メキシコ生れのスペイン人。日本ではロドリゴとして知られる。メキシコ副王ベラスコに連なる名門で,13歳のときスペインへ渡り,宮廷で教育を受け,成人してメキシコに戻った。サン・フアン・デ・ウルア城塞守備隊長兼市長(1595),タスコ市長(1597),ヌエバ・ビスカヤ地方長官兼軍司令官(1599)などの重職を歴任し,軍事・行政面で手腕を振るった。1608年フィリピン臨時総督として派遣され,09年(慶長14)帰国のさい暴風雨によって上総岩和田に漂着し,救出された。江戸で徳川秀忠に,駿河で家康に会い,メキシコ貿易開設を望む家康との間に通商に関する仮協定を結んだ。11ヵ月の滞在ののち10年家康の使節ムニョス,日本人商人田中勝助らと帰国した。20年パナマ司法行政院長官兼軍司令官に任ぜられ,27年長年の功績によってバリェ・デ・オリサバ伯爵の称号を授けられた。著書の《ドン・ロドリゴ日本見聞録Relación y noticias de el reino del Japón》(《異国叢書》所収)は,江戸幕府草創期の日本社会を目撃した外国人の記録として貴重である。
執筆者:岸野 久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スペインのフィリピン臨時総督。日本ではロドリゴの名で知られる。メキシコで累進し、1608年フィリピン臨時総督に任命された。着任早々に、マニラで暴動を起こし捕らえられていた日本人の追放・送還を日本に通知し、同時にマニラ渡航日本船の制限を求めて、徳川家康・秀忠(ひでただ)の答書を得る。翌1609年(慶長14)メキシコに帰航途中、上総(かずさ)国(千葉県)岩和田(いわわだ)海岸で難破、乗組員50余人を失った。彼は救助されて、家康・秀忠に謁し、田中勝介(しょうすけ)(勝助)らの日本船でメキシコに送還された。家康の要請を受け日本とメキシコの貿易開始に尽力。のち1620年パナマ地方長官兼司令官、1627年パリエ・デ・オリサバ伯爵。日本滞在中の見聞を記した『ドン・ロドリゴ日本見聞録』(村上直次郎訳『異国叢書(そうしょ) 8』所収)がある。
[沼田 哲 2018年2月16日]
1564~1636
メキシコ官吏。1608年スペインのフィリピン臨時総督。09年(慶長14)後任総督着任によりメキシコへ帰国途上,上総沿岸に漂着し,江戸幕府に救助された。メキシコとの貿易を模索していた徳川家康によって,同地へ派遣された貿易商田中勝介(しょうすけ)とともに10年帰国。日本滞在中の見聞をもとに「日本見聞録」を著した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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