1947年3月12日の議会での演説で表明されたアメリカ大統領トルーマンの対外政策の一般原則。彼は〈合衆国の外交政策の主要目的の一つは,われわれ自身および他の諸国民が圧政に脅かされることなく生活を営むことができる状態の創造にある〉と述べ,全体主義体制の脅威から守るために,イギリスに代わってギリシア,トルコへの4億ドルの経済・軍事援助の必要を説いた(5月22日ギリシア・トルコ援助法が成立)。これは東地中海地域の共産主義化を防ぐためのものであった。この自由主義対共産主義という世界情勢の二元的把握は,連邦職員忠誠審査行政命令(1947年3月21日公布,忠誠審査制度)と相まって,国民の間に冷戦的雰囲気を助長することとなった。さらにこの政策は,マーシャル・プラン,NATOへと発展した。
→冷戦
執筆者:黒田 満
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1947年3月12日にアメリカのトルーマン大統領が上下両院合同会議での演説で表明した外交方針。彼はここでトルコとギリシアへの4億ドルの経済・軍事援助を正当化するにあたり,世界は全体主義と自由主義の二つの世界に分かれているといい,前者の脅威に対して後者を支援することがアメリカの政策でなければならないと主張した。冷戦の開始を告げた演説であった。
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…ポツダム会談,国際連合の創設,広島と長崎への原爆の投下,日独戦犯の裁判など第2次世界大戦の終結と戦後処理に指導的役割を果たした。戦後はソ連との対決姿勢を強め,47年に〈トルーマン・ドクトリン〉を発表したのをはじめ,48年ソ連のベルリン封鎖に対抗して空輸作戦を指令,49年北大西洋条約機構(NATO)を結成するなど,〈冷戦〉外交を展開し,さらに50年朝鮮戦争にあたって韓国援助のため派兵を決定した。48年の大統領選には彼の政策に対する批判から民主党内が3派に分裂する中で一般の予想をくつがえして勝利をおさめ,内政面ではニューディールを継承・拡大する〈フェアディール〉政策を提唱した。…
…たとえば,アメリカは東側ブロックを〈多数の上に強制された少数の意志を基礎としている。それは恐怖と弾圧,新聞・ラジオの検閲,定められた選挙,そして個人の自由の抑圧に依存している〉(1947年3月,トルーマン・ドクトリン)体制であるとし,ソ連は西側陣営を〈帝国主義・反民主主義陣営で,アメリカ帝国主義の世界制覇と民主主義の破壊とを基本目的としている〉(1947年9月,コミンフォルム宣言)体制であると批判した。 イデオロギー対立は,確かにこの時代に限られたものではない。…
※「トルーマンドクトリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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