コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ジダーノフ Zhdanov, Andrei Aleksandrovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジダーノフ
Zhdanov, Andrei Aleksandrovich

[生]1896.2.26. マリウポリ
[没]1948.8.31. モスクワ
ソ連の政治家。 1915年ロシア社会民主労働党 (共産党の前身) に入党し,ウラル地方で革命に参加。 34年共産党中央委員会書記を経て 39年党政治局員。レニングラードの党組織を指導し粛清に加担。第2次世界大戦にはレニングラード防衛戦に参加し陸軍大将となった。 47年コミンフォルム創立会議で「国際情勢について」と題し報告。哲学,歴史学,音楽など多方面で党イデオロギーを押出し,一時は I.スターリンの後継者といわれた。

ジダーノフ

マリウーポリ」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

ジダーノフ(Andrey Aleksandrovich Zhdanov)

[1896~1948]ソ連の政治家。スターリン側近の一人で、共産党中央委員会書記としてイデオロギー・文化問題を担当、思想・文化界の統制政策を推進した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

ジダーノフ

ソビエト連邦共産党指導者。ウクライナ生れ。若くして革命家となり,1917年十月革命の際はウラルのボリシェビキ活動家の一人であった。1930年党中央委員,1939年党政治局員となった。
→関連項目社会主義リアリズムショスタコービチゾーシチェンコマリウポリミーチン

ジダーノフ

マリウポリ

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ジダーノフ【Andrei Aleksandrovich Zhdanov】

1896‐1948
ソ連邦共産党の指導者。1915年に入党し,革命に参加。党官僚であったが,34年の第17回党大会以後,党中央委員会書記,同年12月レニングラードの党書記となり,さらに39年からは政治局員として,スターリン体制の一翼を担う。ソビエト連邦作家同盟第1回大会(1934)では党を代表して演説し,社会主義リアリズムを提唱した。第2次世界大戦ではレニングラード防衛戦を指導した。戦後はスターリン主義的文化政策の中心的組織者として知られ,とくに46年以降,アフマートワらをはじめとした文化人,知識人に対する抑圧(ジダーノフ批判)を行った。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ジダーノフ【Andrei Aleksandrovich Zhdanov】

1896~1948) ソ連の政治家。第二次大戦でレニングラード防衛を成功させた。戦後はスターリン主義の理論家としてイデオロギー批判の先頭に立って知識人らを抑圧した。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内のジダーノフの言及

【マリウポリ】より

…19世紀末,ドネツ炭田の石炭,クリボイ・ログの鉄鉱を背景に機械・金属などの重工業が急成長し,南ウクライナ工業地帯の中核都市の一つになった。この地出身のA.A.ジダーノフが1948年に急逝したのに伴い,ジダーノフと変更され,89年現名に改称。【青木 節也】。…

※「ジダーノフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ジダーノフの関連キーワードプロコフィエフ(Sergey Sergeevich Prokof'ev)ジダーノフ(Andrey Aleksandrovich Zhdanov)レオニード マルトゥイノフサンクト・ペテルブルグ大学ミハイル ゾーシチェンコアラム ハチャトゥリヤンジダーノフ(ウクライナ)アンドレイ ジダーノフマールク ミーチンペテルブルグ大学ハチャトゥリアンハチャトゥリヤンショスタコビッチショスタコビチマルトゥイノフパステルナークゾシチェンコアリルーエワマルティノフロシア音楽