バーゼル条約(読み)バーゼルジョウヤク(英語表記)Basel Convention

翻訳|Basel Convention

デジタル大辞泉 「バーゼル条約」の意味・読み・例文・類語

バーゼル‐じょうやく〔‐デウヤク〕【バーゼル条約】

Basel Convention》1989年3月、ユネップ国連環境計画)がスイスバーゼルで採択した、有害廃棄物の国際移動を規制する条約。1992年5月発効。日本は平成4年(1992)に批准。対象物質は、PCB水銀をはじめとする47品目。国際移動は、輸出国に処理する技術がない場合か、相手国で再生利用される場合に限って認められ、両国政府の許可が必要となる。正式名称は「有害廃棄物の越境移動及びその処分の管理に関するバーゼル条約」。→バーゼル法

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共同通信ニュース用語解説 「バーゼル条約」の解説

バーゼル条約

有害廃棄物の国境を越えた移動を規制する条約。1989年にスイス・バーゼルでの国連環境計画(UNEP)主催の会議で採択され、92年に発効した。プラスチックごみは対象外だったが、輸入国での不法投棄海洋汚染が問題化。生態系への悪影響も指摘され、2019年の締約国会議で日本とノルウェーが共同提出したプラごみも対象とする条約改正案が採択された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーゼル条約」の意味・わかりやすい解説

バーゼル条約
ばーぜるじょうやく
Basel Convention

有害廃棄物による汚染の防止を目的とする条約。正式名称は「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約Basel Convention on the Control of Transboundary Movements of Hazardous Wastes and their Disposal」であり、1989年3月に採択され、1992年5月に発効した。日本では、1993年(平成5)9月の加入書寄託を経て同年12月に発効した。

 1976年にイタリアのセベソにある農薬工場で爆発事故が起き、汚染された土壌が国外へ持ち出されたため、ヨーロッパ共同体(EC)や経済協力開発機構(OECD)によって有害物質の越境移動の規制が検討された。その後、1988年にイタリアなどからナイジェリアに持ち込まれた発癌(がん)性化学物質を含む有毒廃棄物により深刻な汚染被害が発生した。また、同様の事件がアフリカおよびカリブ地域で続出したため、国連環境計画(UNEP)によって国際的な条約作成のための作業が進められた。

 この条約は、発生国および輸出国に第一次的な責任と義務を負わせている。その規制の対象とされる物質は、毒性、揮発性、感染性、腐食性などの有害性を有する廃棄物であり、再利用されるものも含まれる。これらの物質は、輸送と最終的処分が環境的に健全である場合に限って輸出が認められる。有害廃棄物の行方不明防止のために、輸出者から最終受領者に至るまでを監視するための事前通告および事後報告手続ならびに情報管理手続が定められている。また違反に関する通報制度も定められている。なお、輸出国は、契約条件に反する場合には、輸出した廃棄物を再輸入しなければならないとされている。

 さらに、規制の強化を求めて1995年に、先進諸国から開発途上国への輸出を全面禁止する改正が採択された。しかし、発効に至らないため、2011年の締約国会議において、その発効を促進するための決議が採択された。最終的に、1995年改正は2019年12月に発効した。

 他方で、1999年12月には、有害廃棄物の国際移動および処分に伴う損害に対する責任および補償に関する議定書が採択された。それは、有害廃棄物の越境移動と処分に伴う損害に対して賠償責任および十分な補償のための総合的な制度を樹立することを目的としている。通告者、処分者、輸出者または輸入者には厳格責任(いわゆる無過失責任)が適用され、保険、保証金またはその他の財政保証措置を用意しておくことが義務づけられている。

 補償については、有害廃棄物の積載量に応じて段階的な限度額の下限(たとえば、25~50トンは400万SDR(国際通貨基金特別引出権)以上、同1000~1万トンは1000万SDR以上など)が定められているが、具体的な金額の設定は各国の国内法に委ねられている。この補償が実際の損害額を下回る場合に備えて、既存の基金制度を用いて十分かつ迅速な補償のための追加的および補足的措置をとることが予定されている。この議定書は2021年時点で未発効である。

 一方で、プラスチック(プラ)ごみによる海洋汚染が増大しており、それらの微細小片(マイクロプラスチック)は、魚介類からも見つかっている。この問題への国際的な関心は高く、2018年6月の主要7か国(G7)首脳会議は「海洋プラスチック憲章」を採択した(日米は未署名)。2019年6月の主要20か国・地域(G20)首脳会議は、2050年までに新たな汚染をゼロにするための「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」を採択した。東南アジア諸国連合ASEAN)首脳会議(同年6月)も、海洋ごみ削減に関する「バンコク宣言」を採択した。

 この問題の一因は先進国から開発途上国へ再生資源として輸出されるプラごみであるため、バーゼル条約も対応策を定めた。2019年5月の第14回締約国会議において、有害な特性を示すプラごみを附属書Ⅷ(有害廃棄物リスト)に追加するとともに、再生に適したプラごみを附属書Ⅸ(対象外リスト)に追加する改正が採択された。つまり、規制対象となるのは「汚れたプラごみ」であり、その輸出には輸入国の同意が必要とされる。その改正は2021年1月1日から適用された。

 バーゼル条約について、日本では「特定有害廃棄物等の輸出入等の規制に関する法律(バーゼル法)」(平成4年法律第108号)が対応しており、輸出入については、「外国為替及び外国貿易法」も関係している。

[磯崎博司 2021年9月17日]

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百科事典マイペディア 「バーゼル条約」の意味・わかりやすい解説

バーゼル条約【バーゼルじょうやく】

有害廃棄物の越境移動によって人の健康,環境に損害が生じることを防止するため,1989年3月,バーゼル(スイス)で開かれた国連環境計画(UNEP)主催の外交会議で採択された条約。正式名称は〈有害廃棄物等の越境移動及びその処分の管理に関するバーゼル条約〉。1992年に発効。この条約で規制の対象となるのはダイオキシンアスベストPCB水銀カドミウムなど27種の有害廃棄物だが,医薬品廃棄物や写真関連の廃液,廃油なども発生形態別に明示している。放射性廃棄物国際原子力機関(IAEA)に,また船舶廃棄物は国際海事機関に委ね,条約の対象から外した。日本では〈特定有害廃棄物等の輸出入に関する法律〉を1992年に制定し,翌1993年に同条約に加盟した。2012年12月現在締約国数は178ヵ国1機関。

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知恵蔵 「バーゼル条約」の解説

バーゼル条約

1980年代に欧州からアフリカへの有害廃棄物の不法輸出事件などが相次ぎ、国連環境計画(UNEP)を中心にルール作りを検討。89年に有害廃棄物の輸出について許可制、事前審査制を導入、不適正な輸出入が行われた場合は政府に引き取りの義務付けなどを設けたバーゼル条約が採択され、92年5月に発効した。これに伴い日本では、環境庁(現・環境省)と通産(現・経済産業)省がバーゼル国内法を制定。バーゼル法の規制の対象となっている有害廃棄物を輸出入する際、事業者が申請書類を経済産業省に提出すると、環境省が相手国に同意の確認を求めるなどチェックする。2005年の日本からの有害廃棄物の輸出は101件、6766t。輸入は同113件、5405t。鉛蓄電池、使用済み触媒などが多い。

(杉本裕明 朝日新聞記者 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーゼル条約」の意味・わかりやすい解説

バーゼル条約
バーゼルじょうやく
Basel Convention on the Control of Transboundary Movements of Hazardous Wastes and their Disposal

正式名称は「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」。有害廃棄物の処理をその発生国に原則として義務づけ,有害廃棄物の越境移動の際の国際的な安全基準の確保,移動される側の国と通過国への事前通報とそれらの国の同意を得る義務,不法移動の防止,処罰のための措置などを義務づけた条約。1976年にイタリアのセベソで起こった農薬工場爆発事故で生じたダイオキシン汚染土壌が,その後他国で処分されようとした事件 (セベソ事件) を契機として,国連環境計画 UNEPで検討が行なわれ,1989年スイスのバーゼルで採択された。1992年5月,加盟国が条約の発効要件である 20ヵ国に達し発効した。

バーゼル条約
バーゼルじょうやく
Treaty of Basel

1795年4月5日,スイスのバーゼルで締結されたフランス共和国とプロシアとの和平条約。プロシアはライン川をフランスの東部国境として認めることに同意し,フランス軍はライン右岸を明渡すが,全般的平和の到来まで左岸のプロシア領を暫定的に引続き占領することになった。これは事実上,単なる休戦条約にすぎなかったが,それ以降約 10年にわたって北部ドイツに平和を保障し,ワイマールにおける古典主義文芸の全盛を可能にした。

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世界大百科事典(旧版)内のバーゼル条約の言及

【スペイン】より

…スペイン継承戦争以降,同族関係にあったスペインとフランスは同盟を結んでいたが,92年にパリ革命政府がルイ16世を処刑し,スペインに宣戦布告をすると,スペインはヨーロッパの王政諸国と歩調を合わせ,革命政府打倒の方針を打ち出した。しかし,革命政府との戦い(1793‐95)では,カタルニャ地方やバスク地方が自らのナショナルな感情と王政擁護の立場から果敢な抵抗を試みたものの,スペインは敗北し,戦後処理のために結ばれたバーゼル条約(1795)で,領有していたサント・ドミンゴ島の半分をフランス革命政府へ割譲した。この敗北を機に,カルロス4世の寵臣M.ゴドイは,スペインの海外植民地へ触手をのばし始めたイギリスに対抗するためにも,フランス革命政府,次いでナポレオンに対して宥和政策を打ち出した。…

【対仏大同盟】より

…前後7回にわたり,ほとんどすべてのヨーロッパ諸国がそのいずれかに参加してフランスと戦ったが,全体を通じてこれらの同盟の中心となったのはイギリスであり,第1次から第5次まではフランスの勝利に,第6,7次はフランスの敗北に終わった。第1次は,1792‐93年にオーストリア,プロイセン,イギリス,オランダ,スペインなどの間で結ばれたが,フランスとプロイセン,スペインとのバーゼル条約(1795)およびオーストリアとのカンポ・フォルミオ条約(1797)によって解消した。第2次は,98年にイギリス,ロシア,トルコ,オーストリア,両シチリアなどの間で結ばれたが,オーストリアとのリュネビル条約(1801)およびイギリスとのアミアン条約(1802)によって解消した。…

※「バーゼル条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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