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ビシンスキー

百科事典マイペディアの解説

ビシンスキー

ソ連の法律家,外交官。1920年代にはモスクワ大学学長などを務め教育方面で活躍。1930年代には司法行政の中枢にあり,特に大粛清期に〈反革命〉裁判の検事として名をあげ,またソ連法学確立の指導者の一人としてパシュカーニスの理論をブルジョア的として批判。

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世界大百科事典 第2版の解説

ビシンスキー【Andrei Yanuar’evich Vyshinskii】

1883‐1954
スターリン時代のソ連邦の代表的法律家。オデッサに生まれ,キエフ大学を卒業。十月革命後1920年から共産党員。20年代は,モスクワ大学で刑事訴訟法を講じ,学長もつとめた。33年よりソ連邦検事総長代理,検事総長,司法人民委員代理などを歴任。この間,36‐38年の大粛清裁判の国家公訴人として脚光をあびる。37‐41年には,ソ連邦科学アカデミー国家・法研究所長として,社会主義国家・法の最大限の強化という路線に従い,パシュカーニスらの弾劾を通じて〈ソビエト社会主義法学〉の形成を主導し,法実証主義的・法教義学的性格の濃厚なソビエト法学の〈ビシンスキー時代〉を招来する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビシンスキー
びしんすきー
Андрей Януарьевич Вышинский Andrey Yanuar'evich Vshinskiy
(1883―1954)

ソ連の法律家、政治家。1920年代にはモスクワ大学教授、同学長を務め、1930年代には一連の「粛清」裁判において公訴人として活躍したが、理論上は1930年代後半から1950年代中期までソビエト法学に「ビシンスキー的段階」ともいうべきものを画したことによって知られる。法を社会関係の体系ないし特殊な形態として把握するストゥーチカやパシュカーニスの1920年代マルクス主義法学を批判し、法とは支配階級の意志を表現し国家の強制力によってその適用が保障されるところの法規範の総体であるという規範説的法概念をこれに対置した。1938年の彼の有名な報告は、スターリンの教説とこれを体現するものとみなされた1936年憲法に基づいて「社会主義法学」の建設を呼びかけるものであり、以後のソビエト法理論の範型となった。1950年代末以降ビシンスキー理論は、法における強制の契機の過大視、証拠法理論における被告の自白の過大評価などの点で、スターリン時代における社会主義的適法性の重大な侵犯を招いたものとして批判されている。主著に『ソビエト法における法廷証拠理論』(1941)、『国家と法の理論の諸問題』(1949)がある。[大江泰一郎]

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