東アフリカのケニア,ウガンダ,タンザニア3国にまたがり,面積6万9000km2,アフリカ最大,世界第3位の湖。湖面標高は1134m。湖岸線は屈曲に富み,小島が多い。面積の割に水深は浅く,最深点も82mにすぎない。原地名は湖を意味するニャンジャであったが,1858年にイギリス人H.スピーク(1827-64)がヨーロッパ人として初めて〈発見〉し,時のイギリス女王の名を与えた。75年にはH.スタンリーが湖岸の周航を行っている。東アフリカでは降水に恵まれ,ほとんどの部分が年平均1200mmをこえる。西からのカゲラ川のほか,いくつかの流入河川があるが,流出河川は北からのビクトリア・ナイル(白ナイルの上流)だけである。沿岸は豊かな農業地域で,人口も集中している。作物はトウモロコシ,モロコシ,ヒエなどの自給用に加え,綿花,サトウキビ,コーヒーなどが重要な商品作物である。魚類も豊富で,年間水揚高は10万t近い。
執筆者:戸谷 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東アフリカのケニア、ウガンダ、タンザニア3国にまたがる湖。面積6万9480平方キロメートルで、淡水湖ではスペリオル湖に次いで世界第2位。東西の大地溝帯に沿う隆起帯に挟まれた浅い皿状の凹地にできた湖であるので、最深部でも82メートルしかない。湖面の標高は1134メートルである。西岸を除いて湖岸線は屈曲に富み、ケニア側のカビロンド湾など大きな湾入がある。西方からのカゲラ川をはじめ、周辺の高原から流入する河川は多いが、流出口は北岸のビクトリア・ナイル川のみである。赤道直下にあるこれだけ大きな水体であるので湖陸風が発達し、日中は湖から吹き出す湖風、夜間は周辺の陸地から湖に集まるように吹く陸風がみられる。このため、湖上では夜間に上昇気流が生じて雨が降りやすい。1858年、イギリス人のスピークが「発見」し、これがナイル川の水源かどうかをめぐってバートンとの間で論争があったことは有名。1875年にスタンリーが湖を周航した。1954年、流出口に近いビクトリア・ナイル川にオーエン滝ダムができて湖面の水位が約1メートル上昇した。沿岸は豊かな農業地域で、西岸から南岸にかけてはバントゥー系のガンダ人やスクマ人、ケニアにはナイル語系のルオ人などがトウモロコシ、サトウキビ、コーヒー、ワタなどを栽培する。湖岸にはエンテベ、キスム、ムワンザなどの都市がある。
[中村和郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…またD.リビングストンはナイル川とコンゴ川の水系調査に先駆的役割を果たした。ナイルの水源ビクトリア湖は62年スピークJohn Hanning Spekeによって発見され,コンゴ川の水系は76‐77年のH.スタンリーの全コース下航によって明らかとなった。探検家はいずれも探検地の人間と社会について報告することを忘れず,それがヨーロッパ人のアフリカ人認識の基礎となった。…
…アラビア語ではニールal‐Nīlと呼ばれる。 ウガンダのビクトリア湖から流れ出た直後,ビクトリア・ナイルと呼ばれる流れはスーダン南部の大沼沢地を抜け,いくつかの流れを集めて白ナイルal‐Nīl al‐Abyaḍとなる。エチオピアのタナ湖から発する青ナイルal‐Nīl al‐Azraqはスーダンの首都ハルツームで白ナイルと合流してナイル本流となって北に向かう。…
※「ビクトリア湖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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