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ダーウィニズム ダーウィニズムDarwinism

翻訳|Darwinism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダーウィニズム
Darwinism

C.ダーウィン進化論。単に進化論の一種であるだけでなく,進化論確立の重大な意義をもつ。『種の起原』 (1859) ,『家畜および栽培植物の変異』 (68) ,『人間の由来,および雌雄間選択』 (71) の3著作に述べられた一連の考えをさすが,自然選択説が中心となっている。その骨子は,すべての生物に微小な変異があり,自然界の生存競争すなわち自然選択によって生存に有利な変異をもつ個体が生残り,子孫を残し,世代を重ねるうち,有利な変異の集積によって新しい種として確立するという考えである。しかしダーウィンの時代には遺伝の機構は明らかでなかったので,遺伝する変異の範囲に曖昧さがあり,ダーウィニズムという場合に,今日の理解にどこまで密着させて考えているかは,用いる人,場所によりいろいろである。

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知恵蔵の解説

ダーウィニズム

自然淘汰(自然選択)を進化の基本的な機構と考える進化論。C.ダーウィンとA.R.ウォレスが同時に発表したが、ダーウィンの『種の起原』で広く知られるようになったため、こう呼ばれる。当時は遺伝の仕組みがわかっていなかったため、ダーウィンは獲得形質の遺伝を否定していなかったが、その後の遺伝学の発展でA.ワイスマンらにより否定され、変異の原因として突然変異だけを重視するネオ・ダーウィニズムが現れる。20世紀に入ると、集団遺伝学の理論や生態学その他の研究成果を踏まえて、進化の総合説が確立され、これが現在広く認められた正統派進化論となっている。

(垂水雄二 科学ジャーナリスト / 2007年)

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ナビゲート ビジネス基本用語集の解説

ダーウィニズム

イギリスのC.R.ダーウィンが、1859年にその著『種の起源』(通称)で唱えた生物進化に関する学説。 生物の個体間ではさまざまな変異が起こるが、環境に適した変異をもつものが生存競争に打ち勝って生き残る、という自然選択/自然淘汰 (natural selection) 説を骨子とする。そして、生存に有利な変異が世代を重ねて繰り返されることによって新しい種や属へと分化する、というもの。 しかし、個体の変異は次世代に遺伝しないなどの反証や批判も多く唱えられている。ダーウィニズムの中でも、自然選択の部分だけを強調する学説をネオ・ダーウィニズムという。

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世界大百科事典 第2版の解説

ダーウィニズム【Darwinism】

この語の意味は厳密にきまってはいない。まず第1の定義はC.ダーウィンの学説ということだが,それにもかれの学説の中心であった自然淘汰説をさす場合と用不用説などを含めた学説全体をさす場合とがある。ダーウィンと同時に自然淘汰説を公にしたA.R.ウォーレスはのちに自著の表題を《ダーウィニズム》(1889)としたが,これは前者の場合にあたる。ダーウィニズムの語で進化論一般をさした場合もあり,とくに進化論が大きな思想的影響を与えつつあった時代には進軍の旗印の役もした。

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大辞林 第三版の解説

ダーウィニズム【Darwinism】

生物進化の要因を自然選択と適者生存に求めるダーウィンの学説。
ダーウィンらによって唱えられた、に基づく進化論的なものの見方。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダーウィニズム
だーうぃにずむ
Darwinism

この語は生物学におけるC・R・ダーウィンの進化理論をさすほか、より広く社会思想における進化思想一般を意味する側面をもっている。ダーウィンは1859年刊の『種(しゅ)の起原』によって、生物は古来不変なものではなく、長い年月の間に進化してきたことを多くの資料に基づいて科学的に立証し、しかもその進化は、自然選択による適者生存の結果であり、人間も生物として例外ではなく、現存のサルと共通の祖先から分岐して生まれたものであるという学説を提出した。
 ダーウィンの進化論は自然科学の合理性を主張することによって世界観を変革し思想界に大きな影響を与えた。ダーウィンの時代、イギリスは産業革命から100年を経過し、産業資本主義の発展期にあり、海外市場の獲得や植民地争奪という自由競争が強化されつつあった。またダーウィン自身は富裕な階級の出身であって、当時の産業資本家たちのもっていた自由で文化的な環境で育てられた。このような社会的条件が彼の進化論を生んだ背景になっており、進化論にみられる変化、競争、発展という理念も当時の資本主義先進国イギリスの社会を反映している。進化論発表当初は、いちおうの衝撃を受けた思想界が結局において進化論を受容したのは、その素地がすでに当時の社会にあったからであろう。
 とはいえ、進化論ほど人々の宗教心を揺るがせたものはなかったといわれる。生物が進化すること、とくに人間がサルから進化したという見解は、キリスト教の教義を否定するものであり、『種の起原』出版直後にオックスフォードのウィルバーフォース主教が激しい攻撃を行ったことは有名である。また近年までアメリカの公立学校で進化論を教えることを禁止していた州があったこと、また進化論と『旧約聖書』の説いた創造説の両者を教えるべきだという法廷論争があったことを考えると、進化論と宗教との論争は1世紀以上も続いたことになる。
 進化論は、上昇期にあった資本主義からは生物と同様に社会も発展するという進歩の思想として受け止められた。一方、この時代に資本主義から社会主義への移行の理論を構築していたK・マルクスは『資本論』にダーウィンを引用した。F・エンゲルスは『自然弁証法』でダーウィニズムに欠陥が含まれていることを指摘しつつも弁証法的な自然観を支える学説の一つとしてエネルギー保存則、細胞説とともに高く評価している。
 ダーウィン自身は進化論を人間社会にまで演繹(えんえき)することは考えていなかったが、ダーウィン以後に自然選択や生存競争をそのまま社会に適用しようとする思想が現れ社会ダーウィン主義とよばれた。人間社会の個人間の優勝劣敗や弱肉強食を社会における普遍的な原理として主張する反動的な思想がそれで、さらに生存競争を個人間のみならず階級や国家、民族や人種の間にも拡張して適者生存よりもむしろ劣者淘汰(とうた)を主張し、貧困や戦争の必然性を主張する思想も現れた。
 ダーウィンの従弟(いとこ)のゴルトンは優生学を創始した。そこでは、文明社会では人道主義によって劣悪な素質をもつ者も生き残っているが、これは自然選択の原理に反するとし、社会の進歩のためには、遺伝的に決定されている優秀な素質をもつ者のみを残して繁殖させるべきであり、そのためには断種などによる人間の遺伝的改善をすべきであると主張する。かつてアメリカでおこった黒人排斥運動による移民制限法や断種法、さらに第二次世界大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人排斥や大量の虐殺のような人種差別の理論的背景は優生学である。この優生学が1972年から社会生物学として復活し、現在そのあり方をめぐってさまざまな論争が続いているが、たとえばアメリカでノーベル賞受賞者が関係する精子銀行などの問題はこの思想の現れの一つである。
 日本への進化論の導入は明治初年にアメリカの生物学者E・S・モースによって行われ、その後、丘(おか)浅次郎が『進化論講話』(1904)を書いてダーウィニズムを普及させた。この時代は日本は明治維新後の西欧思想一般の導入期であったため、文明開化の波にのって思想的にもまったく抵抗なしに受容された。日本には欧米のようにキリスト教との対立もなく、人間とサルとの連続性に対する強い反対もなかった。自然や社会の進化発展の思想は草創期にあった日本資本主義にとってむしろ歓迎されたが、同時に反動的な思想も現れている。東京大学総長の加藤弘之(ひろゆき)は『人権新説』(1882)を書き、人間にも生存競争と自然選択による優勝劣敗は必然であると主張し、自由民権論者から反論された。丘浅次郎も明治から大正にかけて新聞や雑誌の評論で人間社会における生存競争について論じ、社会ダーウィン主義的な思想を述べている。[宇佐美正一郎]

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