パグウォッシュ会議
ぱぐうぉっしゅかいぎ
世界の科学者が、科学者の立場から戦争と平和に関する諸問題を討議するために創設された会議と運動。1957年7月、カナダのノバ・スコシア州にある小都市パグウォッシュで、第1回「科学と国際問題に関する会議」Conference on Science and World Affairsが開催され、以後、世界各地で年1、2回開かれているが、第1回開催地の名をこの会議の通称としている。パグウォッシュ会議開催のきっかけとなったのは、1955年に11名の連名で発表された「ラッセル‐アインシュタイン宣言」である。この声明は、核兵器開発によって人類は絶滅の危機に直面しており、核兵器の脅威から逃れるには戦争を廃絶するしかない、このような問題について科学者の間でもっと議論をすべきであろう、というものであった。第1回会議は、B・ラッセル、湯川秀樹(ひでき)ら5名が招請し、東西各国から22名が参加、日本からは湯川、朝永(ともなが)振一郎、小川岩雄(1921―2006)の3名が参加した。会議では、原子エネルギーの利用の結果起こる障害の危険、核兵器の管理、科学者の社会的責任などについて議論が展開された。1958年の第3回会議は、核戦争に限らず、すべての戦争の廃絶を訴える「ウィーン宣言」を発表、日本からは湯川、朝永、小川、坂田昌一(しょういち)、三宅泰雄(みやけやすお)(1908―1990)が参加した。1959年の第5回会議は生物化学兵器が討議の対象とされた。1975年(昭和50)8月には、京都で第25回パグウォッシュ・シンポジウムが開かれ、完全核軍縮を要求する「湯川‐朝永宣言」を発表した。1995年ノーベル平和賞を受賞。
[雀部 晶]
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パグウォッシュ会議
パグウォッシュかいぎ
Pugwash Conference
正式名称は「科学と国際問題に関する会議」 Conference on Science and World Affairs。ラッセル=アインシュタイン声明をきっかけとして開かれた国際科学者会議。第1回会議は 1957年7月にカナダのパグウォッシュで開かれ,東西の科学者 22人が参加。「科学者の社会的責任」「核兵器の管理」「原子力の利用と危険」をテーマとして討議し,核実験による人体への影響を警告して,「原水爆実験を禁止せよ」との声明を出した。その後,毎年1~2回場所を変えて会議を開き,軍縮問題,平和問題について具体的に検討し,社会に無関係でありえない 20世紀の自然科学とその研究に従事する者の道義的責任について討論を重ねている。会議終了後,多くの場合,専門委員会報告の付録として声明を発表,それはパグウォッシュ声明として知られている。たとえば 58年9月の第3回会議はオーストリアのキッツビューエルで,原子力時代の危険と科学者の役割について協議し,核戦争だけでなくすべての戦争絶滅を呼びかけた「ウィーン声明」を発表した。また 77年8月ミュンヘンの第 27回会議で 20周年を迎え,「パグウォッシュ運動の原則についての声明」を採択した。 76年8月 28日,京都で第 25回パグウォッシュ会議シンポジウムが開催された。 95年創設者のロートブラットとともにノーベル平和賞を受賞。
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パグウォッシュ会議
パグウォッシュかいぎ
Pugwash Symposium
ビキニ水爆実験の翌1955年,核時代の戦争と平和に対する科学者の責任を訴えたラッセル−アインシュタイン宣言にもとづいて成立した国際科学者会議
正式には「科学と世界問題に関する会議」といい,第1回が1957年7月カナダのパグウォッシュで開かれたので,この会議の名称となった。核戦争反対からヴェトナム戦争,公害・資源問題の討議まで広範な活動を続けている。
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パグウォッシュ‐かいぎ〔‐クワイギ〕【パグウォッシュ会議】
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パグウォッシュ‐かいぎ ‥クヮイギ【パグウォッシュ会議】
(パグウォッシュはPugwash) 「科学と国際問題に関する会議」の通称。世界の科学者が科学者の立場から、核軍縮問題など戦争と平和の問題を討議する会議。「ラッセル・アインシュタイン声明」を受け、一九五七年第一回会議がカナダのパグウォッシュで開かれた。
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パグウォッシュ会議
パグウォッシュかいぎ
カナダのパグウォッシュで開催された世界の科学者たちによる軍縮と国際協力などに関する会議
1955年7月7日のラッセル‐アインシュタイン宣言に基づき,第1回会議がパグウォッシュで開かれ,以後,不定期に世界各地で開催されている。
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パグウォッシュかいぎ【パグウォッシュ会議】
1955年7月に出された〈ラッセル=アインシュタイン宣言〉の呼びかけを具体化するものとして,第1回の会議がカナダ,ノバ・スコシア州のパグウォッシュで開かれた。以来,年1~2回の割合で世界各地で開かれてきているが,最初の開催地にちなんでパグウォッシュ会議と呼ばれている。正式には,〈科学と世界問題に関する会議Conference on Science and World Affairs〉という。 〈宣言〉は冷戦が極点に達しているときに水素爆弾が出現し,核戦争の危機が間近に迫っていることを憂慮した,B.ラッセル,A.アインシュタイン,湯川秀樹ら11名の科学者が,〈人類が直面する悲劇的な情勢〉を克服するため,国家やイデオロギーを超えて〈ヒトという種の一員として〉集まり,〈世界の諸政府に,彼らの目的が世界戦争によっては達成されないことを自覚し,このことを公然とみとめるよう勧告する〉決議を出すよう訴えたものである。
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世界大百科事典内のパグウォッシュ会議の言及
【生物兵器】より
…生物兵器には,(1)ペスト菌,コレラ菌,天然痘ウイルスなどの急性致死兵器,(2)感染性が高く一時的に活動力をうばうQ熱クラミディアなどの非致死的〈人道的〉兵器,(3)いもち病菌,あかさび病菌などの植物病原菌,口蹄疫などの家畜伝染病病原体などがあり,戦略・戦術に応じた微生物を生物兵器として選択できる。1959年のパグウォッシュ会議では,生物兵器として使用される微生物がそなえる性質として,(1)強い毒力と感染性をもつ,(2)貯蔵や散布が可能,(3)予防が困難,(4)病気の診断が困難,(5)薬剤に耐性をもつ,の5点をあげている。 生物兵器を使用するためには,生きた微生物を目標に到達させねばならない。…
【ラッセル】より
…男女両性の平等と自由恋愛を主張しただけではなく身をもって実践した。第1次大戦に反対してケンブリッジ大学から追放されただけではなく,投獄の憂目にもあったが,ビキニの水爆実験(1954)以来核兵器廃絶運動に身を挺し,アインシュタインとともにパグウォッシュ会議を主催し(1957年以降),イギリスにおいて〈百人委員会〉を組織したりした(1960)。またアメリカのベトナム戦争に反対してサルトルらと〈ベトナム戦犯国際法廷〉を開いてこれを糾弾した(1967)。…
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