ダイアー(その他表記)Henry

翻訳|Henry

大学事典 「ダイアー」の解説

ダイアー
Henry

イギリスの工学者。グラスゴー郊外ボスウェルの職工の家に生まれ,鉄工所で徒弟奉公をしながらアンダーソン・カレッジの夜学に通う。その後,グラスゴー大学土木学と機械学を学び,優秀な成績を収めた。同大学のランキン教授の推薦を受け,1873年(明治6)若くして明治政府の工部省に招聘され,お雇い外国人教師となる。同省が開設する工学寮(1877年に工部大学校と改称,86年帝国大学に吸収)の初代都検(principal: 教頭)に就任し,土木学と機械学を講じた。フランスやドイツの学理中心の工業教育とイギリスの実践中心の技術者養成を結合し,世界に類例のない「学識ある専門職としてのエンジニアの教育」を目指した。この功績は当時の『ネイチャー』誌も称揚し,本国の技術カレッジの創設にも活かされた。また『エンジニアの教育』(1879年)では,エンジニアに専門職業教育と教養教育が必要とする工業教育論を説いている。日本の近代工業教育の基礎を築いたと評され,9年の滞在を経た帰国時には勲三等を,のちには東京帝国大学から名誉教師号を授与された。晩年は『大日本』(1904年)などを著述し,日本研究にも打ち込んだ。
著者: 杉谷祐美子

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダイアー」の意味・わかりやすい解説

ダイアー
Dyer, George

[生]1755.3.15. ロンドン
[没]1841.3.2. ロンドン
イギリスの著述家ラムの『エリア随筆後集一編友人蘇生」にその風変わりな人柄が活写されている。著書ケンブリッジ大学学寮歴史』 History of the University and Colleges of Cambridge (1814) など。

ダイアー
Dyer, John

[生]1699
[没]1758
イギリスの詩人ウェールズに生れ,現実の風景を婉曲的な修辞法で描写し,哲学的瞑想に昇華させるウェルギリウス風の詩を得意とした。主作品『グロンガー丘陵』 Grongar Hill (1726) ,『ローマの廃虚』 The Ruins of Rome (40) ,『羊毛』 The Fleece (57) 。

ダイアー
Dyer, Sir Edward

[生]1543.10. サマセット
[没]1607.5. ロンドン
イギリスの詩人,作曲家。エリザベス1世の宮廷に仕え,1596年ナイトに叙せられた。 P.シドニーや E.スペンサーの友人。名作『わが心は王国に等しい』 My mind to me kingdom isで知られる。

ダイアー
Dyer, Sir James

[生]1512. ラウンドヒル
[没]1582.3.24. グレートストートン
イギリスの司法官。オックスフォード大学卒業,1547年に上級法廷弁護士となり,52年にナイト爵を受けた。 56年より民事訴訟裁判官,59~82年同首席裁判長をつとめ,初めて判例主義を採用した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ダイアー」の解説

ダイアー Dyer, Henry

1848-1918 イギリスの工学者。
1848年8月16日生まれ。明治6年(1873)工部省の教師としてまねかれ来日,工学寮(のち工部大学校)の初代都検(教頭)となる。土木や機械工学をおしえ,日本の工学教育の確立,工業指導者の養成につくした。明治15年帰国。1918年9月4日死去。70歳。スコットランド出身。グラスゴー大卒。著作に「大日本」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む