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ナウマン ナウマン Naumann, Edmund

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナウマン
ナウマン
Naumann, Edmund

[生]1854.9.11. ザクセンマイセン
[没]1927.2.1. フランクフルトアムマイン
ドイツの地質学者。日本の地質学の基礎を築いた。ミュンヘン大学卒業。 1875年に来日。東京大学初代の地質学教授 (1877~79) 。 78年内務省地理局内に地質課 (のちに農商務省地質調査所) を設立し,日本の地質学の発展に大きく貢献。

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ナウマン
ナウマン
Naumann, Friedrich

[生]1860.3.25. ライプチヒ
[没]1919.8.24. トラーベムンデ
ドイツの政治家,ルター派の神学者。初め牧師だったが,キリスト教社会運動に投じ,1896年国民主義社会主義を結ぶ国民社会同盟を結成。しかし 1903年の総選挙に敗れドイツ自由思想家党に加わった。

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デジタル大辞泉の解説

ナウマン(Edmund Naumann)

[1850~1927]ドイツの地質学者。明治8年(1875)日本政府に招かれて来日、同18年帰国まで東大で地質学を教授。日本列島地質構造を調査し、フォッサマグナによって東北日本西南日本に分け、西南日本を中央構造線によって内帯・外帯に分けた。

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百科事典マイペディアの解説

ナウマン

スウェーデンの湖沼学者。ルンド大学教授。1920年ころドイツのティーネマンとともに総合湖沼学を体系づけた。1921年には湖沼標式についての論文を発表し,1922年には国際陸水学会を提唱し成立させた。
→関連項目湖沼学

ナウマン

ドイツの政治家。牧師出身でキリスト教社会運動に携わった後,1896年国民社会協会を設立して社会的帝制を主張。第1次大戦中ドイツの指導による中央ヨーロッパ経済共同体の構想を発表。

ナウマン

ドイツの地質学者。マイセン生れ。ミュンヘン大学に学ぶ。1875年来日。東大で日本の地質学育成に貢献。地質調査所の設立を建議。初めて日本の地質系統を整理し地質構造区分を行う。
→関連項目ナウマンゾウブラウンス

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ナウマン Naumann, Edmund

1854-1927 ドイツの地質学者。
1854年9月11日生まれ。明治8年(1875)に来日し,10年東大で日本最初の地質学教授となる。12年地質調査所にうつり各地で調査にあたり,18年帰国。日本の地質構造を解明し,東西をわける地溝帯をフォッサ-マグナと命名。化石象ナウマンゾウは彼の名による。1927年2月1日死去。72歳。マイセン出身。ミュンヘン大卒。著作に「日本列島の構成と生成」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ナウマン

没年:1927.2.1(1927.2.1)
生年:1854.9.11
明治期に来日したお雇い外国人。ドイツ人地質学者。マイセン生まれ。ミュンヘン大学で地質学を学び,1874年に学位取得後,バイエルン鉱山局に就職。明治8(1875)年に来日して東京開成学校の教師となり,開成学校が10年東大となって,初代の地質学の教授となった。2年後当時の政府に建言して内務省地理局に地質課を新設させ,そこに配置換えになった。15年に地質調査所となったこの機関(初代所長は和田維四郎)に6年間勤務したナウマンは,18年帰国するまで,日本全土の地質学的調査に専念した。その成果のなかでも最も著名なのは,本州中部を横断する構造体としての褶曲山脈を発見,これにフォッサ・マグナと命名したことであり,こうした知見を土台に日本列島の構造の生成に関して地質学的仮説を提案したことである。 地質調査の副産物として化石の発掘や調査も行い,15年瀬戸の小豆島,横須賀などから出土した旧象化石を発表し,これらはのちに槙山次郎によって「ナウマン象」と名付けられた。学者としては優秀だったが,教師としては問題があり,また帰欧後の日本の紹介活動も皮相的で,1886年にドレスデンの地質学協会での日本についての講演には,出席していた森林太郎(鴎外)が反論を展開するという事件もあった。帰国後はミュンヘン大学やいくつかの会社を転々としたが病気がちのうちに没した。<著作>《Ueber den Bau und die Entste‐ hung der japanischen Inseln》<参考文献>上野益三『お雇い外国人』3巻自然科学

(村上陽一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ナウマン

ドイツの作曲家。イタリアに旅行した際にタルティーニハッセの目にとまり、ヴェネツィアでオペラの作曲家としてデビューした。オペラの他には、オラトリオやミサ曲、コラール・カンタータ等の教会音楽や器楽作品 ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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世界大百科事典 第2版の解説

ナウマン【Edmund Naumann】

1854‐1927
ドイツの地質学者。B.S.ライマンとともに日本に最初に地質学を導入し,日本の地質をまとめヨーロッパに紹介した。ドイツ,ザクセンのマイセン生れ。ミュンヘン大学で地質学を学び,1874年学位を得,バイエルン鉱山局地質課に勤務中,ミュンヘン大学教授で上司だったギュンベルCarl Wilhelm von Gümbel(1823‐98)の勧めで日本に職を得る。75年(明治8)来日,地質調査を始める。77年東京大学の開設にあたり,日本で最初の地質学教授となり,多くの後進を育てた。

ナウマン【Friedrich Naumann】

1860‐1919
ドイツの政治家。プロテスタントの牧師としてシュテッカーAdolf Stoecker(1835‐1909)のキリスト教社会派の運動に参加。M.ウェーバーとの交友の中でこれと決別,1896年国民社会協会を創設。《民主主義と帝制》(1900)で世界政策民主主義を結合する〈社会的帝制〉を主張。次いで自由主義左派の結集に尽力,第1次世界大戦中は《中欧》(1915)でドイツ覇権下の経済新秩序を唱道。ドイツ革命では新設のドイツ民主党Deutsche Demokratische Parteiの党首となる。

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大辞林 第三版の解説

ナウマン【Edmund Naumann】

1854~1927) ドイツの地質学者。1875年(明治8)来日、東京大学で地質学を教授。日本列島の地質構造を調査し、内帯と外帯に分ける中央構造線を設定した。さらに中央部の大陥没地帯(フォッサ-マグナと命名)の生成によって東北日本と西南日本に分かれたとした。85年帰国。

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