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パラグアイ パラグアイ Paraguay

翻訳|Paraguay

7件 の用語解説(パラグアイの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パラグアイ
パラグアイ
Paraguay

正式名称 パラグアイ共和国 República del Paraguay。面積 40万6752km2。人口 645万9000(2011推計)。首都 アスンシオン南アメリカ中部にある国。ボリビアブラジルアルゼンチンの3国に囲まれた内陸国で,南回帰線を挟んで南北にそれぞれ約 450kmにわたって広がる。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

パラグアイ

南米の内陸国で、面積は日本よりやや広い40万平方キロ。人口は約600万人。日本からの移住は1936年に始まり、移住者とその子孫は今、約7千人いる。主要な産業は農業で、大豆、綿花、牛肉が主な輸出品。特に大豆は、外務省の資料によると世界4位(04年)の輸出量となっている。

(2006-10-11 朝日新聞 朝刊 3経済)

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デジタル大辞泉の解説

パラグアイ(Paraguay)

南アメリカ中部の共和国。首都アスンシオン内陸国で、中央をパラグアイ川が南流。マテ茶コーヒー・木材・タンニンを産し、牧牛も行われる。16世紀以来スペイン領となり、1811年独立。住民の大半はスペイン人とグァラニー族との混血。日本からの移民も多い。人口638万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

パラグアイ

◎正式名称−パラグアイ共和国Republic of Paraguay。◎面積−40万6752km2。◎人口−645万人(2010)。◎首都−アスンシオン(51万人,2002)。

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世界大百科事典 第2版の解説

パラグアイ【Paraguay】

正式名称=パラグアイ共和国República del Paraguay面積=40万6752km2人口(1996)=496万人首都=アスンシオンAsunción(日本との時差=-13時間)主要言語=スペイン語(公用語),グアラニー語通貨=グアラニーGuarani南アメリカの中央南部にある共和国。南はアルゼンチン,北東はブラジル,北西はボリビアと国境を接する内陸国である。国名は,先住民グアラニーの言葉で〈大河のある土地〉の意味。

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大辞林 第三版の解説

パラグアイ【Paraguay】

南アメリカ中央部、パラグアイ川の流域を占める内陸国。マテ茶・ケブラチョ(タンニンの原料)を産する。牧畜も盛ん。1811年スペインから独立。住民はメスティソ。主要言語はスペイン語。首都アスンシオン。面積40万7千平方キロメートル。人口620万( 2005)。正称、パラグアイ共和国。 〔「巴拉圭」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パラグアイ
ぱらぐあい
Paraguay

南アメリカのほぼ中央部に位置する内陸国である。正称はパラグアイ共和国Repblica del Paraguay。北東部および東部はブラジル、南部はアルゼンチン、西部はボリビアと国境を接する。首都はアスンシオン。面積40万6752平方キロメートルで日本の約1.1倍。人口は516万3198(2002)。人口密度は1平方キロメートル当り13人であるが、人口の90%以上が、肥沃(ひよく)ですごしやすい気候のパラグアイ川東部地方に集中している。荒涼とした西部チャコ地方の人口密度は希薄である。パラグアイは内陸国であるものの、パラナ川とラ・プラタ川を介してアルゼンチンのブエノス・アイレス港とウルグアイのモンテビデオ港にフリーポート(自由貿易港)をもつほか、ブラジルのパラナ州のパラナグア港にも外海への出口を確保している。これらの港を通して諸外国と貿易活動を行っている。パラグアイの1人当り国民総所得(GNI)は1140ドル(2004)で、近年低迷している。[田島久歳]

自然

国土の中央部を北から南へ流れるパラグアイ川によって、地形的に西部と東部に分けられる。国土の5分の3を占める西部はチャコ平原とよばれ、更新世(洪積世)に形成された台地地形で、パラグアイ川沿岸で標高100メートル、北西に向かって徐々に高くなり標高350メートルに至る。砂、ローム、レスからなり、パラグアイ川沿岸や南西のピルコマヨ川下流沿岸には潟湖(せきこ)や湿地帯があり氾濫原(はんらんげん)が広がる。東部はパラグアイ川沿岸のパラグアイ低地と東部高地の起伏を異にする二つの地域からなる。その境界はパラグアイ川にほぼ平行して南北に走る、比高200メートル内外の大断層崖(がい)である。パラグアイ低地はパラグアイ川とパラナ川の合流点付近で広くなり、毎年のように洪水の被害を受ける。東部高地は標高300~600メートルでパラナ高原ともよばれる。その北西部は先カンブリア時代の花崗(かこう)岩や片麻(へんま)岩、カンブリア紀の石灰岩からなる。また中部から南部にかけて三畳紀、ペルム紀(二畳紀)の砂岩、頁岩(けつがん)が広く分布するほか、古生代デボン紀、シルル紀の砂岩、頁岩、礫(れき)岩などが分布している。東部高地の東半は第三紀層やジュラ紀層および玄武岩が広く分布し、玄武岩が風化したテラロッサが厚く発達して肥沃(ひよく)な土壌を形成している。
 パラグアイは南緯21~28度に位置し、気候は亜熱帯性で、東部は湿潤、西部はサバンナ気候を示す。年平均気温は東部は22~24℃、チャコ地方は24~26℃、北部は26℃を超える。夏(10~3月)の気温がとくに高く、38~40℃に達し、ときには40℃を超えることもある。冬(6~8月)は5~20℃、平均で18℃である。降水量は夏に多く冬は少なく、年降水量は西端で600ミリメートル以下であるのに対し、南東部では1700ミリメートルを超える。[市川正巳]

地誌

パラグアイは、その自然環境、土地利用、人口分布などの状況から、パラグアイ低地、東部高地、チャコ平原の3地域に分けられる。パラグアイ低地はパラナ川とパラグアイ川の氾濫原(はんらんげん)とこれに隣接する湿地帯からなり、牧畜業の盛んな地域となっている。エステロとよばれる湿地帯はおおむね河川の氾濫と夏期の雨によって形成されている。全国の人口が集中する首都アスンシオンとセントラル県はこの地域に位置する。東部高地は降水量が多く、樹木が繁茂する。ブラジルとの国境地帯からは木材を搬出しており、近年は乱伐の傾向にある。東部高地では家具材も生産する。東部高地のシウダ・デル・エステやペドロ・フアン・カバジェロといった主要都市はブラジルと、そしてエンカルナシオンはアルゼンチンとの国境線に点在する。また、パラグアイ川沿岸の内陸部の歴史的な町コンセプシオンもある。東部高地では農林牧畜業が盛んであり、今日においてはここがパラグアイ経済の中心を担っている。
 チャコ平原は大部分が熱帯灌木(かんぼく)林に覆われている広大な地域で起伏がほとんどない。アンデス山脈東部から運ばれた厚いシルト層からなる台地で、降水量は北西部ほど減少して半乾燥の状態となる。植生は荒涼としたサバンナ状で、アカシア、ミモザなどの灌木林が卓越する。全人口の3%以下が居住するにすぎず、人口密度はきわめて希薄だが、1920年代以降にアスンシオンから北西へ500キロメートルほどの所にドイツ系メノン派宗教団の信者メノニテMenonitesが入植し、フィラデルフィア、ノイランドといったコロニーを建設している。今日では粗放牧畜や酪農製品の生産などを行っている。チャコ地域ではシャンプーや潤滑(じゅんかつ)油の原料となる植物ホホバが生産されている。また、ケプラチョが生育しており、かつてはこれからタンニンを分離するケプラチョ加工業が発達していたが、輸送の不便さに加えて新しいタンニン物質の開発が行われたため、需要が減少してその生産も落ち込んでいる。また、パラグアイ川から数十キロメートル西方の地点まではサトウキビ栽培などの農業も行われている。[田島久歳]

歴史

古くはトゥピ・グアラニー語系先住民の一派グアラニー語系先住民が半定住生活を行っていた。1537年にラ・プラタ川をさかのぼってきたスペイン人がアスンシオンに砦(とりで)を建設したのが今日のパラグアイの始まりである。1537年以降放棄されていたブエノス・アイレスが1580年に再建されるまで、スペイン領ラ・プラタ地域の中心地として総督府が置かれていた。16世紀中期から後半にかけてはカトリック教会の世俗会(在俗修道会)と修道会であるフランシスコ会、1609年以降は修道会であるイエズス会の聖職者が先住民を集中、定住させ、キリスト教への改宗と「文明化」を図ること、およびスペイン人入植者の横暴な搾取から保護することを目的として、パラグアイ東部、南東部と南部に先住民教化コミュニティを建設した。この壮大な実験は1767年にスペイン国王カルロス3世がイエズス会を「新大陸」から追放するまで続いた。レドゥクシオンあるいはミッションとよばれたこの教化コミュニティは最盛期には30を数え、15万人の先住民人口を擁した。彼らは、スペイン王国の統治機構に組み込まれ、国王に租税を支払った。教化コミュニティでは自給自足のための農牧業のほかにマテ茶、皮革製品などを生産した。コミュニティどうしの交易が行われたほか、イエズス会士とコミュニティへの立ち入りが許可された少数の非先住民商人を介して外部世界と交易を行った。イエズス会の教化コミュニティは広大な地域で独占的な農畜産物の生産を行った結果、スペイン人入植者の反発にあい、その結果国王に追放された。その後、教化コミュニティはフランシスコ会によって管理されたが、荒廃した。1776年には、スペインによりラ・プラタ副王領が設置され、首都はブエノス・アイレスとなり、現在のパラグアイ全土もこれに含まれていた。
 1810年、ブエノス・アイレスの圧力に反発したパラグアイは自治権獲得のため独立を宣言した。翌11年にはスペインからの独立を達成した。独立の祖フランシアは14年以降鎖国政策を展開し、近隣諸国の政治的混乱からパラグアイを保護しようとした。彼は16年に最高独裁官となり、40年に没するまでパラグアイを支配した。44年に憲法を制定して初代大統領となったカルロス・ロペスは外向的経済開発を進める政策を打ち出し、鎖国政策に終止符を打った。彼は国の近代化と増強を図るため、ヨーロッパからの技術・資本・移民の導入を試みた。しかし1862年に彼が没すると、子のソラノ・ロペスが大統領となり、64年から70年までの6年間にわたってブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国を相手に三国同盟戦争(パラグアイ戦争)に突入した。その結果、経済的、社会的に大きな打撃を受け、それまで60万あった人口が23万に減少し、そのほとんどが老人、女性、子供となった。男性人口は2万人に満たなかった。また、国土の4割以上をブラジルとアルゼンチンに割譲せざるをえなくなったうえ、戦争賠償金支払いのため国家財産を売却した結果、社会・経済は疲弊した。
 その後、政治的混迷が続くなか、チャコ地方の北部と東部の領有権をめぐってボリビアと対立し、1932年から35年まで同国とのチャコ戦争に突入した。パラグアイはこの戦争に勝利したものの、経済は打撃を受け、政治的不安にいっそう拍車がかかり、政権がめまぐるしく変わった。結局、パラグアイは54年にストロエスネルが軍事クーデターで政権を奪取し、独裁政治を展開してはじめて政治的安定を取り戻すこととなった。大統領となったストロエスネルは軍とコロラド党との均衡を図りながら軍・コロラド党連係政権をつくりあげ、再選を繰り返し、その政権は89年にロドリゲス将軍のクーデターで倒されるまで続いた。ロドリゲスは臨時大統領となり、公約どおり大統領選挙を実施して、93年に大統領に選出された民間人のワスモシに政権を譲り渡した。その結果39年間続いた軍事政権に終止符が打たれ、パラグアイは民政移管を果たした。98年ラウル・クバスが大統領に選出されたが、99年ブラジルに亡命したため、規定により上院議長のゴンサレスが大統領に就任した。2003年4月大統領の任期満了により実施された選挙ではコロラド党のニカルノ・デュアルテが当選した(就任は8月)。[田島久歳]

政治システム

三権分立による立憲共和制をとる。行政は1992年の新憲法によって任期5年、再選不可の大統領を頂点とするものとなった。立法には上院(45人、任期5年)、下院(80人、任期5年)からなる議会があたる。司法は最高裁判所を頂点とする三審制をとる。政党は国民共和協会(通称はコロラド党)、真正急進自由党、国民会合党などがある。兵力は陸軍1万4900人、海軍は2000人、空軍は1700人からなる。[田島久歳]

経済

内陸国で鉱物資源に乏しいパラグアイは、自給経済的性格が強かった。しかし1995年に発足した、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイを中心に形成されている南米南部共同市場MERCOSUR(メルコスール)に加盟、その内陸性を打破するのに懸命である。産業別対GDP比(2003)をみると、農業が27.2%、工業が24.2%、サービス業が48.5%と、サービス業が大きい割合を占める経済となっている。全耕作面積のうち、牧畜用地が半分以上を占め、森林が3割、農業用地は1割程度となっている。牛が962万頭、豚が160万頭、羊が50万頭(2005)飼育されている。
 農牧畜業は、東部高地を中心とする地域では大豆、綿花、小麦、トウモロコシ、マニオクが生産される一方、林業も盛んである。ただし、今日では乱伐が進んでおり、しかも伐採された木材はブラジルへ密輸されるものがかなりあるといわれ、懸念されるところである。牧畜(牧草地)は東部高地や低地で盛んだが、チャコ地方でも広大な面積の牧場経営が行われている。比較的大土地所有制が増えてきている。
 輸出は綿花、大豆、畜産品、加工製品、油かす、材木が中心で、そのうち大豆輸出額は世界第4位(2004)である。最大の輸出相手国ブラジルに対する輸出は輸出総額23億1200万ドルの30%以上を占め、ついでオランダ、イギリスとなっている(1999)。ブラジルやアルゼンチンに対しては商品輸出のほかに、豊富な電力資源も輸出しており、これが重要な国の収入源になっているが、その数字はこの統計には含まれていない。輸入商品には工業化学製品、日用品などの耐久消費財から一般消費財までが広く含まれる。おもな輸入相手国はブラジル、アルゼンチン、アメリカとなっている。なかでもブラジルからの輸入は輸入総額27億5200万ドルのうち29%を占め、アルゼンチンが18%を占める(1999)。
 パラグアイの内陸輸送と貿易の大部分は河川の水運に依存し、その中心はパラグアイ川沿岸のアスンシオン港である。鉄道はアスンシオン―エンカルナシオン間の幹線と短距離の支線があるのみで、ブエノス・アイレスとの間に国際列車が通じるが、エンカルナシオンとパラナ川対岸のポサダスとの間はフェリーボートで結ばれている。パラグアイ東部のほとんどの道路は未舗装だが、アスンシオンを起点として幹線道路網が東部と南部で徐々に整備されつつある。[田島久歳]

社会

純粋なヨーロッパ系の白人は少なく、クリオーリョとよばれる先住民と白人の混血(メスティソ)が多い。先住民としてはグアラニー語系先住民を中心に五つの言語系からなる17のエスニック集団が存在する。それらの先住民には母語以外に多少のグアラニー語とスペイン語を操る者もいる。公用語はスペイン語とグアラニー語で、両言語を話す人は人口の51.5%、グアラニー語のみを話す人は24.8%、スペイン語のみを話す人は7.6%で、グアラニー語が優勢となっているが、おもに話されているのはグアラニー・ジョパラーとよばれる、スペイン語の影響を受けたグアラニー語を基層とする言語である。
 そのほか、1926年から32年にかけて、アスンシオンから500キロメートル地点のチャコ砂漠に入植したメノン派宗教団の移住地ではドイツ語系住民が存在する。彼らには、ボリビアにほど近い荒涼とした土地を開拓するかわりに、伝統的なキリスト教信仰の自由、民族教育の自由が保障されているほか、軍務の免除といった諸特権が与えられている。1970年代以降は国境を超えて移住してきたブラジル人以外に、台湾、中国出身の中国系移民および韓国系移民が数万人に上る。また、義務教育は小学校6年間と中学校3年間で、大学は14校ある(2001)。[田島久歳]

文化・芸術

グアラニー・ジョパラー語は国民的アイデンティティを表現するとされているため、グアラニー語の詩集、農業指導書が出版されているのをはじめ、テレビのジョークでも幅広く用いられている。グアラニー語の地名、人名、物の名前といった固有名詞や一般名詞での使用はもとより、スペイン語の語彙(ごい)、文法、発音にまでグアラニー・ジョパラーが影響を及ぼしている。
 パラグアイにはグアラーニアとよばれるギター演奏による静かで物悲しい民族音楽があり、その内容は日々の生活、恋愛、出会い、別れ、遠い故郷を歌ったものが多い。20世紀に入ってから普及したパラグアイ・ハープ(アルパ)が国民的楽器となり、グアラーニアを演奏するときに使用される。
 パラグアイの国鳥はパハロ・カンパナとよばれる白い羽毛に紅い鶏冠(とさか)をもつ鳥である。まるで教会の鐘のように鳴くところからその名前がついたといわれている。国花はグアラニー語でタジューとよばれる花である。また、ニャンドゥテイとよばれるレース編み、およびアオ・ポイーとよばれる刺繍(ししゅう)はパラグアイの民芸品として有名である。[田島久歳]

対外関係

ブラジルとアルゼンチンとの関係は古く、とくに三国同盟戦争後のパラグアイはこの2国の勢力均衡のうえに成り立っているといっても過言ではない。三国同盟戦争後、ブラジルの支援を受けて形成されたのが今日のコロラド党であり、またアルゼンチンの支援でつくられたのが自由党であったことからも、この2国の影響力の大きさをうかがい知ることができる。とくに1970年代以降、ブラジルと共同でイタイプ水力発電所を建設してからブラジルの影響力がアルゼンチンを凌(しの)ぐようになり、その結果、ブラジルへの経済的依存が強まることとなった。それはパラグアイの対外債務全体の4分の1が対ブラジル債務であり、同国がパラグアイ最大の債権国となっていることからも裏づけられる。現在ではパラグアイの安い土地を求めてブラジルから移住してきた者が40万人に上ると推定され、彼らは東部3州アルト・パラナ、カニンデユー、イタプーアに集中して居住している。また、規模の面ではイタイプ発電所には及ばないものの、アルゼンチンとの間で建設されたヤシレター水力発電所も存在する。このように、ブラジル、アルゼンチンへの経済的、政治的依存度が高いことがパラグアイの特徴となっている。
 1995年1月からはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイによって構成されている南米南部共同市場MERCOSUR(メルコスール)に加盟し、同地域諸国との経済統合が促進されつつある。[田島久歳]

日本との関係

日本との関係の始まりは1919年(大正8)の外交関係樹立にさかのぼるが、両国の関係が活発になったのは日本人の移住を通してである。1936年に中部のラ・コルメナに日本人の11家族が入植したことが最初である。第二次世界大戦後さらに9000人が移住し、今日では2世を中心に7000人以上の日系人が入植、在住している。移住地としては東部のイグアスー、中部のラ・コルメナ、南部のラ・パス、チャベス、ピラポの各移住地がある。また、アスンシオン都市圏、エンカルナシオン市、北東部のペドロ・フアン・カバジェロ市にも多くの日系人が在住している。1959年に締結された移住協定は89年に改正され、その効力は無期限に延長された。それによると8万5000人の日本人移住者が受け入れ可能となっている。
 日本からの経済協力は1959年に河川用船舶の建造を手始めに、今日に至るまで数々のプロジェクト・ファイナンスが行われ、2004年までの支出純額累計でみると対ラテンアメリカ諸国で有償資金協力が第4位、無償資金協力が第7位、技術協力が第2位を占めている。なかでもイタイプ水力発電所からの送電線の敷設、中央卸売り市場の建設と運営、中規模農業への融資などは中心的プロジェクトであった。日本の経済協力(2003)はパラグアイにおけるそれの36%を占め最大の援助国となっている。[田島久歳]
『福井英一郎編『世界地理15 ラテンアメリカ』(1978・朝倉書店) ▽上谷博他編『ラテンアメリカが語る近代』(1998・世界思想社) ▽田中裕一著『南米のパラダイス・パラグアイに住む――脱・サラ日本人が見た「南米共同市場」の小さな楽しいラテン国』(1999・アゴスト)』

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