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ブラマンテ ブラマンテBramante, Donato

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブラマンテ
ブラマンテ
Bramante, Donato

[生]1444. モンテ・アスドルバルド
[没]1514.4.11. ローマ
イタリア盛期ルネサンスを代表する建築家。本名 Donato d'Angelo Lazzari。ウルビノで基礎修業を積んだのち,1477~99年に北イタリアロンバルディア地方で活動した。初めベルガモ,次いでミラノに行き,サン・サティロ聖堂を設計 (1479以後) 。

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デジタル大辞泉の解説

ブラマンテ(Donato Bramante)

[1444~1514]イタリアの建築家・画家。ルネサンス建築様式の完成者といわれ、サンタマリアデッレグラツィエ教会の改築や、サンピエトロ大聖堂の改築計画などにたずさわった。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

ブラマンテ

イタリア・ルネサンスの代表的建築家。本名Donato d'Angelo Lazzari。1472年―1499年ミラノで活動し,サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ聖堂のコアイヤなどを設計。
→関連項目サンガロ[一族]サンソビーノバチカン宮殿パラディオラファエロ

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世界大百科事典 第2版の解説

ブラマンテ【Donato Bramante】

1444‐1514
イタリア盛期ルネサンス最高の建築家。15世紀のフィレンツェに始まった古代建築に範を求める建築運動は,16世紀初頭の彼の作品において,それ独自の古典的秩序を獲得するに至った。すなわち彼の作品にあっては,初期ルネサンスの建築が求めた全体の均整の中でしだいに強さを増してきたその構成要素が,全体とぎりぎりの均衡を保っているのが見られる。彼の建築のこの完成度は,すでに16世紀後半の建築家たちの認めるところであり,セルリオやパラディオの建築書では,彼の作品のみが古典と同等の扱いを受けている。

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大辞林 第三版の解説

ブラマンテ【Donato Bramante】

1444~1514) イタリア盛期ルネサンスの建築家・画家。建築におけるイタリア-ルネサンス様式を完成。代表作にミラノのサンサティーロ聖堂、ローマのテンピエットなどがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブラマンテ
ぶらまんて
Donato Bramante
(1444ころ―1514)

盛期ルネサンスの代表的イタリアの建築家、画家。本名はDonato d'Angelo Lazzari。ウルビーノ近郊に生まれる。ウルビーノでマンテーニャ、ピエロ・デッラ・フランチェスカらの影響下に修業時代を過ごしたと思われる。1481年までにミラノ宮廷に仕えるところとなり、現在知られる最初の建築作品は同地のサンタ・マリア・プレッソ・サン・サティロ教会(1482起工)である。これは9世紀の建築の大改造であったが、ここでブラマンテは、敷地の制約から奥行のとれない祭壇部を遠近法を駆使しただまし絵的構成で巧みに処理し、細部ではアルベルティブルネレスキをよく学んでいたことを示している。また、ミラノにいたレオナルドダ・ビンチの影響に起因するといわれる集中式平面への志向の萌芽(ほうが)もここにみられ、これはブラマンテ終生のテーマとなる。ほかにミラノでは、ゴシック的なこの地方の様式にも深い理解を示すサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会交差部より東の部分(1485~97)などを手がけた。
 1499年ローマに移り、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会の回廊(1500)で簡素な二層の列柱に絶妙の比例を与え、さらにサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会中庭の円形小堂(テンピエツト)(1502以降)では、ローマ時代の建築から借用した理念を独自に拡張し、調和ある理想的空間を創出する。教皇ユリウス2世が即位するとその主任建築家となり、巨大な回廊に古代の別荘(ビラ)の再生をねらったバチカンの中庭ベルベデーレ、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会回廊(1505~09)、ラファエッロが一時住んだパラッツォ・カプリーニ(1514)などでさらに力強い古典的表現に新境地を開いていった。そしてサン・ピエトロ大聖堂の計画に集中式建築の大成を計ったが、工事中に教皇が没して中断され、すぐブラマンテ自身も世を去った。しかし「古代をよみがえらせた人」(セルリオ)とたたえられたブラマンテの作品は、古典主義建築の頂点にたつものとして後世に強い影響を与え続けた。[末永 航]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のブラマンテの言及

【サン・ピエトロ大聖堂】より

…創建時の旧聖堂は使徒ペテロの墓の上に位置する5廊のバシリカ式教会堂であったが,老朽化したため,15世紀の教皇ニコラウス5世(在位1447‐55)が全面的改修に着手した。一流の建築家が参加した新大聖堂の建設はイタリア・ルネサンス最大の建築事業で,とくにブラマンテミケランジェロの果たした役割は大きい。ブラマンテは,教皇ユリウス2世の依頼で,四隅に塔,中央に半球単殻ドームをもつギリシア十字形平面の設計案を用意し,その没後はラファエロ,A.daサンガロ(イル・ジョバネ)が建設主任となった。…

【テンピェット】より

…小神殿を意味するイタリア語で,古代ローマ時代に多くの作例をみるが,固有名詞としては,ローマにあるブラマンテ作の円形プランの殉教記念堂をさす。高さ約14mのこの小堂は,スペイン王フェルナンド2世と后イサベルの依頼により,1502年ペテロの殉教地と信じられていたローマのサン・ピエトロ・イン・モントリオS.Pietro in Montorio修道院の中庭に建てられた。…

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