アムール川河口付近と樺太(からふと)(サハリン)に分布する少数民族。ロシア革命前はギリヤークГиляки/ Giryaksとよばれていた。ニブヒは、アムール川下流域の人々の自称、ニブフをロシア語風に複数化したもので、サハリンの人々の自称はニグブンНитвн/Nigvngという。人口は4631(1989)。言語はツングース語系の民族とまったく異なるが、ツングース語系の諸民族に囲まれていたため、語彙(ごい)にその影響がみられるほか、物質文化も彼らのものに近い。
[佐々木史郎]
生業の中心は漁労と海獣狩猟である。漁労ではサケ漁がもっとも重要で、川沿いに網をかける。漁は数家族共同で行われ、数日間で4000~5000尾もの漁獲があった。漁法は魚に応じて変わるが、同種の魚でも季節によって変えることもあった。海獣狩猟ではトド、アザラシが重要で、トドは固定網で、アザラシは棍棒(こんぼう)か銛(もり)で捕らえられた。アザラシ猟は春の初めから夏まで続けられた。狩猟は他の周辺民族より重要ではないが、クロテン、クマなどがおもな獲物で、銃、わな、弓矢が使われた。19世紀中ごろからは農業が伝わり、ジャガイモなどが栽培された。こうした生業に必要な道具類のほとんどは自家製であるが、金属性の道具は中国人、日本人、ロシア人らとの交易で得たものを鍛冶(かじ)屋がつくり直した。住居はかつては半地下式(竪穴(たてあな)式)であったが、中国の明(みん)代から満洲族の切妻型の木造家屋が用いられるようになった。冬季は地上に建てられるが、夏季は高床となった。伝統的な衣装は、木綿や魚皮、毛皮などでできたズボンとローブ、アザラシ皮の靴、シラカバの樹皮でつくった帽子である。交通手段にイヌぞりとスキーが使われた。トナカイ飼養民が近隣に住むが、トナカイを飼うことはまれで、もっぱらイヌを飼い、そりを引かせる。イヌは飼養に大量の魚が必要だが、貴重な財産として、贈り物や儀礼のときの供儀(くぎ)として使われた。
[佐々木史郎]
社会は数十の外婚的父系氏族に分かれている。氏族内では婚資の支払い、葬式、殺人事件の賠償などのときに成員同士が助け合うことになっていた。氏族間の婚姻関係には一定の規則があり、「義父」とよばれる妻たちの出身氏族と「婿」とよばれる娘たちの嫁ぎ先の氏族とが一致してはならないのがたてまえであった。
[佐々木史郎]
宗教は、ロシア人との接触で公式にはギリシア正教を受容したことになっているが、古来のアニミズム的信仰のほうがはるかに強い。彼らは海、山、川などの自然の事物それぞれに「主(ぬし)」がいると考えた。そのなかでもっとも重要なのが「山の主」と「海の主」で、山の幸、海の幸をもたらすものとして尊ばれ、定期的に儀礼を行い、供物を捧(ささ)げて豊穣(ほうじょう)を祈り、また感謝した。クマは山の世界(天上界)の人間であり、下界に対応する氏族を形成していると考えられていた。したがって熊送りは氏族の祖先崇拝儀礼であった。まず森で子グマをとらえて数年飼い、たいていは冬の佳(よ)き日をみてそれを殺して山の主に捧げ、祝宴を開き、ダンス、イヌぞり競走などを行うというものである。埋葬は多くの場合火葬だが、サハリンの西海岸では土葬である。火葬の場合、遺骨は火葬場の近くに建てられた小屋に副葬品とともに収められ、定期的に供養されたのち、熊送りで締めくくられた。なお、ソ連時代に入ってからは、漁労・狩猟活動はコルホーズ、ソフホーズ単位となり、医療、教育など改善された面も大きかったが、固有言語と伝統文化は著しく衰退した。ソ連が崩壊に向かう1980年代末より、それらの復興と土地利用権の回復を求める民族運動が活発になり、作家のV・サンギ、民族学者のCh・M・タクサミなどの指導によってシベリア少数民族全体の運動に発展した。
[佐々木史郎]
『E・A・クレイノヴィチ著、枡本哲訳『サハリン・アムール民族誌――ニヴフ族の生活と世界観』(1993・法政大学出版局)』
ロシア連邦の極東地方,アムール川の下流域とサハリンに居住する原住民。人口4600余(1989)。単数形ではニブフ。ニブヒは自称で〈人間〉の意であるが,かつてはギリヤークGilyakiと称された。ニブヒ語(ギリヤーク語)はいわゆる親縁な兄弟言語をもたない孤立した言語であるが,隣接の諸言語とともに旧アジア諸語に含められている。歴史的にはアイヌをはじめ,隣接するツングース・満州語系の諸族と密接な関係にあり,文化的にも著しい共通性をもつ。生業は河川でのサケ・マス漁,海岸での海獣狩猟を中心とする狩漁採集で,夏は川岸や海岸の地上構造の家に,冬は内陸の冬の家(竪穴住居)に移り住んだ。サケ・マスの干魚(ユッコラ)は人間と犬の主要な食糧であり,移動手段には大型の外洋船,河川用の丸木舟,犬ぞりがあった。信仰や儀礼にはアニミズムが濃厚であり,また宇宙は地上,地下,天上の世界と水の世界から成り,おのおのに〈主(ぬし)〉が存在するとされ,日常的に供物がささげられた。なかでも〈水の主〉や熊の儀礼は氏族制を基盤とする社会生活のなかで重要な機能を果たしていた。宗教としてシャマニズムが挙げられるが,シャーマンの役割は社会的にはけっして大きくはなかった。この地域では例外的なこととして火葬が行われたが,水死や自殺,熊に殺された場合などには別の葬法が採られた。熊儀礼,物質文化,豊かな口承文芸にはアイヌとの共通点が少なくない。旧ソ連邦時代にはコルホーズ,ソホーズなどが組織され,社会や生活様式は近代化していた。
執筆者:荻原 真子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…アムール川下流地方とサハリン(樺太)で約2000人の話し手がいる。ロシアではアムール方言の〈人〉を意味する自称によって〈ニブヒ語Nivkhi〉として知られ,日本ではそのサハリン方言形をとって〈ニクブン語〉の名称も用いられてきた。1930年代にアムール方言を基礎とした文字が案出され,初等教科書が編まれた。…
…上記のハンティ,マンシ,ネネツもその一部であるが,大部分はツングース語系諸族と旧シベリア諸族(パレオアジアート,古アジア諸族とも呼ばれる)である。前者には西シベリアからオホーツク海沿岸に分布するエベンキ族,アムール川下流,サハリン,沿海州に分布するエベン族,ナナイ族,ウリチ族,ウイルタ族(旧称オロッコ族),オロチ族などの民族が属し,後者にはコリヤーク族,チュクチ族,イテリメン族(旧称カムチャダール族),ニブヒ族(旧称ギリヤーク族),ユカギール族,ケート族などの民族が属する。 インド・ヨーロッパ語族に属する言語をもつ民族には,前記のロシア人,ウクライナ人,白ロシア人(ベラルーシ人)のほかに,バルト海沿岸にリトアニア人とラトビア人,ウクライナの南に,ルーマニア人と言語・文化の面で近いモルダビア(モルドバ)人がいる。…
※「ニブヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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