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フェリペ[3世] フェリペ

百科事典マイペディアの解説

フェリペ[3世]【フェリペ】

スペイン国王(在位1598年―1621年)。フェリペ2世の子。1609年オランダの実質的独立を承認。50万人のモリスコキリスト教に改宗したムーア人)を国外に追放したため農業は衰退,外戦と乱費で国庫は窮乏し,寵臣(ちょうしん)の独裁政治を放任して国家の没落を早めた。
→関連項目ゴンゴラ支倉常長

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世界大百科事典 第2版の解説

フェリペ[3世]【Felipe III】

1578‐1621
スペイン王。在位1598‐1621年。1609年に長年の懸案となっていたオランダの独立運動を鎮めるために,反徒と12年間休戦協定を結んで妥協したのをはじめ,列強との融和を図ったおかげで,この治世中スペインは比較的平和な時代を享受した。また,同年に同化の困難なモリスコ(キリスト教に改宗したムーア人)を50万人も追放し国内統一の強化に努めたが,その代償として,有能な農業労働者を失った。寵臣レルマ公爵に政務を任せて遊芸にふけり,晩年には三十年戦争に介入して,スペインの没落を早めた。

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世界大百科事典内のフェリペ[3世]の言及

【支倉常長】より

…12月メキシコに到着し,さらに随員二十数名とともにスペインへ渡った。15年1月スペイン国王フェリペ3世に謁見し,通商開設と宣教師派遣を要望する政宗の書状と協定条項を奏呈した。2月支倉は市内の修道院で国王臨席の下に受洗し,ドン・フェリペ・フランシスコの洗礼名を受けた。…

【モリスコ】より

…迫害の理由は,スペインの国家統一の一環として,世界観・信仰の統一が叫ばれたこと,国内の矛盾,対立のモリスコへの転嫁,1529年のオスマン帝国のウィーン包囲によるイスラムへの敵対感情の増大などであった。1502年にはグラナダの,26年にはアラゴンのモリスコが,それぞれ改宗か追放かの選択を迫られたのをはじめ,56年にはフェリペ2世が法令で信仰・言語・制度・生活様式などの廃棄を強要した。1609年にフェリペ3世はモリスコ追放令を布告し,その結果50万人のモリスコが対岸の北アフリカに渡った。…

【レルマ公爵】より

…スペイン王フェリペ3世の寵臣。本名Francisco Gómez de Sandoval y Rojas。…

※「フェリペ[3世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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