スペイン人宣教師。フランシスコ会士。日本におけるフランシスコ会宣教活動の中心人物として活躍した。1603年(慶長8)に来日、まず京都で日本語の知識に磨きをかけたのち、京都、豊後(ぶんご)府内(大分市)、大坂や江戸に布教して教会を建て、江戸浅草にハンセン病の病院を開設した。江戸、とくに本州の北部で、伊達政宗(だてまさむね)の好意を得て、宣教活動に従事した。1613年、徳川秀忠(とくがわひでただ)による江戸のキリシタン迫害で死刑を宣告されるが、政宗の嘆願で刑を免れる。同年、政宗の遣欧使節として支倉常長(はせくらつねなが)に同行、メキシコ経由でマドリードとローマに赴いた。ローマで教皇から東日本の司教に任命されたものの、反対する者があり、その任につくことはなかった。日本への帰路、マニラ総督により4年間も足止めされるが、1622年(元和8)、キリスト教禁制下の日本に向けて出航、薩摩(さつま)地方に潜入したがただちに逮捕され、2年後大村の近くで火刑により殉教した。
[大谷啓治 2018年2月16日]
スペイン人のフランシスコ会士。1594年同会に入会,東洋伝道を志し99年スペインを出発,翌年マニラに到着。同地の日本町で日本人キリシタンを指導し,日本語を学んだ。1603年(慶長8)フィリピン総督の書簡,贈物を携えて来日し,徳川家康,秀忠に謁見し,その後主として和歌山,江戸で布教に従事した。09年漂着したビベロと,メキシコ貿易開設を望む家康との間に立って,通訳兼斡旋役として尽力し,仮協定を成立させた。江戸で関東の地区長のころ伊達政宗の知遇を得,東北地方に布教を行い,教勢の拡大を図った。政宗に慶長遣欧使節を立案し,13年10月みずからも支倉常長らとともに渡欧した。ソテロの目的は(1)メキシコ貿易開設,(2)みずからが東日本地区の司教になること,にあったが,いずれも各方面からの反対によって失敗に終わった。22年(元和8)日本潜入後捕らえられ,24年(寛永1)に処刑。1867年に列福。
執筆者:岸野 久
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(野間一正)
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…その5年前,大村純忠らによって派遣された天正遣欧使節はローマに赴いて教皇グレゴリウス13世に謁している。禁教にもかかわらず,フランシスコ会士は1593年に初来日し,宣教師の一人ソテロは仙台へ行き,伊達政宗に迎えられた。江戸幕府は禁教令をきびしくし,オランダとのみ通商を認めたが,長崎の出島を離れることを許さなかった。…
※「ソテロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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