チャイルドハロルドの遍歴(読み)チャイルドハロルドノヘンレキ

デジタル大辞泉 の解説

チャイルドハロルドのへんれき【チャイルドハロルドの遍歴】

《原題Childe Harold's Pilgrimage
バイロンによる長編の物語詩。1812年から1818年にかけて全4編を刊行。スペンサー詩体と呼ばれる韻文で書かれた、著者初期の代表作
ターナー絵画カンバス油彩題材とし、イタリアの理想的な風景画として描いた作品。ロンドンテートギャラリー所蔵。チャイルドハロルドの巡礼

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 の解説

チャイルド・ハロルドの遍歴 (チャイルドハロルドのへんれき)
Childe Harold's Pilgrimage

イギリスの詩人バイロンの物語詩。全4巻。1812-18年刊。1,2巻(1812)は,人生の快楽にあきた貴公子が〈いやされぬ心の傷〉を抱いて地中海諸国をさまよい,異国の風光と歴史にふれてつづった放浪詩である。憂愁の美あふれるこの詩集で,バイロンは一夜でヨーロッパの知名詩人となった。しかし妻との離別のあと永久にイギリスを離れた詩人の遍歴の3,4巻(1816,18)は,いっそう奥深い真実の魂の叫びを伝えている。〈千年の歴史が翼をひろげていた〉とうたうベネチアの〈嘆きの橋〉や,〈わがふるさと,魂の都〉とうたう〈ローマ〉,それに故国への別れの歌〈大洋〉は,胸にひびく名作である。土井晩翠東海遊子吟》(1906)は,《チャイルド・ハロルドの遍歴》から構想を得ている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のチャイルドハロルドの遍歴の言及

【アリー・パシャ】より

…しかし,彼は支配権を確立する過程で,この地方のギリシア人,アルバニア人を圧迫し,また当時強力に中央集権化を進めていたオスマン帝国のマフムト2世の政策と対立したため,フルシト・パシャを総司令官とするオスマン軍団に攻められて戦死した。晩年,国際的にその名を知られた彼の“東洋的”な生活ぶりは,イオアニナを訪れたバイロンの出世作《チャイルド・ハロルドの遍歴》に主題の一つを提供した。彼の死後に残された200以上の農場(チフトリキ)を含む莫大な遺産は,オスマン王家に没収された。…

【バイロン】より

…同年,2年にわたる地中海諸国への旅に出発。その成果は,一夜にして彼を文壇のアイドルにした《チャイルド・ハロルドの遍歴》第1,2巻(1812)の出版だった。当時のペシミズムの風潮を象徴する憂鬱な貴公子のデビューは衝撃的だった。…

※「チャイルドハロルドの遍歴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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