】より

…のち引退して詩作に没頭し,405年詩歌集を刊行。収録作品は,抒情詩体の12編の賛美歌から成る《カテメリノン(日々の歌)》,三位一体とキリストの本質に関する教訓詩《アポテオシス(キリストの神性)》,教訓詩《ハマルティゲニア(原罪の起源)》,人間の魂をめぐる悪徳と美徳の抗争を描く寓意教訓詩《プシュコマキア(魂の闘い)》《シンマクス駁論(ばくろん)》2巻,抒情詩体で書かれた《ペリステファノン(殉教詩)》で,最後に旧・新約聖書から24ずつとった場面を主題にした48編の四行詩から成る《ディトカエオン》が補足されている。プルデンティウスは異教時代のラテン詩に造詣が深く,伝統的な古典詩の形態とキリスト教という新しい宗教の思想・精神とをみごとに結合させ,その作品は中世に広く読まれて詩作や美術に大きな影響を与えた。…

【ラテン文学】より

…しかし世界史概要を著したオロシウスはアウグスティヌスの影響を受け,叙事詩の韻律で《モーゼル川》を書いた詩人・修辞学者アウソニウスは,キリスト教徒であって,キリスト教徒による世俗文学の開祖とされるように,世俗文学の側からもキリスト教との握手が始まっている。古代ローマ精神の復活を図る世俗作家たちの代表格だった雄弁家シンマクスは,キリスト教に反対してアンブロシウスと論争し,また古典を学んでローマをたたえた詩人ルティリウス・ナマティアヌスも反キリスト教的であったが,しかし異教最後のラテン詩人クラウディアヌスには,もうそのような反抗はみられない。このほか5世紀初頭には文献学者マクロビウスや,いわゆる自由七科についての百科全書的記述によって,中世教育制度の基礎を築いた修辞学者のマルティアヌス・カペラがいる。…

【ローマ】より

… ウァレンティニアヌス朝とテオドシウスの時代には,異教知識人とキリスト教聖職者との最後の論争が行われた。前者の代表はローマ元老院議員シンマクスであり,後者の代表はミラノ司教アンブロシウスであった。392年,フランク人出身ローマ軍司令官アルボガストを後ろ盾に,ウァレンティニアヌス2世(在位375‐392)を除去してローマに蜂起したエウゲニウスの簒奪(在位392‐394)は,テオドシウスによって鎮圧された。…

【ローマ理念】より

… ところで,この帝国のキリスト教化はローマの異教徒貴族層の激しい抵抗を受ける。その代弁者シンマクスは,永遠であるはずのローマの現今の老齢化は異教の不当な迫害ゆえと断じ,父祖伝来の宗教の尊重を訴えた。この異教側からの攻撃に応えてプルデンティウスは,真の神信仰へと悔い改めたローマは,今や聖使徒ペテロとパウロに守護された新聖都として永遠の支配を与えられたと歌い,伝統的な〈永遠のローマ〉理念をも包摂して,エウセビオス以来のキリスト教的ローマ理念を完成させた。…

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