じゃん(読み)ジャン(その他表記)Jean

翻訳|Jean

デジタル大辞泉 「じゃん」の意味・読み・例文・類語

じゃん

[終助]《連語「じゃ」+形容詞「ない」の音変化》俗に、やや強く断定する意を表す。…ではないか。「そんなの簡単じゃん

ジャン

ジャンパー」の略。「革ジャン」「スタジャン

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精選版 日本国語大辞典 「じゃん」の意味・読み・例文・類語

じゃん

  1. [ 1 ] 〘 副詞 〙 ( 「と」を伴って用いる ) 鐘の音を表わす語。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. 競輪で、競技中の選手に最終の周に入ることを知らせる打ち鐘。
    2. あてがはずれて失敗に終わること。物事が不成功に終わること。じゃんじゃん。おじゃん。
      1. [初出の実例]「詩には妙也薪も米もぢゃん」(出典:雑俳・折句袋(1779))

じゃん

  1. 〘 連語 〙 ( 「じゃない」の変化したもの。俗な話し言葉 ) …ではないか。…だね。
    1. [初出の実例]「だーって、カッコいいじゃん。シュールの極致じゃん」(出典:にんげん動物園(1981)〈中島梓〉五六)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「じゃん」の意味・わかりやすい解説

ジャン
Jean

[生]1921.1.5. コルマーベルク(ベルク城)
[没]2019.4.23.
ルクセンブルク大公(在位 1964~2000)。ルクセンブルク女大公シャルロットの第1子として生まれる。父はブルボン家の分枝であるブルボン・パルマ家のフェリーチェ(フェリックス)。第2次世界大戦中の 1940年5月,ドイツ軍がルクセンブルクに侵攻したため,大公一家は亡命を余儀なくされ,国外へ脱出した。1942年,ジャンはイギリス陸軍に志願し,カナダからイギリスへ移ってサンドハースト陸軍士官学校で教育を受けながら,近衛部隊の一つであるアイリッシュガーズに所属した。近衛兵バッキンガム宮殿でイギリス王室護衛にあたるため,家族がイギリス国王を訪問したときも,その後ろで任務につかなければならなかった。1943年少尉,1944年中尉に昇格し,同 1944年6月,イギリス陸軍の一員としてノルマンディー上陸作戦(→オーバーロード作戦)に参加。1944年9月にはアメリカ軍とともにルクセンブルクに向かい,ドイツ軍の一掃に加わった。1945年帰国。1953年元ベルギー国王レオポルド3世の娘ジョゼフィーヌ・シャルロットと結婚し,3男2女をもうけた。1961~64年皇太子としてシャルロット女大公の代理を務め,1964年11月シャルロットの生前退位によって跡を継ぎ,ルクセンブルク大公(元首)となった。2000年10月生前退位し,息子アンリに譲位した。

ジャン(無畏公)
ジャン[むいこう]
Jean sans Peur, Duc de Bourgogne

[生]1371.5.28. ディジョン
[没]1419.9.10. モントロー
フランス,百年戦争期のブルゴーニュ公(在位 1404~19)。フランス王シャルル6世従弟フィリップ(剛勇公)の子。直情的な人物であったので「無畏公」と呼ばれた。国王シャルル6世が精神に異常をきたして以来,王弟のオルレアン公ルイと対立し,1407年にこれを殺害した。王国の実権を握ったが,これを機に国内の貴族北部ブルゴーニュ派と南部のアルマニャック派に分かれ,対立抗争が繰り返された。イングランド軍と結び,1415年アザンクールの戦いに勝ちパリに入城した。しかし,1419年モントローの両派の和解会談の橋上で刺殺された。

ジャン
Jean,Raymond

[生]1925.11.21. マルセイユ
フランスの作家,批評家。近現代文学を専攻。大学で教鞭をとる一方,マルキシズムの周辺で,政治参加と方法意識に裏打ちされた小説を書き続ける。『二つの春』 Les deux printemps (1971) ではパリの五月革命とプラハの春,『暗い泉』 La Fontaine obscure (74) では 17世紀の魔女裁判スターリニズムの照応のなかで,政治と愛の物語を融合させた。ほかに小説『写真・思い出』 Photo-souvenir (80) ,『読書する女』 La Lectrice (86) ,評論『ネルバル』 Nerval (64) ,『文学の実践』 Pratique de la littérature (78) など。

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改訂新版 世界大百科事典 「じゃん」の意味・わかりやすい解説

ジャン
Jean
生没年:1371-1419

バロア家系ブルゴーニュ公家第2代当主。1399年,ニコポリス十字軍に参加し,勇敢な働きでサン・プールSans Peur(〈恐れ知らず〉の意)のあだ名を得る。1404年家督相続の後,亡父の志を継いでネーデルラントに家勢の伸張を図る。加えてフランス王家家政の実権掌握を狙い,従弟オルレアン公ルイと対立し,07年これを暗殺する。そのためアルマニャック派諸侯と敵対関係に立つことになり,13年,カボシュ一揆を機に一時パリを退去するが,18年,再び王政府の実権を握る。廃嫡された皇太子シャルルを擁したアルマニャック派諸侯は,19年,モントローに設営された談合の席上,彼を謀殺した。
ブルゴーニュ公国
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「じゃん」の意味・わかりやすい解説

ジャン
じゃん
Jean
(1371―1419)

バロア家系ブルゴーニュ公家第2代当主。1399年対オスマン・トルコ十字軍に参加し、勇敢な働きで「サン・プールsans Peur」(恐れ知らず)のあだ名を得る。母はフランドル伯女マルグリット。その血筋からフランドル伯領ほかを相続した。ネーデルラントのホラントほか諸伯領に支配を及ぼしていたバイエルン・ストラウビンク公家の女マルグリットを妻とした。1404年、家督相続ののち、父フィリップ1世の志を継いで、ネーデルラント方面に家勢の伸張を図った。加えて、宗主フランス王家の実権掌握をねらい、従弟オルレアン公ルイと対立し、07年これを暗殺した。ここにアルマニャック諸侯と敵対関係にたち、13年カボシュ暴動を機に一時パリを退去したが、18年ふたたび王政府の実権を握った。廃嫡された王太子シャルルを擁したアルマニャック派諸侯により、19年、モントローに設定された談合の席上、暗殺された。

[堀越孝一]

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367日誕生日大事典 「じゃん」の解説

ジャン

生年月日:1371年5月28日
フランスの百年戦争中のブルゴーニュ公(在位1404〜19)
1419年没

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