日本大百科全書(ニッポニカ) 「ちらし」の意味・わかりやすい解説
ちらし
一枚ものの小型印刷広告。引札(ひきふだ)、びらともいう。英語のbillは公文書についている印章を意味する中世ラテン語のbullaに由来し、広告を意味するようになったのは1470年代という。世界に知られる手書きの最初のびらはローマ時代の本屋の店先に、また最初の印刷びらは、イギリスのカクストンの『サルズバリーのパイ』(1477)という宗教書の広告であると伝えられている。日本では宝永(1704~11)ごろに始まって文化・文政(1804~30)期から盛んに出回り、江戸では引札、大坂ではちらしで通っていた。店開きなどで贈るおめでたいものを江戸では「絵片(えびら)」といった。主として引札は配る広告、びらは貼(は)る広告というように区別していた。
ちらしあるいは引札は、初め「安売り札回し」といって安値で売る宣伝のために用いられたが、のちには開店披露や売り出しのために、市街の辻々(つじつじ)、湯屋、髪結い床、あるいは神社・仏閣、地蔵、道祖神などにまで貼付(ちょうふ)された。商品が出回り、庶民の購買力が高まって、不特定多数を相手とする商業への転換期にあった江戸後期では、このちらしが戯作者(げさくしゃ)たちの腕の振るいどころであった。平賀源内の土用のうなぎや嗽石香(そうせきこう)(歯みがき粉)、滝沢馬琴(ばきん)の神女湯(しんにょとう)、奇応丸、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の浴衣(ゆかた)地、為永春水(ためながしゅんすい)の伊勢(いせ)屋(茶屋)、山東京伝(さんとうきょうでん)の松桂庵(しょうけいあん)(そば屋)、式亭三馬(しきていさんば)の江戸の水(化粧品)などのちらしは後世にも残る傑作である。
現代のちらしは、地域広告主のエリア・マーケティングの一手段として、折込広告を中心に行われ、新聞社も地域広告版あるいはフリー・ペーパーの発行などで対応している。
[島守光雄]
『増田太次郎著『引札 繪びら 錦繪廣告』(1976・誠文堂新光社)』