コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

セレウキア Seleukia; Seleukeia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セレウキア
Seleukia; Seleukeia

セレウケイアとも呼ばれる。セレウコス朝シリア王国の領土に 12ないし 14ほど数えられる都市名。セレウコス1世に由来する。セレウコス朝下に新たに建設されたもの,在来の都市の改名,在来都市名に冠せられた場合などがある。以下の2つが有名。 (1) チグリス河畔のセレウキア バグダード南西約 32km,チグリス川右岸に位置する。前 312年頃セレウコス朝の創始者セレウコス1世により,広大な領土の首都として建設された。近隣にあったバビロンに代って繁栄し,オリエント世界におけるギリシア文明伝播の基地,東西通商の中継地となった。パルティア人が征服したのちも商業都市として栄えたが,35~42年の反乱,165年のローマの侵入による焼打ちなどにより衰亡。 (2) セレウキア・ピエリア シリアのオロンテス河口より北方 6.4kmに位置した港町。セレウコス1世により前 300年頃都市として建設されたが,まもなく首都はアンチオキアに移りセレウキアはアンチオキアの港となった。前 245年プトレマイオス3世エウエルゲテスに占領されたが,前 219年アンチオコス3世が奪還。ローマ時代には自治都市となり港湾都市として栄えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

セレウキア

シリア王国セレウコス1世がその領内に多く建設し自分の名をとって命名した都市。ギリシア語ではセレウケイアSeleukeia。最も有名なものは,前300年ころティグリス河畔のクテシフォンの対岸に建設されて王国の東の首都となったもの。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セレウキア
せれうきあ
Seleucia

メソポタミアの古代都市遺跡。ティグリス川と、ユーフラテス川からの一運河との合流点にあり、ほかの同名の都市と区別するため「ティグリス河畔の」という形容を付される。紀元前312年にセレウコス朝初代の王セレウコス1世がその領土の首都として設立した。発掘調査の結果によると、遺跡は四層からなり、第四層はセレウコス朝時代、第三層はパルティア王ミトリダテスによる占領(前141)から前143年のパルティア王に対する反乱まで、第二層はそれからローマのトラヤヌス帝(在位後98~117)による攻略まで、第一層はローマの将軍アウィディウス・カシウスによる攻撃(165ころ)までと、セプティミウス・セウェルス帝時代の攻撃(197ころ)までとに分けられる。市の住民は元来ギリシア人とバビロニア人であり、前3世紀初期にシリアのアンティオキアへの遷都が行われたあとも、またパルティア王の下でも自治を認められ、東西交易の拠点として繁栄した。[小川英雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

セレウキアの関連キーワードグレゴリオス[ナジアンゾスの]ヒエラポリス[シリア]西・南アジア史(年表)ミトリダテス[1世]セレウコス(1世)ドゥラ=エウロポスヘレニズムサマンダートラレススーサ条支

今日のキーワード

コペルニクス的転回

カントが自己の認識論上の立場を表わすのに用いた言葉。これまで,われわれの認識は対象に依拠すると考えられていたが,カントはこの考え方を逆転させて,対象の認識はわれわれの主観の構成によって初めて可能になる...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android