アメリカの美術家。インディアナ州フォート・ウェインに生まれる。ウィスコンシン大学で数学と美術を学び、カリフォルニア大学大学院でさらに美術を学んでいる。
大学院在学中の1965年に繊維ガラス、ゴム、フェルトなどによる一連の立体作品をつくりはじめた。『無題』と題された65~66年の多くの作品は、壁や床といった支持体にシンプルなかたちをゆだねて、空間やマテリアルとの関係性を探るサイトスペシフィック(特定の場所と分かちがたく結びつく美術作品の特徴)な作品が主流だった。それは、ロバート・モリスの、フェルトを切り刻んで一部を針金で吊り上げるようなインスタレーション作品『無題』(1967~68)と類似点がみられる。その後、身体の一部を型どりしたゴム製の作品やスタジオ内で1人で行う『蛍光灯管を操る』(1969)などのパフォーマンスのビデオを制作した。70年代に入って、ミニマル作品が主流だったアート・シーンからは距離をおくようになり、より人間探求や身体の問題に傾倒し、それを作品化していった。たとえば潜伏、混乱、封印といった問題を考察するために、限られた出入口しかない廊下を模した細長い空間を用いて『ライブ・テープト・ビデオ・コリドール』(1968~70)、『ダブル・ウェッジ・コリドール』(1970~74)などのインスタレーションを行った。
80年代は、鉄製のフレームの中央に椅子を宙吊りにする『死と同調する椅子があるダイヤモンド・アフリカ』(1981)など、社会にはびこる暴力や抑圧に対する恐怖をテーマにした作品を、政治的なメッセージをこめて制作した。この作品は、政治的な迫害者を象徴するものとして、その後もバリエーションを増やしてたびたび制作された。その後、日常の攻撃的な行為を映すビデオ作品『暴力的なできごと』(1986)を発表した。このころから『アメリカン・バイオレンス』(1981)など、ネオンサインで描いた言葉を用いた作品も数多く発表された。ネオンサインを使った作品では、1971年に『イート(食)/デス(死)』という作品を初めて制作している。この時期の代表作『グッド・ボーイ/バッド・ボーイ』(1986、87)では100のシンプルな文章が使われている。同名タイトルの、男女が速度や抑揚を違えてそれらのテキストを読み上げるビデオ・インスタレーションもある。
このようにナウマンの作品は、立体、ネオン、ビデオ、インスタレーション、パフォーマンス、テキストなど多岐にわたるメディアを駆使して制作されている。その背景には、人間の根源的な行為に対する興味から、社会のなかで個人がどのような態度を取って活動したり、体験したりするのか、といった基本的な問題の探求がある。それは「生/死」といった人間が避けることのできないテーマの考察につながっているのである。
ドクメンタ9(カッセル、1992)、ベネチア・ビエンナーレ(1995、1999)、サン・パウロ・ビエンナーレ(1998)など国際展に数多く出品。またベルギー、アイルランド、オランダ、オーストリア、イギリス、イスラエルを巡った「ブルース・ナウマン回顧展」(1993~95)、パリ、ロンドン、ヘルシンキを巡回した個展「Image/Text」(1997~98)など、多彩な展覧会を開催している。
[嘉藤笑子]
『Coosje van BruggenBruce Nauman(1988, Rizzoli, New York)』▽『Robert C. Morgan ed.Bruce Nauman(2002, Johns Hopkins University Press, Baltimore/London)』▽『Nauman, Kruger, Jaar(catalog, 2002, Daros Services, Zürich)』
ドイツの地質学者。ザクセンのマイセンで生まれる。ミュンヘン大学で学位を取得した。日本政府から東京開成学校(東京大学の前身)の鉱山学科に招かれたが、1875年(明治8)来日のとき鉱山学科は廃止されていて、金石取調所で和田維四郎(わだつなしろう)と鉱物の調査にあたった。1877年に東京大学が創設され、地質学担当の教授となった。和田とともに建言していた地質調査所が1879年に設立されるとここに移り、1885年の辞職まで地質調査の指導にあたった。日本への地質学の導入、地質調査事業の開始に果たした功績は大きい。日本の地質を初めてまとめ世に紹介した『日本列島の構成と生成』(1885)の著書がある。とくにそのなかで、フォッサマグナによる東北、西南日本の区分、本州を通じて走る「中央割れ目帯」(西南日本のものはのちに中央構造線とよばれた)による内、外帯の区分などの地体構造区分の研究は、大きな影響を日本に残した。ナウマンゾウは彼を記念して命名された。
[木村敏雄 2018年8月21日]
ドイツのプロテスタント神学者、政治家。ウィルヘルム2世の治下において国民主義と社会主義を結び付けようとする国民社会連盟を結成したが、1903年の総選挙に敗北してから進歩人民党に加わり、国会議員(1907~1912、1913~1918)を務めた。1919年にドイツ民主党の党首となり、知識人の間に多くの知己を得た。ワイマール憲法の作成にも努力したが、彼の根本思想は、ドイツを中心とする中央ヨーロッパの統合で、ウィルヘルム2世の世界政策とは別の形において「リベラル・インペリアリズム」を表したものである。
[西村貞二]
ドイツの地質学者。B.S.ライマンとともに日本に最初に地質学を導入し,日本の地質をまとめヨーロッパに紹介した。ドイツ,ザクセンのマイセン生れ。ミュンヘン大学で地質学を学び,1874年学位を得,バイエルン鉱山局地質課に勤務中,ミュンヘン大学教授で上司だったギュンベルCarl Wilhelm von Gümbel(1823-98)の勧めで日本に職を得る。75年(明治8)来日,地質調査を始める。77年東京大学の開設にあたり,日本で最初の地質学教授となり,多くの後進を育てた。78年政府に進言して,内務省地理局に地質課(現在の地質調査所)を置き,翌年ナウマン自身大学から同課に移った。その後全国の地質調査を立案し,自身も東北・関東・四国地方を調査,85年退職,帰国した。
同年ベルリンで開かれた万国地質学会議に際して,自分が指導して調査した日本の地質をまとめた《日本群島の構造と生成Über den Bau und die Entstehung der japanischen Inseln》を出版(1885),日本列島は内・外帯に分かれた帯状構造をもつ単一の大弧状山脈で,大陸側からの横圧力によって形成され,さらに中央部に大陥没帯を生じて,東北日本と西南日本に分かれたとした。その大陥没地帯を86年フォッサマグナと命名した。帰国後はミュンヘン大学や鉱業会社に関係して,トルコ,メキシコなどの調査を行い,また日本の地質についての論文をいくつか発表している。持ち帰った日本の化石についても研究・発表した。在日中に日本の旧象化石についてまとめ,ドイツの雑誌で発表している(1881)。その中に記載されている横須賀産のものは,槙山次郎によって別の亜種とされ,ナウマンを記念してナウマンゾウと命名された(1921)ものである。ナウマンは帰国後,自説の日本群島構造論だけでなく日本の文物の紹介にも努めたが,好意的ではなく,当時ドイツに留学していた森鷗外と論争したことはよく知られている。
執筆者:清水 大吉郎
ドイツの政治家。プロテスタントの牧師としてシュテッカーAdolf Stoecker(1835-1909)のキリスト教社会派の運動に参加。M.ウェーバーとの交友の中でこれと決別,1896年国民社会協会を創設。《民主主義と帝制》(1900)で世界政策と民主主義を結合する〈社会的帝制〉を主張。次いで自由主義左派の結集に尽力,第1次世界大戦中は《中欧》(1915)でドイツ覇権下の経済新秩序を唱道。ドイツ革命では新設のドイツ民主党Deutsche Demokratische Parteiの党首となる。
執筆者:三宅 立
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(村上陽一郎)
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1860~1919
ドイツの政治家。1896年国民社会協会を設立して社会的帝政を主張,1903年自由思想連合(帝国主義的な左翼自由派)に合流した。第一次世界大戦中『中欧論』(1915年)を著し,ドイツ指導下の中央ヨーロッパの統合を唱えた。ドイツ革命後ドイツ民主党党首。
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1854.9.11~1927.2.1
ドイツの地質学者。ザクセン生れ。ミュンヘン大学卒。1875年(明治8)御雇外国人として来日し,東京大学で地質学を教授。彼の提案で地質調査所が設置された。日本列島をフォッサマグナが東北日本と西南日本とに分断したと考えた。
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