改訂新版 世界大百科事典 「トンボ」の意味・わかりやすい解説
トンボ (蜻蛉)
トンボ目Odonataに属する昆虫の総称。古名アキヅ,アキツ,アケズ,ダンブリなど。広く世界各地に分布し,約6000種類くらいが命名されている。熱帯地方に種類が多いが日本列島には200種が見られ,その中には系統学上興味の深い種類が含まれている。
分類,進化と系統
トンボ目は体の構造,とくに翅や腹部の違いによって3亜目に分けられる。均翅類は前・後翅がともにほぼ同じ形,同じ脈相を示す。イトトンボ,モノサシトンボ,カワトンボ,ハナダカトンボなどの各科が含まれる。不均翅類は前翅と後翅の横幅が異なり,後翅の面積が広く,とくに基部のほうが広がっているため,脈相も違ってくる。サナエトンボ,ムカシヤンマ,ヤンマ,オニヤンマ,トンボ(シオカラトンボ,ハッチョウトンボ,アカトンボ,コシアキトンボ,チョウトンボなどを含む)などの各科が含まれる。ムカシトンボ類は翅形翅脈は均翅類型である。
最古のトンボは古生代上部石炭紀のころから知られ,巨大な(翅を開くと60cmに達する)種類も記載されている。古生代下部二畳紀のころより今日のトンボ類の祖先と見られるものが発見され,上部二畳紀からは今日の真正均翅類に入ると考えられるものが認められた。中生代に入ってこれからムカシトンボ類と考えられる1群が出て三畳紀,ジュラ紀に栄えた。この類は今日日本のムカシトンボとヒマラヤの他の1種と合計2種類だけ遺存している。今日の不均翅亜目(ヤンマ科,トンボ科)はジュラ紀ころにムカシトンボ亜目から分岐し,第三紀に入っては今日のような多様な均翅類,不均翅類が分化したと思われる。
形態
概して大型または中型の昆虫で,頭部は半球形(不均翅類),または撞木状(均翅類)で,複眼がその左右両端を占める。胸部のうち前胸節は小さく頸状(けいじよう)になっているが,中胸,後胸の両節は大きく塊状に癒合し,背面後方部には2対の翅を,腹面前方部には中・後両肢を備えている。元来飛翔(ひしよう)生活を主とする昆虫なので肢は歩行には適さない。腹部は棒状で細長く,消化系,生殖系の主要な器官が入っている。複眼の発達に反して触角は短く極小化し,頭部の下面には肉食に適した鋭い歯列をもった口器がある。4枚の翅はほぼ同長で,均翅類では根もとが柄状に細まり,不均翅類ではとくに後翅の基部が広がっている。翅の縦脈はよく発達し,前縁の中央には結節があり,また翅端近くには厚みのある不透明な縁紋があって翅の補強をしている。腹部は例外なく明りょうな10個の環節よりなり,尾端には雌雄とも1対の尾肢を備え,不均翅類ではさらに1個の,均翅類では1対の下付属器をもっており,交尾の際の連結に用いられる。雄の生殖門は第9腹節の腹面に開くが,雌のそれは第8,9両節の間にある。雌の産卵器は2対の針状突起または1個(対)の弁よりなる。雄の外部生殖器は第2,3節の下面にあり副性器と称されるが,この構造は昆虫類中トンボ類だけに見られる。消化管はまっすぐに体の中央を貫き,神経系はその下面の正中線を走る。筋肉系では塊状となった胸部の中に翅を動かす大筋が発達し,口器や肢や腹節の筋肉は小さい。腹部の消化管をとり巻いて内部生殖器が発達するが,雌の卵巣には数千の卵が発達する。雄の内部生殖系は腹部の後方に偏っている。これらの体内の筋肉や諸器官の間には気門より続く気管系が行き渡り,各所で気囊を形成し,呼吸作用を助けるとともに,体の比重を小さくしている。
生態,行動
トンボ類はすべて卵生で,卵は通常個々に水中にまき落とされるか,または植物の組織中(ときには湿土中)に産み込まれる。これらは,低温時を除いて,1ヵ月以内に孵化(ふか)して,エビ状の前幼虫となり,直ちに脱皮して1齢幼虫となる。幼虫は俗にヤゴ(水蠆)とも呼ばれ,円筒形または扁平で,水中を歩行し遊泳し,水中の小動物をとらえて食べ,7~13回くらいの脱皮をして成長する。口器のうち下唇はとくに長大となり,これを急速にのばして餌をとらえる。また不均翅類では体内の直腸部が膨大してここにえらを備え,肛門から水を出入させて呼吸を行う。均翅類では一般に尾端に3個の付属器である尾鰓(びさい)を備えこれを主要な呼吸器官とする。幼虫期間は短いものでは2~3ヵ月であるが,ふつう1~3年くらいが多く,さらにムカシトンボの場合では7年くらいと想像されている。成熟した幼虫は羽化のため,中胸部前方にある気門呼吸に呼吸を切りかえ,夜間(ときには昼間も)水を離れて,他物によじ登りしっかりと体を固定させて脱皮を行う。胸部の前方と複眼部がまず裂けて体を脱出させ,肢の固まるのを待って最後に腹部を抜き出す。トンボ類では羽化直後のものは筋肉が未発達で,数日から数週間水域を去って,樹上や山上に移動し捕食に専念する。アキアカネの場合には高山地域にまで移り数ヵ月後に成熟してふたたび低地に戻ることが知られている。このほかヨーロッパのヨツボシトンボは陸上で,また環熱帯に広く分布するウスバキトンボはときに海洋上を遠距離移動する。成熟した雌雄のトンボは幼虫の育つのに適した水域にきて交尾産卵する。このときに一定区域(多くは水面)になわばりを設定するものが多い。交尾に際しては雄が雌の前胸部をつかむもの(均翅類)と頭部をつかむもの(不均翅類)とがあり,このように連結したあと,雌は腹部を曲げて腹端を雄の2,3腹節の副性器に結合させる。交尾時間は秒単位からときに1時間以上にわたるものまである。産卵に際しては単独の雌の場合も多いが,雌雄連結して行う種類が少なくない。また空中から放下したり,潜水して行うもの,水面上方にある植物体に産み込むものもある。トラフトンボ属では卵を1本のゼラチン状のひもの中にまとめて産み落とすことが知られている。
執筆者:朝比奈 正二郎
伝承と民俗
日本
古くは〈あきづ〉と呼ばれ,日本の国土を〈あきづしま〉という。神武紀に,天皇が〈国の状(かたち)を廻(めぐ)らし望〉んで〈蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな〉といったので〈秋津洲(あきづしま)〉と呼ぶようになったとある。民間では,初秋に突如として群れをなして飛来するところから,祖霊が姿をかえてやってくるとみてこれをとらえることを忌み,とらえると〈盆と正月礼にこい〉と唱えて放つ風習があった。東北地方にはトンボに姿を変えた魂が宝物を埋めた場所を知って長者になる昔話(蜻蛉(だんぶり)長者)がある。
執筆者:千葉 徳爾
東洋医学
トンボは古代中国の道教では強陰止精薬とされ,薬名は蜻蛉。別名に蜻蜓,諸乗などがある。薬にされたのは眼の大きい青いトンボに限られており,翅と足を除いていったものを服用する処方が5~6世紀の医書に記載されている。また日本でも薬用にされていた。
執筆者:槙 佐知子
欧米
欧米では元来,トンボを益虫としたり,勇ましい,あるいは魅力のある虫と考えることはなかった。子どもがトンボとりに夢中になることはないといってよい。トンボはむしろ不吉な,気味の悪い虫であるとされることが多く,その別名として,英語darning needle(〈かがり針〉の意)とか,同じく英語devil's darning needle,ドイツ語Teufelsnadel,フランス語aiguille du diable(いずれも〈悪魔のかがり針〉の意)とか,英語witch's needle(〈魔女の針〉の意)というのがある。これはトンボがその長いしっぽを針のように使って,人間の耳を縫いつけてしまうとか,子どもがうそをついたり,いけないことをいったりすると唇を縫ってしまうという俗信に由来する。親がそういって小さい子を脅すことがあった。北アメリカではmosquito hawk(〈蚊取り鷹〉の意)と呼ぶことがあり,これは日本人にも理解しやすいが,snake doctor(〈蛇の先生〉あるいは〈蛇の医者〉の意)という奇異な別名もある。蛇に危険が近づくとトンボがそれを蛇に知らせてやるという迷信に基づく。同様にflying adderおよびadder fly(〈飛ぶマムシ〉の意)ともいう。
フランスの古い迷信でもトンボと爬虫類や両生類などが結びつけられることが多く,おそれられ,いやがられてきたようである。サンショウウオとトンボを同じ名で呼び,かまれると危険であると思っている地方や,洗濯女などが,トンボに“刺されないよう”におまじないの文句を唱えていた地方がある。またトンボの翅で手が切れるとか,トンボに額を打たれると必ず死ぬとかいわれていた。フランス語ではトンボをlibelluleと呼ぶが,これはリンネが1758年にラテン語でlibellulaと名づけて以降のもので,俗称はdemoiselle(〈お嬢さん〉の意)であった。英語ではオハグロトンボ,イトトンボのような均翅類のものをdamsel flyという。またドイツ語,オランダ語では,Wasserjungferおよびwater juffer(いずれも〈水辺の乙女〉の意)という。
執筆者:奥本 大三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報