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スラバヤ Surabaya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スラバヤ
Surabaya

インドネシア,ジャワ島東部の港湾都市ジャワティムール州州都ブランタス川河口に位置し,狭い海峡をへだててマドゥラ島と向き合う。年平均気温 27℃,月降水量 5mm (8,9月) ~279mm (2月) 。 1743年からオランダ東インド会社の支配下におかれ,貿易港として発展。ソロ川,ブランタス川流域の肥沃な農業地帯を後背地とする。タンジュンペラク,ウジュンの新旧2港は,ジャカルタのタンジュンプリオク港に次ぐ荷扱い量があり,砂糖,タバコ,コーヒー,チーク材,タピオカ,ゴム,香辛料などを輸出する。漁港,海軍基地としても重要。工業都市でもあり,製油,農産物加工,織物,ガラスなどのほか,造船,車両などの重工業も立地。鉄道,道路で島内各地と結ばれ,沿岸航路も発達し,国内空港もある。市街は住宅などの建て込んだ旧市と,近代的なオフィス,ホテル,住宅の並ぶ新市に分けられる。オランダ人の築いた要塞,巨大なモスクなどがあり,南西方にはマジャパイト王国の古都モジョケルトの遺跡がある。人口 234万 5206 (1985推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

スラバヤ(Surabaja)

インドネシア、ジャワ島北東部の港湾都市。東ジャワ州の州都。カリマス川の河口に位置し、海軍の基地が置かれる。首都ジャカルタに次ぐ同国第2の規模をもち、工業地帯が広がる。オランダ統治時代より同島東部の中心地。初代大統領スカルノの生地で、民族独立運動の拠点となった。人口、行政区261万(2005)。

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百科事典マイペディアの解説

スラバヤ

インドネシア,ジャワ島北岸東部の同国第1の港湾都市。東ジャワ州の州都。狭い海峡を隔ててマドゥラ島に対し,海陸交通の要地。ジャカルタとともにジャワの二大都市をなし,第2次大戦前から米,ゴム,タバコなどの商業貿易が盛ん。
→関連項目マジャパイト

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世界大百科事典 第2版の解説

スラバヤ【Surabaya】

インドネシア,ジャワ島東部北海岸の港市。ジャカルタに次ぐジャワ島第2の都市。人口270万(1996)。マドゥラ島との間の狭いスラバヤ水道にのぞみ,大河ブランタスの分流マス川の河口に位置する良港。歴史的にも重要な港であったが,特に19世紀後半以後東部ジャワの農園開発に伴い,これを商圏とする大きな貿易港となり,経済的にはジャカルタを凌ぐ発展を見せるに至った。スラバヤにおける都市の建設は,15世紀半ば,ジャワでのイスラムの布教に力を尽くした九聖人(ワリ・ソンゴ)の一人スナン・アンペル(ラデン・ラフマット)によるものとされ,市内のアンペル地区に残る彼の墓は,今日も聖地として人々に尊崇されている。

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大辞林 第三版の解説

スラバヤ【Surabaya】

インドネシア、ジャワ島北東部の港湾都市。石油・砂糖・タバコなどを輸出する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スラバヤ
すらばや
Surabaya

インドネシア、ジャワ島北東岸の港湾都市。東ジャワ州の州都。ブランタス川支流のカリマス川河口に位置する。対岸のマドゥラ島との間に狭長なスラバヤ水道を抱く。首都ジャカルタに次ぐインドネシア第二の大都市で、人口約295万4400(2001推計)。地名は「ワニのすむ川」の意。第二次世界大戦後、織物、機械、船舶、精油など各種工業が発展し、インドネシアの重要工業地帯の一つとなった。またこの地の戦略的位置から、かつてはオランダ海軍、現在はインドネシア海軍の重要基地となっている。市街はカリマス川に沿い、南北約20キロメートルにわたり細長く延びるが、カリマス川が二つに分岐する市の中央部が都心で、にぎやかなタンジュンガン通りはショッピングセンターとなっている。川の西側は住宅・学校地区、東側は中国人、アラブ人などの居住地区である。南東部の動物園はコモドオオトカゲを飼育していることで知られる。国立エルランガ大学がある。[別技篤彦]

歴史

オランダ植民地時代を通じジャワ東部の政治・経済・文化の中心都市として繁栄するとともに、オランダ東インド会社海軍の最重要基地でもあった。同時にインドネシアの民族主義運動の拠点の一つであり、最初の本格的な大衆組織イスラム同盟(サレカット・イスラム)の指導者チョクロアミノトTjokroaminotoが活躍し、その下で若き日のスカルノが影響を受けたのもこの町であった。また1935年、ストモSoetomo医師らを中心に結成されたパリンドラ党の本部が置かれたが、同党は日本軍政に至るまでの期間、最大の民族主義政党として重要な役割を果たした。
 しかし、スラバヤの名を歴史的に不動なものとしたのは、独立戦争の初期インドネシア側と連合軍(英印軍)との間で展開された激しい市街戦であった。とくに1945年11月10日は、戦闘がピークに達し、インドネシア側は「独立か死か」の呼びかけの下に果敢な抵抗を行った。この日は、今日でも「英雄の日」として毎年全国的に祝われている。[後藤乾一]

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