アメリカの免疫学者。マサチューセッツ州レキシントン生まれ。1981年ブランダイス大学生化学科を卒業、1987年ボストン大学から免疫学、微生物学の博士号を取得した。ボストンにあるベス・イスラエル・ディーコネス医療センターの内科で研修し、その後、国立衛生研究所(NIH)の研究員(フェロー)となり、エイズやコロナウイルス対策でアメリカを主導してきたアンソニー・ファウチAnthony Fauci(1940― )(国立アレルギー・感染症研究所長、在任1984~2022)のもとで研究の手ほどきを受けた。1997年ペンシルベニア大学医学部助教授となり、感染防御の鍵(かぎ)を握る樹状細胞の研究を本格化させた。2006年に同大学準教授に昇格、2013年に医学部教授に就任した。この間、2002年から2006年まで同大学のエイズ研究センター長を務めた。
1997年以降、免疫系の監視役となる樹状細胞の研究に力を注いだが、しだいに「生命の設計図」を翻訳するのに重要なmRNA(メッセンジャーRNA)のワクチンや遺伝子治療への応用研究に軸足を移していった。そのころ、mRNA研究に行き詰まっていたハンガリーの生化学者であるカタリン・カリコと出会う。カリコがペンシルベニア大学医学部に移ると、二人は、mRNAを使ったワクチン開発の共同研究を本格化させた。人工的につくったmRNAの接種後に副作用で炎症がおこることが課題だったが、細胞内にある別のRNAであるtRNA(トランスファーRNA)だと炎症がおこらないことから、mRNAの塩基の一つ「ウリジン」を類似の「シュードウリジン(プソイドウリジン)」に置き換える(塩基修飾)と、長く体内にとどまり、炎症が抑えられることを突き止め、2005年にその成果を学術誌に発表、同時に特許を取得した。さらに二人は改良を重ね、安定的に塩基修飾する技術を開発し、「RNARx」というベンチャー企業を設立。二人の技術は、アメリカのモデルナ社、ドイツのビオンテック社など新興の製薬メーカーにライセンス(使用許諾)され、ジカウイルスなどのワクチン開発に応用された。2019年以降、世界的に猛威を振るった新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)に対して、2020年1月にウイルスの遺伝子情報が公開されると、アメリカの製薬大手のファイザー社とビオンテック社が共同で開発したmRNAワクチンと、モデルナ社が独自に開発したmRNAワクチンが、公開から1年にも満たない2020年12月にそれぞれ製造・承認された。臨床試験(治験)では、95%近くの有効性(予防効果)が示され、発症予防、重症化予防によって、数百万ともいわれる世界中の人々の命を救った。
ワイスマンは、2020年ローゼンスティール賞、2021年アストゥリアス皇太子賞(学術・技術研究部門)、アルバニー・メディカルセンター賞、生命科学ブレークスルー賞、ラスカー賞(臨床医学研究賞)、2022年日本国際賞、ガードナー国際賞、ロベルト・コッホ賞など多数の賞を受賞。アメリカ医学アカデミー会員。2023年「新型コロナウイルスに対する効果的なmRNAワクチン開発を可能にした塩基修飾に関する発見」の業績で、カリコとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。
[玉村 治 2024年2月16日]
ドイツの生物学者。フランクフルト・アム・マインに生まれる。ゲッティンゲン大学で医学を修め、しばらく開業したが、のちギーセン大学でロイカルトについて発生学や形態学を学ぶ。1863年フライブルク大学医学部私講師、1865年助教授、1873年に教授となり、死の数年前、引退するまで動物学を教えた。若い時代の研究は主として無脊椎(むせきつい)動物の発生であったが、視力を失ったため顕微鏡を使う仕事ができなくなり、思索的研究に転じ、発生・遺伝・進化などに関する優れた哲学的考察を行った。とくに有名なのは、生物の生殖物質の連続性に関する生殖質説で、「有性生殖にあたり、生殖細胞が形成される際、父方からきた染色体(idantとよんだ)と母方からきた染色体とが還元される。そしてこれが精子と卵との合体で旧に復する。還元の際、遺伝子(idoとよんだ)に組換えがおこる。したがってさまざまな遺伝子組合せをもった生殖細胞ができる。それゆえ同じ両親から産まれた子供の間に相違がみられても不思議はない」と主張した。また体細胞と生殖細胞とを区別して考え、前者におこった変異は絶対に遺伝しないとした。さらに生物の進化は自然選択だけによっておこるとし、ダーウィンの自然選択の原理の適用範囲を内部の生殖質まで広げた。この説を自ら「新ダーウィニズム」と名づけ、その後に大きな影響を与えた。主著には『生殖質』(1892)、『進化論講義』(1902)がある。
[田島弥太郎 2018年12月13日]
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ドイツの動物学者。フランクフルト・アム・マイン生れ。初めゲッティンゲン大学で化学と医学を学び,いったんは医者になったが,ギーセン大学に再入学しおもに昆虫の発生を研究し,その後1912年の定年までフライブルク大学動物学研究所に勤めた。顕微鏡研究で目を酷使し視力が衰えたため後半生は理論面に力を注ぎ,1892年の《生殖質説Das Keimplasma》として結実した。これによると,生殖細胞の核だけはすべての形質の決定因子を保持し続けるが,体細胞は発生の経過とともに決定因子が不均等に分配されてゆき,最終的に少数の決定因子の支配によって組織分化が起こるとされ,獲得形質の遺伝は全面的に否定された。ワイスマン学説は近代的前成説と呼ぶべきものであったが,他の学説よりも精緻(せいち)で,かつ当時注目されていた染色体のふるまいともうまく対応したため,広く受け入れられた。このほか《進化論講義Vorträg über Deszendenztheorie》(1902)も有名である。
執筆者:米本 昌平
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…とくにダーウィンは彼の遺伝理論パンゲン説を論ずる中でそのことを述べている。これに対して獲得形質遺伝を否定するものも19世紀末から20世紀にかけ盛んにみられ,ドイツのA.ワイスマンはその代表格である。彼は生殖質連続説を提唱,次代を構成する生殖細胞以外,すなわち体細胞が受けた環境の影響は遺伝とは無関係であることを主張した(1885)。…
…1883年A.ワイスマンが提唱した生殖質説で想定した遺伝物質で,遺伝子に似た概念である。この説によれば生殖質は生物の遺伝と生殖に関与するデテルミナントdeterminant(決定要素)とよばれる単位から構成される。…
…しかし再生の発見につづき奇形発生の研究,動物の発生の比較研究などから,前成説はしだいに不利になっていく。19世紀後半におけるもっとも精緻なA.ワイスマンの発生学説(1892)にも前成説の要素がみられるが,ボネのそれよりもいっそう複雑に構成されており,後成説との境界はあいまいである。後成説【中村 禎里】。…
※「ワイスマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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