デュマ(読み)でゅま(英語表記)Alexandre Dumas (père)

デジタル大辞泉 「デュマ」の意味・読み・例文・類語

デュマ(Alexandre Dumas)

[1802~1870]フランスの小説家・劇作家。波瀾万丈はらんばんじょうのストーリー性に富んだ作風で、大衆の人気を博した。小説「三銃士」「モンテクリスト伯」など。大デュマ。
[1824~1895]フランスの劇作家・小説家。の子。娼婦の純愛を描いた小説「椿姫」で認められ、その劇化で大成功を収める。以後、社会風俗を扱った戯曲を多く発表。小デュマ

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精選版 日本国語大辞典 「デュマ」の意味・読み・例文・類語

デュマ

  1. [ 一 ] ( Alexandre Dumas アレクサンドル━ ) フランスの劇作家、小説家。大デュマ(デュマ=ペール)とも呼ばれる。フランス革命時の将軍を父として生まれ、豊かな想像とストーリー性に富む英雄物語的長編を書き、大衆の人気を博した。代表作として「三銃士」「モンテ・クリスト伯」などがある。(一八〇二‐七〇
  2. [ 二 ] ( Alexandre Dumas アレクサンドル━ ) フランスの劇作家、小説家。デュマ=ペールの子。小デュマ(デュマ=フィス)とも呼ばれる。娼婦の純愛を描いた長編「椿姫」でデビューし、社会風俗に根ざした劇作にも活躍。代表作は小説「椿姫」のほか戯曲「金銭の問題」など。(一八二四‐九五
  3. [ 三 ] ( Jean-Baptiste André Dumas ジャン=バチスト=アンドレ━ ) フランスの化学者。有機化合物の分子構造の研究、元素の原子量の決定、元素分類法の開拓などを行ない、学界で活躍した。第二帝政期には教育相などを歴任。(一八〇〇‐八四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュマ」の意味・わかりやすい解説

デュマ(父)
でゅま
Alexandre Dumas (père)
(1802―1870)

フランスの劇作家、小説家。フランス北部の小さな町、ビレル・コトレ生まれ。父は退役将軍でデュマが4歳のとき亡くなり、たばこ屋を営む母の手で育てられた。1823年パリに出て、後の国王ルイ・フィリップの書記として働きながら、文学の修業に励んだ。29年『アンリ3世とその宮廷』Henriet sa Courがコメディ・フランセーズ座で上演され絶賛を博す。そこにみられる愛、陰謀、復讐(ふくしゅう)、暗殺といった筋立ては、当時隆盛期にあったロマン派演劇の特徴だったが、のちに彼によって発表される多くの長編小説の世界とも共通している。続いて31年に発表の『アントニーAntonyも、社会体制への抵抗、抑えがたい情念といった主題で、ロマン派演劇の代表的傑作の一つとされている。戯曲はほかに『ネールの塔』(1832)、『キーン』(1836)などがある。

 当時フランスでは歴史小説の一種のブームがみられたが、1840年代以降のデュマは、旺盛(おうせい)な創作力を長編歴史小説に注ぐこととなる。歴史小説といっても史実にはあまりこだわらず、劇作の場合と同じように、主として波瀾(はらん)に富んだ筋書きのおもしろさで読者をひきつける。剣豪ダルタニヤンを中心とする三部作『三銃士』(1844)、『二十年後』(1845)、『ブラジュロンヌ子爵』(1848~50)、そして『モンテ・クリスト伯』(1844~45)などが有名。なお、実生活でも奔放な性格の持ち主であり、『椿姫(つばきひめ)』の作者デュマ(子)は彼の私生児である。

[宮原 信]

『生島遼一訳『三銃士』全2冊(岩波文庫)』『笹森猛正訳『ブラジュロンヌ子爵』(1949・講談社)』『山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』(『世界文学全集14』所収・1969・集英社)』


デュマ
でゅま
Jean Baptiste André Dumas
(1800―1884)

フランスの有機化学者。フランス中南部のアレスの書記の子。コレージュ初等教育を受けたのち薬剤師に徒弟入り。その後ジュネーブに移る。そこでの研究が認められ、パリの理工科大学校(エコール・ポリテクニク)の化学復習教師に採用される(1823年。1835年から教授)。ほかにもソルボンヌ大学(パリ大学)(1841)、医科大学(1839)の教授に就任。工業技術学校の設立、『化学・物理学誌』の編集にも参加。また、二月革命ののちには政治にもかかわり、農商務大臣、元老院議員などの要職につく。1868年からは科学アカデミーの終身会長。フランスで初めて実験室教育を行い、多数の弟子を養成した。リービヒと並ぶ19世紀なかばごろの化学界の大立て者。

 ガラスや染料などの化学技術や生理学を含む広範囲の研究を行った。とりわけ、現在も用いられている蒸気密度測定法(1826)と窒素定量分析法の開発や原子量の改定、同族列の概念を含む有機化合物の分類、置換の説(1834)と型の説(1840)の提唱は有機化学の創生に大きな貢献を果たした。当初ベルツェリウスの電気化学的二元論を支持していたデュマは有機化合物は塩基性部分および酸性部分からなると考えたが、化合物中の水素が塩素によって置換され、さらに酢酸の塩素置換物が同様の化学的性質をもつことから化合物の単一構造(型)説を唱えた。この説は弟子のジェラールゲルアルト)らによって新型の説に発展し、ついで有機化学構造論の展開をみることになる。

[肱岡義人]


デュマ(子)
でゅま
Alexandre Dumas (fils)
(1824―1895)

フランスの劇作家、小説家。アレクサンドル・デュマとベルギー生まれの裁縫女カトリーヌ・ラベーの私生児としてパリに生まれる。母親から受け継いだ堅実な市民性やモラルが、彼の作風を父とはまったく別のものにしたといわれる。年少のころから父の身辺の文学者たちと交わり、詩や小説を書き始める。社会の偏見に苦しんで歓楽街に青春を埋(うず)めた日々の体験から、初期の作品が生まれた。詩集『若気の過ち』(1847)、小説『椿姫』(1848)である。父の勧めで劇化された『椿姫』は、テーマを不道徳とする検閲官の偏見にあって初演(1852)までに数年を要したが、ボードビル座での初演は破格の成功を収め、以後デュマに問題劇作家という方向性を与えた。

 贋(にせ)貴婦人の野心をくじく『半社交界(ドウミ・モンド)』le Demi-Monde(1855)、金力支配を攻撃する『金銭問題』(1857)、社会の偏見を糾弾する『私生児』(1858)、姦通(かんつう)問題を取り上げた『クロードの妻』(1873)など、一見してわかるように、第二帝政の享楽的・物質的社会が生み出すさまざまな悪への直接的攻撃である。彼自身の出生を原点とするこの厳しい道徳的欲求は、劇作家が裁判官や説教師の役を演じるとの批判も浴びたが、身近な問題性や華麗でリアルな描写が当時の観客には新鮮だった。今日これらの作品は、テーマの有効性は失われたが、第二帝政期の風俗資料としての価値をもつ。エミール・オージエとともに19世紀写実主義演劇を担う作家である。アカデミー会員。

[佐藤実枝]

『吉村正一郎訳『椿姫』(岩波文庫)』『新庄嘉章訳『椿姫』(新潮文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「デュマ」の意味・わかりやすい解説

デュマ
Jean-Baptiste-André Dumas
生没年:1800-84

フランスの化学者。中央技術工業学校創立者の一人。アカデミー・デ・シアンス会員。初め薬学を学び,医学・生理学的研究も行った。研究の大部分は1848年ころまでで,以後は政治家としての活動が多くなり,農業大臣,元老院議員,造幣局長も務めた。最初の重要な化学上の貢献は,常温で固体である物質の蒸気密度測定法の改良である。水銀,硫黄,リン,ヒ素の蒸気密度を測定し,当時のアボガドロの仮説に基づいて,原子量の正確な決定を試みた(1826,32)が,それぞれ当時認められていた原子量の1/2倍,3倍,2倍,2倍の値を得てしまい,この試みは失敗し,かえって原子論に対して慎重な態度をとらざるをえなくなった。次に,エーテル化(エステル化との区別はできていない)の問題に取り組み,この反応のメカニズムを解明するため,有機化合物における塩素による水素の置換反応を研究し,これを一般化して置換の理論(メタレプシー)を提唱した(1834-38)。この理論は,当時の電気化学的二元論(化合物は+と-の原子または基の結合)を否定するもので,以後二元論は衰退する。彼は,原子論への関心は持ちつづけ,J.S.スタスとともに炭素の原子量をベルセリウスよりも正確に決定した(1840)。また,塩素を除けば大部分の元素の原子量が水素の整数倍になることから,W.プラウトのように,すべての原子は同じ基本物質(たとえば水素の1/2)の集合体ではないかと考えた。
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化学辞典 第2版 「デュマ」の解説

デュマ
デュマ
Dumas, Jean Baptiste André

フランスの化学者.1816年ジュネーブに行って,自然科学を学んだ.1823年パリに出て,エコール・ポリテクニークで化学の“自習監督”(répétiteur)をする.1832年科学アカデミー会員に選ばれ,1841年からはパリの理学校の正教授となり,同時にエコール・ポリテクニーク,パリ医学校の化学教授も兼任した.1868年には科学アカデミー終身書記長となった.1826年それまでの気体密度測定法を改良し,常温で固体の物質も加熱により蒸気にして測定できるようにした.単体の場合に,アボガドロの法則を適用して原子量を計算しようとしたが,リン,硫黄,ヒ素,水銀に関しては期待した数値と合わず,原子論に対して慎重な態度をとるようになった.しかし,後になって弟子のJ.-S. Stasとともに,炭素原子をはじめいくつもの原子量のより正確な測定を行っている.有機化学においては,エタノールエチルエーテルの研究から,炭化水素のラジカル(のちの官能基に相当)を考え,メチル基,エチル基に近いものを考えた.さらに,アルコールとハロゲンとの反応から,1834年置換反応の存在を示した.かれは,有機化合物の構造による分類にまでは至らなかったが,一方でW. Prout(プラウト)の仮説(元素の原子量が水素のそれの整数倍になり,水素はほかの元素をつくる始源物質である)にもとづいて,元素を基本原子量の整数倍の値から分類することを試みた.政治にも関心を示し,下院議員に当選した後,1849年農商務大臣を務め,のちに上院議員に任命された.

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百科事典マイペディア 「デュマ」の意味・わかりやすい解説

デュマ[父]【デュマ】

フランスの作家。将軍だった父親と幼少のとき死別,十分な教育を受けず成長,20歳でパリに出てオルレアン公に仕えながら読書に精進。戯曲《アンリ3世とその宮廷》(1829年)で成功し,次いで《アントニー》《キーン,狂気と天才》などを発表。やがてW.スコットばりの歴史小説に転じ,《モンテ・クリスト伯》のほかは助手に下書きさせるほど多くの作品を世に送った。《三銃士》などいずれも巧みな構成で大衆の心をつかみ,著作の合計は小説,戯曲,旅行記など300以上にのぼる。
→関連項目デュマ[子]宮崎夢柳両世界評論

デュマ[子]【デュマ】

フランスの作家。デュマ(父)の庶子。《椿姫》で成功し,社会問題を加味した風俗劇《ドゥミ・モンド》(1855年)や《金銭問題》《私生児》など,現実に取材して,それを客観描写する多くの小説を書いた。
→関連項目長田秋濤くるみ割り人形

デュマ

フランスの化学者。パリ大学教授。水の組成を精密に測定。蒸気密度測定法,有機化合物の窒素定量法を創案。有機化学構造論において基型説を発展させ,ベルセリウスの二元説に対抗。鎖状アルコールの研究から同族列の概念を提出。第二帝政時代には造幣局長等も歴任した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュマ」の意味・わかりやすい解説

デュマ
Dumas, Alexandre (Davy de la Pailleterie); Dumas père

[生]1802.7.24. ビレール=コットレ
[没]1870.12.5. ディエプ,ピュイ
フランスの小説家,劇作家。デュマ・ペール (父) と呼ばれる。膨大な作品を書いたが,小説よりむしろ戯曲によって,ロマン派を代表する作家となった。小説はほとんどが共作者の助力を得たもので,なかでもオーギュスト・マケの力が大きい。『三銃士』 Les Trois Mousquetaires (1844) ,『モンテ=クリスト伯』 Le Comte de Monte-Christo (44~45) ,『黒いチューリップ』 La Tulipe noire (50) などの歴史小説によって世界中に親しまれている。戯曲では,通俗的ともいえる筋書を,情熱的で動きのある大団円に導く舞台感覚に恵まれている。なかでも『アンリ3世とその宮廷』 Henri III et sa cour (29) は大成功を収めた。ほかに『アントニー』 Antony (31) など。

デュマ
Dumas, Alexandre; Dumas fils

[生]1824.7.27. パリ
[没]1895.11.27. マルリルロア
フランスの劇作家,小説家。デュマ・フィス (子) と呼ばれる。デュマ・ペールの私生子として生れ,不幸な少年時代を過した。最初の小説『椿姫』 La Dame aux camélias (1848) はのちに劇化 (52) され,19世紀の最も有名な戯曲の一つとなった。作品は彼の経歴を反映して,社会の腐敗は家庭の欠陥に帰因するという考えに基づいており,次第にきびしい道徳観と正義観に貫かれていく。おもな戯曲に『半社交界』 Le Demi-Mondo (55) ,『金銭の問題』 La Question d'argent (57) ,『私生児』 Le Fils naturel (58) ,『女性の友』L'Ami des femmes (64) ,『クロードの妻』 La Femme de Claude (73) など。アカデミー・フランセーズ会員 (75) 。

デュマ
Dumas, Jean-Baptiste-André

[生]1800.7.14. アレー
[没]1884.4.10. カンヌ
フランスの化学者。薬局に奉公し,独学で化学,植物学を修めたが,A.フンボルトの目に留り,パリに出て,パリ大学の教授およびコレージュ・ド・フランスの教授となった (1832) 。ヨウ素の薬学的・生理学的研究 (18) ,窒素定量法 (→デュマ法 ) の考案 (30) ,アントラセンの分離 (31) ,ショウノウの構造式の決定 (32) ,鎖式アルコールの研究 (36) など,有機化学の発展に多大の寄与をなした。また気体の密度の測定から,その分子量を求める方法も考案した。 J.リービヒとともに「基」の概念を提唱し,J.ベルセーリウスと論争した。 1849年国民議会議員になり,さらに農商務大臣や文部大臣などを歴任した。

デュマ
Dumas, Georges

[生]1866.3.6. ガール,レディニャン
[没]1946.2. ガール,レディニャン
フランスの心理学者,生理学者。パリ大学教授,同心理学研究所所員。 T.A.リボーの門下で,生理学的,病理学的見地からの感情,情緒に関する業績が多い。 P.M.F.ジャネとともに,"Journal de psychologie"を創刊。主著『微笑と情緒の表出』 Le Sourire et l'expression des émotions (1906) ,『感情生活』 La Vie affective (48) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「デュマ」の解説

デュマ(父・子)(デュマ(ちち・こ))
Alexandre Dumas

父子同名。(父)1802~70フランスの小説家。『三銃士』『モンテ・クリスト伯』など興趣あふれる物語を数多く書いた。(子)1824~95前者の子。小説『椿姫』によって世に出,風俗劇『ドミ・モンド』,社会問題劇『クロードの妻』などを書き,近代劇に写実主義を確立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「デュマ」の解説

デュマ
Alexandre Dumas
(父)1802〜70
(子)1824〜95

ともにフランスの小説家・劇作家
【父】大デュマと呼ばれる。ロマン主義的な多くの作品を書いた流行作家。代表作は『三銃士』『モンテ=クリスト伯』。
【子】小デュマと呼ばれる。劇作家として多くの作品を書いたが,近代劇の写実主義の確立者。小説『椿姫』はのちにベルディにより歌劇にも改作され,代表作となった。

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367日誕生日大事典 「デュマ」の解説

デュマ

生年月日:1866年3月6日
フランスの心理学者,生理学者
1946年没

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世界大百科事典(旧版)内のデュマの言及

【アントラセン】より

三つの環から成る芳香族炭化水素の一つ。1833年にJ.B.A.デュマがコールタール中から単離したもので,ギリシア語の石炭を意味するanthrasに起源・出所を示す接尾辞eneをつけて命名された。純品は,エチルアルコールから再結晶したものは板状結晶,ベンゼンから再結晶したものは針状結晶で,いずれも無色の結晶であるが紫色の蛍光を有する。…

【化学】より

…ベルセリウスは,基は不可分の物質の構成単位で,電気力によって有機物分子をつくる,と考えた。しかしJ.B.A.デュマとローランAuguste Laurent(1807‐53)は,電気的な力に重点をおかず,種々の基が結合できる〈核〉を考えた。核の種類に応じて有機物は〈型〉に分類される。…

【窒素定量法】より

…たとえば有機態窒素化合物(タンパク質,アミノ酸,アミノ糖,核酸など)は,そのほとんどすべてを一つのグループとして取り扱うこともできる。すなわち,これらの有機態窒素化合物は,いずれも酸化銅などの酸化剤の存在下,N2を含まない気流中で強熱分解するとN2に変わり(デュマ窒素定量法),硫酸銅などを含む濃硫酸液中で加熱分解するとNH4に変わる(ケルダール窒素定量法)。したがって加熱分解後は,有機態窒素化合物の定量はN2あるいはNH4の定量に帰することになる。…

※「デュマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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